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季重なりのこと|俳句修行日記
昨夜、師匠が帰ってからデスクで寝てしもて、出てきた師匠に「何ねこんどんのじゃ」と小突かれた。けど寝ぼけとって「ネコちゃう…」と口ごたえしたらしい。それで、次のお題は「ネコ」なって、「ねこんでも やねこいことは夢ならず」と詠んだ。
すると師匠、「ふざけるな」と大声出して、「こういうのがネコじゃ」と、他人の句を提示する。そんな中に、芭蕉の「猫の恋止むとき閨の朧月」というのがあった。ボクは、そこに勝利を確信して、「『猫の恋』と『朧月』で季重なりじゃないですか」と指摘すると、「季重なりを強調するのは、お前のような初心者だけじゃ」と師匠。
「子規も虚子も季重なりを否定しとらん。むしろ、あまり意識し過ぎると季語が足かせになって、狭小な世界に留まり続けることになるもんじゃ。」
「肝は、季語が何を語るかということじゃ。複数の季語が同じ季節を導くためだけに用いられるのなら、不要ということになる。複数の季語が対立するものなら、個人の心の中だけの偏った情景ということになる。」
「季重なりを避けることは、無駄と作為を省くためのひとつの知恵じゃ。季語同士が響き合う句というのもあるもんじゃぞ」と。
なるほど、分かり申した。じゃあ一句。
「横っ面ひっかかれてもネコに恋」
あっ、ムキになっちまった…(つづく)