アルゼンチン・フォルクローレ歌手 Mercedes Sosa
メルセデス・ソーサはアルゼンチン・フォルクローレの大御所・歌手です。
2021年は、アルゼンチンの民族音楽を見事に表現した歌手、メルセデス・ソーサの生誕86周年にあたりました。彼女の代表曲とアルゼンチン音楽への主な貢献について、ビリケンさんがお話しくれました。
メルセデスは1935年7月9日に生まれました。彼女は先住民(ディアギータ)とヨーロッパ人(フランス人)の血を引いています。アルゼンチンの独立記念日に、そして独立宣言の地であるサン・ミゲル・デ・トゥクマンで生まれました。
15歳の時、ラジオ番組で行われた歌のコンテストで優勝しました。この時、彼女は親にばれないように、偽名を使っていました。しかし、彼女の父親に見つかってしまいました。父親に見つかるとすぐに、ラジオ局のディレクターが、彼女がとても好きな歌を続けられるように、父親を説得してくれました。
メルセデスは、歌を通じて、音楽への愛と国への愛を結びつけました。そして、歌を通じて国民を団結させようとする「ヌエボ・カンシオネーロ」運動の創設に参加しまた。
1969年彼女は、フェリックス・ルナとアリエル・ラミレスが、アルゼンチンの歴史上の偉大な女性たちに敬意を表して書いた曲を収録したアルバム『Mujeres argentinas』を発表しました。そのうちの1曲はボリビア独立のために戦った指導者 フアナ・アズルドゥイという女性に捧げられました。「El español no pasar / con mujeres tendrá que pelear」(スペイン人は通れず / 女性と戦わなければならない)と歌っています。
1970年代、「ヌエボ・カンシオネーロ」運動は、ラテンアメリカの政治的抑圧を告発する音楽となっていました。1978年、独裁政権下のラプラタで行われたメルセデスのコンサートを、警察が「軍事政権が禁止している曲を歌っている」と非難して中断させました。その後、メルセデスはヨーロッパに亡命し、自国ではレコードが発売されない中、ヨーロッパで音楽を演奏しました。独裁政権が終わる頃、彼女はアルゼンチンに戻り、オペラ劇場やフェロカリール・オエステ・スタジアムなどで大規模なコンサートを行い、軍部に対する抵抗行為として賞賛されました。
彼女の長いキャリアは国境を越え、新しい世代のファンを獲得しました。「La Negra」「La vos del pueblo」という愛称で親しまれていましたが、2009年に亡くなった時には、「La vos de América Latina」(ラテンアメリカの声)と言われました。"Canción con todos"で「歩いていると、私の肌にアメリカのすべての肌を感じます」と歌ったものは象徴的なものです。
彼女は自分を表現するために、よくこのフレーズを用いました。
「私は頑固ですから、いまだに世界を変えたいと思っているのです」
2009年10月4日、彼女はこの世を去りました。
(UBAのテキストより)
<スペイン語原版>
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