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俳句の奥義|俳句修行日記
このところやる気がわかない。師匠に喝を入れられたので、「俳句って、なんか虚しいじゃないすか。わずか十七文字の言葉が、様々に解釈されて、こちらの意図したことが伝わらない」と言った。
師匠のたまう。「それが俳句の面白さじゃ。己の口元を離れると、その句はもはや個人のものではない。聞く者は、その者が占める座標からそれを見つめるもんじゃ。よって、一つの俳句が持つ景色は、鑑賞者の数だけ存在するものぞ。」
「俳句は、他者を動かすために詠むもんじゃない。俳句を公表するということは、己の視野を広げ、生き方を社会に問うということ。それは静かなる相聞であって、己の望む見返りを求めてはならんのぞ。」
はじめての言葉に「ソーモンてなんっすか?」聞くと、「心の相間を埋める響きのことよ」と師匠のたまう。よう分からんかったから、ChatGPTに聞くと、「お互いに秘密を明らかにし、共有し合うことを指します」だと。ホントか?
そのことを言うと、「間合いを意識していない回答だな」と師匠。さらには、「そこに愛は生まれないぜ」だと。
師匠に言わせると、間合い無くんば、『ええ愛』は育まれないようで。
「間合いこそ俳句の奥義じゃ」と師匠のたまう。「それはまた、社会生活の奥義でもある」と。
「間合いとは何ですか」と聞くと、「自他を意識して保つ、他者との最適な位置関係のことじゃ」と。「そこに芽生える思いは、何者にも依存することなく、倦むこともない。」
「これこそが、人々が求める自由の正体ぞ」と師匠言うが、よく分からん。まあいっか(_ _).。o○(つづく)