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アメリカの階級社会と僕がダンスする理由: Part 3 〜NEW YORK HOUSE編〜

ここまでお付き合いいただきありがとうございます。
大変長い記事となっておりますが、これが最終章です。
lets go


ハウスダンスとの2度目の出会い

僕が通っていた大学院はRhode Islandという
アメリカ最小サイズの州に所在しており、
ニューヨークから電車で3時間ぐらいの距離にあったこともあり、
週末に遊びに行ける状況でもあったため、
行けるタイミングに遊びに行くように留学生活を過ごしてました。
何度かニューヨークに行き続けると、
Cricket(クリケット)というニューヨークの大御所ダンサーに出会います。

Cricketは一言で表現すると
歩く歴史の教科書でもあり、
ダンスの現場で沢山の人を感動させ続けてきた実力派です。

Cricket "James" Colter

Cricketが主催するハウスダンス練習会に行き続け、色んな仲間に出会います。白人、黒人、中国人、ロシア人、フランス人、マレーシア人など、人種多様な環境で改めてハウスダンスと向き合う日々が続きます。

NYのコミュニティにどっぷり浸かる

そんな忙しい日々を過ごしているうちにあっという間に
就活も終え、大学院を無事卒業します。
卒業時から日本でサラリーマン生活を続けるまで一年あったので、
ニューヨークに残りダンスの修行を続けることを決心します。

やがて、僕はニューヨークのコミュニティの一員として受け入れて頂き、
若手精鋭のクルーにも勧誘され、集団で様々な現場に足を運び、
世界に発信し始めます。
参考までにみんなで撮った動画を添付します(動画の最初と最後に踊っているのがクリケット。僕もしっかり映っておりますので気になる方は是非ご覧ください)

Hey! Myself and some of the dancers from the House Head Session came together to form a house dance crew. We are "the...

Posted by Jimmy Cricket Colter on Wednesday, March 14, 2018

何でハウスが好きになったのか、やっと分かったアハ体験

こうやって濃い日々を送っていくなか、ハウスダンスを取り巻く文化と歴史について深掘り始めます。

その中で1番くらったのが、
ハウスミュージックがアメリカのマイノリティにとって壮絶なインパクトを起こしていたという事実。

歴史については僕だけの話ではなく、ご自身で色々調べて頂ければと思うのですが、
間違いなく言えるのは
ハウスミュージックはアメリカのシカゴで産まれ、ニューヨークのマイノリティ人種とLGBTが集まるクラブに深く浸透した音楽であること。

社会的弱者である
黒人やヒスパニック、
そしてゲイやレズビアンに居場所が無かった時代の真っ只中、
R&B→DISCO→と音楽が進化してきた流れで、HOUSEがニューヨークのクラブに旋風を巻き起こしたと、Cricketから聴いた覚えがあります。

そのHOUSEが唄う世界観とは、
当時、同時並行でニューヨークに浸透し、大進化を遂げ続けていたHIP HOPミュージックの「アンチ権力」のメッセージ性とはまた違った角度から社会へ衝撃を与えた「無条件のLOVE」。

ありとあらゆる人を受け入れる、音楽界から舞い降りてきたアサイラム・聖域。

この曲とかただの一例でしかないですが、
all we need is loveなどと言った、とにかく愛と受け入れを訴える歌詞が当時の数々の曲に散りばめられているのが分かります。

この時代背景を理解した時、
人間界の先祖たちの苦しみがきっかけとなり生まれたこの聖域に
自分は何年も前から
受け入れてもらえていたのかと気づき、
感銘を受けました。

ありがたみから生まれる原動力

ハウスミュージック・ハウスダンスに出会えて僕の幼少期から築いてきた点と点がつながる感覚を抱いてから
ニューヨークで見たもの、聴いたもの、
ニューヨークの匂い、感覚、
ニューヨークの心
これを大事にしようと思ったのです。

生き続ける理由なんて別にいらないと思うんですけど、
僕にとってこの奥深すぎるHOUSEを取り巻く文化と歴史、
そしてまだ咀嚼しきれていない自分の幼い頃の経験との交差点
これを紐解くのは有意義な人生の過ごし方なのではと思いました。

ニューヨークから日本に帰国してから既に6年ほど経っておりますが、
あの地で得たモノや気づきはまだ山ほど心に残っていますし、
まだまだ深く理解したい部分があります。

そう考えると、
僕がここ最近DJに力入れていること、
海外との架け橋として動き始めたこと、
イベントのオーガナイズすることが増えたことなど全て、
自分なりに筋を通したくてやっている気がします。

知って、熟考して、実践する。
この繰り返しであっという間に何年も経ちましたが、
まだまだ続く旅であることを認識しています。

刹那を繋ぐ意義深さ

アメリカで顔のニキビを富士山と呼ばれてから15年以上経ち、
今では国内外で活動するダンサー、DJ、イベンターになりつつある人生ですが、
全く計画していませんでしたし、
計画していたことも基本的に全然違う方向に進んでいます。

心が自分を連れていく方向には逆らえないし、
刹那から刹那へと繋がるもんだなと。

どこに連れていかれるのか
そしてなぜそこに辿り着くのか
理解を重ねる長い旅

意義深いしオモロいなと。

今回も最後までお読み頂きありがとうございました。
前回とは違って自分の話しかしてないので飽きさせていたらすみません汗
またタイミングで書かせて頂きます!

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Joki
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