ミッドサマー 蜂になって生きる幸せ。

ミッドサマー面白かった。
観てない人は読まないで下さいね。

私はミッドサマー、蜂になる幸せの映画だと思った。

蜂。
そう蜂です。
蜂って社会性昆虫なんですよね。
彼らは本当に集団の為に生きている。

役割がありそれを果たして行く。
女王蜂ですら真の意味では女王ではなく、子供を生む役割を果たしているだけ。

集団が一つの個体であるかのような蜂達の生き方は、美しさすら感じてしまうですよね。

主人公の女性が訪れることになった、あの村はそんな蜂達に似ていると思ったんですよ。

主人公は不安感を抱いています。
1人であることが怖い。
だから彼氏と離れられない。

常に不安を抱える妹に振り回され続け、家族まで奪われたから、余計にそうなるわけです。

1人にしないで。

同じ場所にいて。
感情を理解して。
想い合って。

実はこれ、悪いことではないんですよね。
何故か彼女自身がそんな自分を責めているけど。

物語の始まりの冬の寒さみたいに、それは厳しい。

1人で考えろ。
1人で耐えろ。
1人で頑張れ。 

強く。強く。強く。

そう責めているのは冷たく見える彼氏ではなく、彼女自身だったりするんですよ。
 
しかも、その理由がね。
他人に(彼氏等)に迷惑かけたくないからだったりするんですよ。

結局、自分のためじゃない。
でもそんな気持ちすら、彼氏にとっては迷惑なわけで。
本当のところは。

で、あの村です。

あの村は集合体として生きているわけで。
命さえ分け与える。
集団のために。
 
分け与えてくれたことに感謝し、悲しみ、喜ぶ。
そこで集団のために死ぬことは決して迷惑になどならないんですよ。

彼女が彼氏の迷惑にならないように、苦しまないですむように、と死を選んだとしても結局迷惑にしからならない外の世界とは違って。

彼女はこの村に来て、この村の一員になるべき人間だったんです。

外では彼女の愛は「迷惑」にしかならない。
分け合うことに意味などないから。
共感し、溶け合い、一つになることなど、何の意味もないから。

彼女はやっと自分を受け入れてくれる、そして、自分もその中の一つになれる場所をみつけたんです。

なので、ハッピーエンドだと私は思ってます。

ですが。
私には恐ろしい。

私のように他人の感情が読めず、他人と共に行動することが苦痛である人間には、あの村は地獄です。

とけ合えない自分。
交われない自分。
それを今以上に突きつけられる毎日など・・・。
あの村に生まれなくて良かった。

彼女を追い詰めた冷たい世界の方が私には天国だったりします。

でも。
蜂の命が集団のためにかけがえのないものであるように、たしかに、このコロニーでは命は無価値ではないのだと思います。

集団のために生きている限り。

でも、これ、危うい。
危ういのにどこか魅力的でさえある。
その危うさこそが、とってもホラーだと思いました。

#ミッドサマー

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