「言葉に出来る」を取り戻せた話
言葉に出来る、ということがこんなにも自分を自由にするとは思わなかった。
初めての社会人、僕がまだ銀行員だったころの話。
上司への仕事に関する相談や報告が、自分には難しすぎると感じた。
オープンオフィスという職場環境。
自分のまとまらない様子を皆んなに見られ、聞かれてしまうことが私をさらに焦らせた。
振り返れば、言語表現に対する指摘が何よりも辛く、うまく喋られなくなっていた。
社会人として常識とされる書き言葉や、業界独特の単語や説明に私は苦戦をした。
3年目を目前に退職する頃、多少はマシになっていたと思うが、それでもかなりの息苦しさを感じていた。
しかし、私にも上手く言葉にできることがあった。
心や内面で生じていることについて言葉で伝えることだった。
非常に抽象的で感性的なその世界を、相手に伝わる言葉に工夫してから喋ることが好きだった。
仕事で活かされることはほとんど無かったが、
趣味で始めた音声ラジオで、その能力は発揮されていた様で、少しは人の心に届いている実感を持つことが出来た。
私にとって内面に向かうことは自然なことで、
その中で知覚したことを言葉で言い捉えようとしているときがもっとも楽しい時間だった。
その内もっと複雑に、自分の内側を知りたいと思うようになり、本の世界もそんな僕をさらに加速させてくれた。
私は内なる世界に好奇心があった。
そもそも、自分のやりたいことってなんだろう?
そう考え始めた新社会人の僕だったが
当時は、何か分からないけど やりたい事を探すって楽しいなワクワクするな という感覚で時間も忘れ、心の中を探求しノートにメモを取った。
やりたい事を探す、というのは自身の内面に向かう作業でもあり、コレが私にはとても良かった。
自分の心(内なる世界)に向かい、それを知覚するという私の大好きなことをやれていたからだ。
やりたい事は既に見つかっていた
しかし、それに気づくにはかなりの時間が掛かってしまった。
でも振り返れば、ずっとやりたい事をやれて来ていたと知る。
やっと私は、それを目の前に置いて取り組める。
内なる世界を言葉で捉える。