「甘え」
私は今日、多分、彼氏と別れる。
というのも、彼に非があるわけではない。
多分日があるのは私の方、なのかもしれない。
わからない、思い当たる節はない。
でも、最近気付いた彼のある兆候から、私が何かしたのかも、彼はもう私を嫌いになったのかも、と思うようになった。
それも最近に始まったではない、付き合ってからずっとそうだと気付いた。
もしかして、最初から好きだったのは私だけだったのかな。
私は今日、晩御飯の後、彼にその話を切り出すことにしていた。
------------------
美月「ただいま…。」
○○「おかえり。今日も遅くまでお疲れ様。ご飯出来てるよ。」
美月「うん…ありがと。」
○○「ん…何かあった?元気なさそうだけど…。」
美月「ううん、何でもない…。」
○○「…?」
今のが私の同棲中の彼氏、○○くん。
私は彼に背を向けて、部屋に入った。
夜8時。私達は遅めの夕食を2人で食べていた。
家事の効率化のために、風呂には前もって入ってある。
食卓の手前の洗面所からは洗濯機の動く音が聞こえる。
視線を前に向ければ、私と同じ献立を食べる彼の姿があった。
彼とパチリと目が合い、私は思わず目を逸らしてしまう。
いつもの光景、いつも聴いてる音なのに、これから私が彼にする話を想像すると、全て異質なものに感じる。
美月「…ご馳走様でした。」
○○「…はい、お粗末さまでした。」
彼は怪訝そうな顔を私に向けてくる。
困惑してるのだろう。
彼が洗い物を終え、ソファーでひと段落し始める。
大体いつもこの時間は暇になる。
いつもは談笑の時間なのだが。
私は話すならこのタイミングだと思っていた。
美月「ねぇ、○○。」
○○「何?美月。」
美月「私達、別れた方がいいのかな。」
○○「えっ…。」
あれ?
明らかにショックを受けたような彼の顔に違和感を覚えた。
彼は私のことを最初から好きではなかったのでは?
何でそんな悲しそうな顔をするの…?
でも、こっちには先ほどから言っているように、最近気付いた彼の行動というカードがある。
それを思い出すと、やっぱり彼は私のことを最初から好きじゃないんだと思わされた。
私の言葉は続く。意思は揺らがなかった。
○○「待ってよ…何で急にそんなことを…。」
美月「○○はさ、私のこと、好き?」
○○「好きだよ、そりゃもちろん。」
美月「じゃあさ…、」
美月「なんでいつも愛を伝える行動が私だけなの?」
○○「…ん?どういうこと?」
美月「私さ、気付いたんだ。」
美月「私達、ハグもキスも何回もしてるじゃん?」
○○「…うん。」
彼は少し間を空けて照れながら頷いた。
頷かせるには意地悪な質問をしてしまっただろうか。
いやいや、じゃなくて、何で照れてるの…?
なんか、変…?
いや、でも…。
美月「そのハグとかキスをした時さ、いつも私からじゃん。」
○○「あ…。」
美月「○○の方からそういうのしたいって言ってくれたことないじゃん。」
美月「それに気付いたときさ、どうしてなのかなって。それで…。」
○○「…。」
私はいつのまにか涙を流していた。声も掠れてきた。
美月「○○は…私のこと好きじゃないのかなって…。」
美月「何ならずっと、最初から好きじゃなかったのかなって…。」
美月「好きだったのは私だけなのかなって…。」
彼は数秒ほど沈黙して下を向いた後。
私のことを抱きしめた。
美月「えっ…。」
○○「ごめん、美月にそんな事を思わせるつもりじゃなかったんだ。」
○○「そんな悲しい事思わせるようなことして、ごめんね…。」
彼は私の背中をさすってくれた。
彼の腕の中。あったかい。
今までのどんなハグよりもあったかくて、嬉しい。
私が泣き止んだと思った○○はゆっくりと私の体を離した。
○○「本当はさ、俺もハグとかキスとか、たくさん愛を伝えたかったし、実は、色々甘えたりもしたかったんだ。」
美月「…じゃあ何で…、」
○○「いや、美月がそういう事をしたいって申し出てくれた時は、美月がそれを望んでるって事だから、俺は喜んでそれを叶えてあげるんだけどさ。」
○○「俺がハグとかしたいって申し込んで美月にハグするってことはさ、美月はそういう気分じゃないのに俺の願望に付き合わせちゃうってことになるじゃん?」
○○「それがなんか申し訳なくて…。」
美月「…ん?」
そこまで聴いて、今度は私は困惑した。
なんか、思ってたのと流れが違う?
○○「特に最近は仕事で疲れてるだろうから、そこに俺が何かを望むのは…、」
美月「待って待って。」
○○「…?…はい…。」
彼はキョトンとした顔で黙る。
美月「え、そんな理由?」
○○「そんな理由って?」
美月「私を自分のハグしたいとかって欲に付き合わせるのが申し訳なかったから、って理由で、今まで君からは何もしてこなかったの?」
○○「…うん。だから美月からハグしたいとかキスしたいって言われた時は、自分の欲も叶うから、内心すごく嬉しくて、噛み締める感じでそれに応じてた…。」
美月「じゃあ、○○も私に甘えたいって思ってくれてるの?」
○○「うん。」
彼は下を向いて、またちょっと照れ気味に頷いた。
可愛い。
美月「私のこと、ちゃんと好きでいてくれたの?ずっと?」
○○「当たり前じゃん。今まで好きじゃなかった日なんか一日もないよ。」
今度はまっすぐ目を見て言ってくれた。
私は途端に恥ずかしくなった。
少しでも彼の愛情を疑ったのが申し訳ない。
いや、元はと言えば彼のこんな不器用すぎる変な行動が原因なんだけど。
美月「もう…バカ!」
○○「いや、ごめんって…。」
○○「だからさ…別れるなんて言わないでよ…。」
美月「うん、うん!別れない!ごめんね!もうそんなこと言わないから!」
美月「でも…。」
○○「…でも?」
美月「すこーしだけ美月ちゃん傷ついちゃったなぁ。」
○○「え、ごめん!ごめん!俺何でもするから!」
美月「何でも?」
○○「う、うん…。何させる気…?」
美月「これからは、変に甘える事に気を遣わないこと、約束して?」
○○「え…そんなこと?というか、いいの…?」
美月「い〜い〜の!」
○○「わかった、これからは、甘えたいときは、その…甘えたいって言えるように頑張る。」
美月「よーし、じゃあ、早速実践!証拠見せて?」
○○「え?」
美月「今までずっとしてもらいたい事とか溜め込んできたんでしょ?それ言ってみてよ、なんでも叶えてあげる。」
○○「…何でも?引いたりしない?」
美月「しないよ。」
ここまで会話して、私は襲われるかなとか思っていた。
いや、それをされる覚悟はできていた。
○○なら、いいかなって。
でも…。
○○「なら…膝枕して欲しい。」
美月「…ほえ?」
○○「だ、だから…ひざまくら…してほしい。」
かわいい。何その要求。
美月「そんな事でいいの?」
○○「ん?そんなことって?」
美月「いやいや、何でもない!」
美月「じゃあ…おいで?」
私は膝をポンポンと叩いて彼を迎え入れる。
彼は恐る恐る私の膝の上に頭を預けた。
初めての感覚。
私の膝の上で大好きな人が寝てくれている。
○○「…頭、撫でてほしい。」
美月「ん…。」
私は仰せの通りに、彼の頭を撫でた。
○○「あ〜…幸せ…。ずっとこうしたかった…。」
美月「○○、ずっとこんな事したかったんだ?」
私は彼の顔を覗き込みながら言った。
○○「う、うるさいな…やっぱり幻滅した?」
美月「ううん、ぜーんぜん!むしろ君が私を必要としてくれてる気がして嬉しい!」
美月「ねぇ、○○?」
○○「ん?」
彼が頭を捻り、顔を上に向けたその瞬間。
私は彼の唇を奪った。
○○「んっ…!?」
美月「えへへ…こういう形でするのも、悪くないね?」
彼は顔を真っ赤にして、言葉が紡げないのか、何か言おうとしては飲み込むを繰り返しながら、こちらを見ていた。
思いっきり照れていた。
そうして、しばらく彼に膝枕をしながら、彼の頭を撫でていると。
彼のすうすうという変わった呼吸音が聞こえてくる。
彼の顔を覗き込むと、彼は満足そうな顔で、寝息を立てながら眠っていた。
私の膝の上で。
美月「何だよ…動けないじゃん…。」
私は微笑みながら、そんな独り言を言った。
一晩中彼を膝枕しながら頭を撫で続け、やがてそのまま、私も眠りに落ちた。
------------------
それからというものの。
○○「ただいまー!今日は俺の方が遅かったね?」
美月「おかえなさい。お風呂の準備できてるよ?」
○○「…ん。」
彼は両手を大きく広げてくる。
ハグして。の合図。
美月「ダーメ。まず手洗ってうがいして、そのスーツも脱いで、お風呂に入ってかーら!」
○○「ちぇっ…は〜い。」
彼は従順にシャツのボタンを外しながら部屋に入っていく。
美月「フフッ…子どもみたい。」
そう、彼は今まで抑えてきた私に甘えたい欲望を隠さなくなってきた結果、今のように積極的に甘えてきてくれるようになった。
どうやら彼は実は甘えん坊気質なところがあったみたい。
風呂に入り、食事も終え、食器を洗い終えた○○がソファーに座り、いつものくつろぎタイムに入る。
この前ここで話をしたのと同じ時間。
○○「はい!全部終わったよ!」
彼がまた手を大きく広げてまたハグを求めてくる。
美月「しょうがないな~。」
今度はそれに応え、彼の腕の中に飛び込む。
彼は私のことをしっかりと抱きしめた。
意外と強めに。
○○「えへへ~。みじゅきだぁ~。」
甘えモードになった彼は舌っ足らずになるので「美月」が「みじゅき」になってしまうのだ。
そんなところもいとおしい。
でも、ちょっと甘えん坊になりすぎかな…?
○○「みじゅき~?」
美月「ん~?」
○○「だーいすき!」
美月「フフッ…私も大好きだよ~。」
まぁ、いっか!
「甘え」 終
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?