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モノマネ芸人の苦悩からウラヨミ

なぜか面白い「モノマネ」

私はモノマネが好きです。観るのはもちろん、自分でもよくモノマネをします。noteを始めた頃、最初は自分が運営している「神アニメランキング!虹見式」とコラボした音声コラムを配信していたんです。そのオープニングでモノマネを披露しているので、興味がある方はコチラから覗いてみてください(笑)

私のモノマネは置いといて、モノマネって、自分ではない誰かの真似をする訳じゃないですか?趣味程度にやる分には、何の問題もないんですよ。そこそこ笑いも取れたり、盛り上げられたりしますから。
鉄板なのは、学校の先生のモノマネですよね。特徴がある先生がいたら、絶対ウケるんですよね。お笑い芸人やモノマネ芸人の原点は、先生のモノマネをして笑いに目覚めた人も多いんじゃないかと思います。ただ、内輪ネタなので、それで勘違いしてしまった人も多いのかもしれませんが・・・。

以前、『水曜日のダウンタウン』で、「先生のモノマネ、プロがやったら死ぬほど子供に受ける説」という検証があったのですが、モノマネ芸人は先生を知らなくても、子供は大爆笑だったんですよ。この放送は、月間ギャラクシー賞を受賞した「神回」だと言われていて、めちゃくちゃ面白かったんです。Youtubeに挙げている人がいるので、観た事ない方は一度観てみてください!

モノマネが面白い構造

手っ取り早くウケるのに、モノマネはうってつけかもしれませんね。リズムネタも同じことが言えますが、今回は触れません。
もちろん、似ていることが条件ですが、なぜ「モノマネ」が面白いのか、正直理由はわかりません。なんか面白いんです。しかし、不思議なもので、似れば似るほど面白くはなくなるという逆説があるんですよ。これは、「漫才」の構造に似ているのかもしれませんね。少しズラすことが笑いが生まれます。当たり前のことを言っても何も面白くはありません(「あたりまえ体操」を悪く言うのはやめてください)。ボケでズレたことをツッコミで訂正する。それが単純な漫才の構造ですが、モノマネは一種の「ボケ」で、ツッコミは視聴者だったりします。だから、似過ぎているモノマネはただ鑑賞するだけなので、「すごーい」「似てるー」とは思っても、面白くはありません。

テレビで見られるモノマネ番組は、フジテレビと日テレがありますが、私は断然日テレ派です。フジは歌がメインなので、それほど面白くはないので。そんな中で輝いているのがミラクルひかるさんと山本高広さんですけど(笑)ディスるつもりはないので、このくらいで(笑)

モノマネ芸人の苦悩

さて本題です(笑)
モノマネは、自分ではない誰かを真似する芸ですが、そこに「自分」と言う要素は邪魔になります。しかし、人間には「承認欲求」があります。本人に似過ぎても面白くはなくなり、自分が出過ぎても面白くない。モノマネが面白い幅というのは、意外と狭いんですね。

モノマネが、笑いが取りやすいというのはわかりましたが、どこか、リズムネタのような「禁断の果実」感があるのも事実です。もちろん、モノマネの世界はとても厳しいものがありますが、モノマネ芸人として売れるということは、本家ありきなので、自分自身だけの力ではありません。なので、最近多い、スキャンダルによって本家が叩かれてしまうと、モノマネできなくなってしまいます。例えば、リトル清原さんなんかは、一気に露出が減りました。また、スポーツ選手のモノマネの場合、引退されるとこれまた露出が激減します。例えば、今年引退したイチローさんのモノマネをしているニッチロー'さんも、個人的には大好きですが、引退バブルを機にめっきり見なくなりました。

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そして、連日登場しているアイデンティティ田島さんは、孫悟空ではなく「野沢雅子さん」のモノマネをすることでブレイクしましたが、カツラを取って化粧を落とせば自分だと気付かれず、野沢さんの声で「モノマネやめてぇ〜!」と言っていたこともありました(笑)田島さんとしては誰にも気付かれないからです。それはやはり辛かったようですが、今はどう思っているのでしょうか。

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モノマネでどんなに人気になっても、本家の姿が常について回ります。自分を消して芸をするのは、最初は良くても、中々続けられるものではありません。どこかで割り切らないと、やってらんないでしょう。

モノマネ芸人の生き残る道は「自分力」

そこで、モノマネ芸人として生き残るのはどうしたらいいか。それは、モノマネが面白いと感じる隙間を突くことです。その成功者となっている代表格が、コロッケさんと神奈月さんです。

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この際はっきり言います。コロッケさんと神奈月さんのモノマネは、正直あまり似ていません。でも、私はこの二人がもの凄く大好きです。それは、ギリギリオーバーするほど自分を出しているからです。神奈月さんに至っては、似てるか似てないかではなく、「やりたい」だけでモノマネをしているそうですが、似てなくても、似せてくる所がたまらないんですよね。ある意味、この二人のモノマネは、モノマネを超えていると思います。もちろん、新人からいきなりそれができるほど、甘い世界ではありません。その地位に到るまで、本当に似ている(笑)代表的なモノマネもあり、苦労もしてきています。

似ているかを追求した所で、二人はもうそれでは満足できないのでしょう。むしろ、できないそうなモノマネを自分だったらどう表現するか、どう笑わせるかの方が大事なんじゃないかと思います。おそらく、見ている方もそうなのではないでしょうか?だからこそ、モノマネなのに自分を出すという禁じ手を認められ、求められるようになったからだと思います。

ただ似ているだけのモノマネは代用品でしかありません。モノマネなのに、似てないモノマネを求めてしまうのは、最強ですよね。その極地にいるのが、ハリウッドザコシショウなのかもしれません(笑)

ちなみに、コロッケさんには中華街でお会いしたことがあるんですが、とても素晴らしい方でした。お店に入る所を取り巻きがいて、写真を取ってたんです。マネージャーさんが、「次で最後です」と言っていて、諦めようとしていたら、コロッケさんが

「君たちは撮った?」
「あ、いえ・・・」
「じゃあ撮ろう撮ろう!」

と快く写真を撮ってくれたんです。元々好きでしたが、もっと好きになりました。

今回言いたいことは、自分を殺してまで、手段にすがってはいけないということです。もしそれしかないなら、割り切るしかない。人それぞれ幸せは違うので、どうすればいいかなんて言うつもりはありませんが、人間である以上、モノマネという「芸」ではなく、自分自身を認めてもらうことの方が重要だと思うので、モノマネに限らず、過去の功績とか、親の栄光とか、資格とか、それだけに頼るのではなく、オリジナルのアイデンティティを示していけるようにしていきたいですね。

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