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師匠の喜怒哀楽|俳句修行日記
師匠に「喜怒哀楽を表現しろ」と言われてから、ボクの俳句はこうだ!
梅の花見頃の雨は悲しくて
桃の園柵に阻まれ悲しくて
花のない樹下の深酒悲しくて
師匠、なんじゃこりゃと呟いて、「まあいいがな…」と。
しかし、俳句というものの基本は、感情を表す語を避けるものだという。寂しい、楽しい、嬉しい…そんな言葉はたくさんあるが、それを用いると、一般的に景色はぼやけてしまうものだと。
「色付けするには都合がいいが、ものごとのディテールは覆い潰されてしまう…」
ならば、師匠の言う『喜怒哀楽』とは何だ?
師匠のたまう。
「目に映るものには、既に情が宿っておる。」
どういうことかと聞くと、景色は心の投影なのだと。句作とは、それを見つめて言葉に置きかえること。そこで「寂しい、楽しい、嬉しい…」などと直情的な表現を使っていては、細やかな世界をベタ塗りしてしまうようなもの…
『写生』とは、眼前にひろがる『喜怒哀楽』に言葉をあてて、心の深淵に『苦しみ』を解放すること。つまり、心に生じた苦しみを、写生という反芻手段で明らかにし、生きていく糧とするもんだよと。(修行はも少しつづく)