僕の令和2年
令和2年という年のことを思い返す程度の余裕ができてきた。引っ越しが結構大変で、色々施工の調整ごとをこなす必要があったのは初めての経験だった。無事終えてよかった。
僕にとって令和2年は、いいこともあったし、いやなこともあった、それなりに普通の年じゃんというのが正直なところ。もちろん、変化の幅は大きかったとは思うけど、総合すると平凡だった。なんとも幸運なことだ。
COVID-19による「いやなこと」が一番割合としては大きい。友人に会えなかったり、イベントが当然軒並み中止だったり。まあ、医療従事者の方々やリモートワークなど出来ない仕事で、それこそ僕の生活を支えてくれた人々の苦悩と比べると些末と言わざるを得ない。命のやり取りの土俵にすら上がっていないのだから当然そうだろう。僕にとってそれらが生きがいだったり、とても楽しみにしていたイベントが永久に…となると、それこそ死ぬような思いかもしれない。とはいえ、外的要因によって否応なく命を奪われるのとは、訳が違う。まだ選択の余地があるだけましだと思う。
それに、そんな中でもオンラインで開催されたイベントもあって、それはそれで楽しかった。僕が一言、そういう手もあるんだよ、ってことを言ったのが、僕の尊重している彼がイベントに携わるきっかけになれていたらとても嬉しく思う。手を貸せなかったのは残念ではあるけど、そこはやはりプロがついてくれているのも分かっていたので、気楽に観衆になれた。
そして、この変化はいいことも沢山与えてくれた。これは世に起こった不幸と比べてしまうと、不謹慎と怒られても仕方がない話ではある。とはいえ、令和2年に起こった様々な変化や進歩は、感染症でなくても何かしら強い外圧がないと、もしかしたら僕が生きているうちに達成されなかったかもとさえ思う。それを生きているうちに体験できたことを素直に「いいこと」として受け入れることにしている。それぐらいしていかないと、釣り合わない。それぐらい、起こったいやなことが多すぎたんだと思う。
何より、他者との無理な比較を強いられた年だったと思う。失った1日や1年という時間が、人によってあまりに違ったものになりすぎる。人には1日24時間平等に与えられているなんていうのがいかに薄っぺらい詭弁か思い知らされる、そういう年だった。あなたの価値観で私のことを測らないで欲しい、私の価値観で、あなたを測らせないで欲しい、そう何度も思わされる。測らせておいて怒らないで欲しいよね。日本の、あるいは地球の多くの人類に向けて、同じ命題で違った長さのものさしを突きつけられた年だった。
ソフトウェアエンジニアとしての僕の令和2年はどうだったかというと、停滞していたように思える。成長できた部分もあるけど、それが職場でいわゆる等級が上のエンジニアとして評価されうるなにかであったとしても、僕の純粋なソフトウェア工学としての技量は例年と比べると伸び悩んだ年だったと感じているし、実際評価もそれが反映されていたと思う。
とはいえ、令和3年は、少なくと今年に入って前に進んで行けていることを思えば、いい年になると思える。
このnoteのタイトルを書いたときに必然のように思い出した歌詞があった。
>先は見えない「けど大丈夫」