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アメリカの階級社会と僕がダンスする理由: Part 1 〜アメリカ編〜

年明けに書いた初ノートを読んでいただいた皆さま、ありがとうございました。心から嬉しいです。
あのノートをきっかけに、長年話していなかった友人から連絡が来たり、初めましての方から思い切ってメッセージを頂いたり、
気づいたら僕も心が動かされていたので、
発信する価値があるかもしれないと思いまして。
改めて、僕が長年向き合ってきた自分の生い立ちと、僕から切っても切り離せないダンスの交差点について、僕から見た社会のあり方にも触れながら文章を書かせて頂きました。
3パートと、長めではありますがご興味ありましたら是非お読みください🙏


アメリカの学校はリアル社会そのもの

以前のノートで書いた通り、僕は8歳から16歳までニューヨークの郊外に住んでおりました。
小学時代はみんなも物心ついてから間もないので、そこまで如実に人種差別・軽蔑を感じることはなかったのですが、
中学辺りから自我が芽生え、急に学校という環境に「社会」の色が強まる感覚がありました。

当たり前のように無視される生活

イメージか伝わるよう短いエピソードを挟みます:
中学1年のとある日、
学校のいわゆる人気者である、
成績優秀アメフト部のクォーターバック(司令塔)に授業用のプリントを渡すがてらに話しかけてみたら
完全に無視される。
自分が空気なのかと勘違いするぐらい、綺麗なスルー。

無視されるのは僕だけでなく、
中国人、韓国人、インド人など、
アジア系に当てはまる人ほとんど。

こんなことが日常的に起きていました。

学校だけにいて見えたヒエラルキー

大分ざっくり表現すると、
学校にはヒエラルキーがあって、
下記の図のように見えたんです。
大袈裟かもしれませんが、心が繊細な僕にはこう映ってました。

当然、僕は一番下の層にいました笑

居場所を探し続けた8年

アジア人として、そして学校に1人しかいない日本人として、この階級社会をどうサバイブできるか考え、できる限り行動しました。
人にとってはどうでも良い体育の授業で異常な熱さで勝負をしかけたり、
人と話す口実を作るためにガムを大量に持ち歩き配ったり、
人気者の服装を真似してAbercrombieやAmerican Eagle(当時流行っていたブランド)を着たり、
やれること全部やってました。

Abercrombieの典型的なブランディング画像

軽いイジりがコンプレックスになる

アメリカでは黒人差別をはじめ、
マイノリティの人種が迫害されてきた、軽蔑されてきた歴史が根強くあることを歴史の授業にてかなりの頻度で学びます。

そんな重い内容を如実に綴る歴史の授業直後、
休憩時間中にとある友達が僕の顔のニキビに指差しながら「Mount Fuji!!!」(富士山)と小馬鹿にする、
みたいなことが当たり前のように続く学校生活でした。

当時は笑うしか無かったのですが、そんなのが毎日続くと自分が日本人であることにコンプレックスを抱かないのもちょっと難しい話だったなと。

Joeと呼んでほしかった。

当時は自分がアジア人であることを誇りに思っていなかったのもあり、
本名のJokiではなく、Joeと呼んでもらうよう、クラスメイトや先生に予め言ってました。
なるべく溶け込みたかった。

ちょっと脱線しますが、
英語の表現で「Average Joe」という言葉があり、
「どこの誰でもない一般人」を意味するのですが、
まさにそのJoeの名前を自ら選んでいたのも皮肉だったなと笑

70点台の出来、自分を見失う8年

アメリカであれこれ工夫して地道に8年間社会を這い上がろうとした結果
どこまで行けたかというと、
肌感70〜80点ぐらいの完成度で一定認知され、
みんなに認められるアジア人になれたのかなと笑
人気者の友達も平均的なアジア人よりは多いし、
スポーツも中の上ぐらいだったし、
人間としてはちょっと面白いと思われるとこまで行けた気がしますが、

最終的にまあまあでした笑
さっきの図で言うと、こんな感じですかね。

そんなことより
人に認められるために日々行動していたため、
自分という人間が何なのか分からなくなっており、
結局自信を持つこともできず、
アメリカの8年間は劣等コンプレックスを抱えたまま終わります。

もうちょっと気持ち良い話で本パートを終わらせたいのですが笑
長いのでPart 2に繋がさせて頂きます。

お時間ある方は是非読み続けて頂ければと思います。
ここからちょっと明るく、楽しくなります。なるはずです笑


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Joki
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