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じぶんの人生をどんなものにしていくかを考え出す時期は人それぞれ違うと思います 10歳の頃から思い描く人もいれば、17歳辺りで真剣になっている人もいる もっと言えば40歳とか、大人になってから真に向き合う人もいるはず。 それが僕は22歳の頃だったと振り返っています。 それまで全然考えてなかったわけじゃないけど、 「僕の人生かぁ」と自分ゴトとしてやっとある意味 自我が芽生えて考え出したのが新卒社会人の22歳の頃でした。 社会人になったタイミングで真に人生を考え出すというの
じぶんにしか分からないこと というのは、たくさんある その1つに 以下が考えられると思う やりたいこと・実現させたいことは自分の心から湧き起こるものだから、それをどう順序付けるかは自分にしか分からないことだと思う。 「今いちばん、実現してほしいこと」 こう考えると少し見えそうになる 欲張りそうになるけど、まずは1こだ。 2番目に実現してほしいことじゃだめ もちろん3番目もだめだ では自分の中でどれが1番なのかを、どうしたら分かるか?? それは 実現さ
実は、けっこう悩んでる。 僕の2025年の計画 8月に北欧フィンランドへ中期滞在(1ヶ月)して、 そして帰ってきたら 福岡 ▶︎ 東京へ転居すること。 このビジョンを身近な人に宣言していく中で 唯一 兄だけは開口、「良いね」とは言わなかった 俺は「なんでだよ」と言いつつも、 どこか図星を突かれた気持ちになった。 こういうのはだいたい、自分の心が一番分かってるというか… どちらか一方に集中した方が なんとなく良い気がしていたからだ。 フィンランドに
一日お休みだったので一人サイクリングに行きました 普段生活している可動域というのは、固定化されがち 今日は、普段ぜんぜん行かないだろうという方向へ行ってみることにしました。 通りかかった川に掛かる橋の上 向こうには、比較的 近い山々の景色 「(あっちどうなってんだろなぁ)」 直感というのは大体こんな感じで湧き起こります なにか分からないけど、懐かしさのような、でも少し淋しい気がする景色に、 その先を見てみたい とする気持ちになりました。 ※ホントは一度通り過
クーラーが寒く感じてきた朝の目覚め 夏なのか秋なのかよく分からない狭間にあるこの季節 10月という時期は、なぜだか毎年すこしだけ憂鬱になる だから今年も身構えてるんだけど、 その原因は、きっと年末も見えてきて切実に人生について考えたり、 それによる行動を起こすからだろう…と振り返る。 環境が変わる時って、 掴まっていた木から向こうの木まで「バッ」と飛び移ってる時で、 ある意味 空中に放り出されている状態みたい。 しかも向こうの木に掴まれるかは不明。 今 た
「やりたいことは全部やりたい」 って思う 今日という時間、 限りある時間 やっぱり焦っちゃって、 何からやろうかと悩んでしまう そのうち途方の無さを感じて立ち尽くすことがある そんなときはたいてい「逆算」でモノを考えている 逆算的になにかを始めようとすれば、 真実を見失うかもしれない 次第にやる気も失せていく だからこう考える 「今率直にやりたいことは?」 直感的に、反射的に選ぶ そういった小川でぴちゃぴちゃ足をつけるところから始めれば 分岐は繰り
光は、1秒もあれば地球なんか7周以上を駆け巡る。 そんな光が1年かけて到達する距離を1光年と呼ぶ。 なんて距離なんだ、と一瞬 絶望感にも似た神秘を感じるが またそんな光が100億年かけて進んでもずっと広いのがこの宇宙で… という話を聞くと、 『はぇ〜宇宙はこんなにも広いんだなぁ』 と 脳が追いつかないだけなのか、考えるのを辞めて、 どこか自分とは無関係で遠いお話 って気持ちになる。 しかしこの広大さは、自分たちとの無関係な話ではない。 自然な私で生きるとき
いきなり何もないところから「自由になりたい」なんて思わない 自由になりたいのは、不自由だったことがあるからだ。 長らく、学校組織、教会という組織、会社…に居続けた僕はたくさん傷つき、「自分」という大切な存在を守るため たくさんの術を身につけてきた。 まわりと一緒で在ることが美しいその世界は、自身の選択を惑わせる。 振り返ると、いつも か細い本心の声は僕の耳元でささやいていた。 過ぎ去っていった時は二度と戻ってはこないけれど、 今はとても素直になれていると思うんだ。 自分
僕の新年は12月15日には始まっていた。 2022年は内面も外界にもたくさんの変化があって やっぱりちょっと疲れちゃって、 でもちゃんと年末になるに従ってギュッと収まって、進みたい道が見えてきたというか、意識が次のステージに移ったのを感じられたんだ。 それは自分の人生を真剣に考えるという僕の中の指向性のおかげだし、様々な引き寄せのおかげでもあって、支えてくれる人がいてくれること、ちゃんと考える時間があったからだ。 ここまで来れたのは、一人では決して不可能であったし、全ての存在
嬉しいことがあった。 発信して2年近くになる音声SNS「stand.fm」での僕の配信、 先日 stand.fmさんに私の配信をピックアップに選んでもらい、Instagramのストーリーで紹介してもらった。 おまけにフォローもしてくれた 僕の配信がたくさんの人に届いているのを感じたんだ。 この現象は僕にとって、とても意味のあることだったんだ 僕の心の望むままの好奇心と、少しの緊張感を含んだその行動がきっかけで起こった現象だったからだ。 信じていた僕の答えに「YES!(その調
私の願いは、 『あなたの役割を全うして欲しい』 ということ。 あなたの創造目的を成就してほしい あなたという存在目的に適う場所で輝いてほしい 僕もやっていってる途中だよ。 僕は思った、 皆んなより少し先にいるだけで充分なんだ って。 そしたら勇気を与えられる。 感動して 奮い立たせるよ。 "証" とは、言葉よりも 実体に依る所が大きい。 そう 僕は、モデルになりたい。 だから 私は 自分の願いの為に、そして 私の後に続く者たちの為に 勇気を出すんだ。
この間、久しぶりに歯医者さんに行った。 (歯医者ほど 後回しにしてしまうものはない) そう思いながらなんとか力を使って行けたんだ。 口を開きながら考えていたんだけど、 なんでこの人(今 僕の口の中をガリゴリやってくる女性)は 歯科医師になろうと思ったんだ? その時、子どもの話し声が聞こえた。 そして僕はこう仮説した。 「小さい頃 歯医者さんへ行くのが怖かったんです。 だけど、その時の歯科医師さんがとっても優しくて、 安心しました。 だから私も大人になったら不安
ずっと不安だったんだ。 この世界は、ほんとうに美しいのか。 愛の世界なのか。 信じていいのか。 一度、確認したかった 扉でもキィと開けて「よし」と確認できたらいいんだけど、 心のよりどころや 依存しているものを脱ぎ捨てないとそれは 確認できないんだ。 なにを言っているか、分かるかな。 何にもすがれない 精神的な「生身」にならないと真に 掴み取りたいものは掴めないんだ。 ほんとうに恐いよ。 人って何かに心を預けていないと、こんなに身体が震えるのか。 文字
『 絶対 』はあるし、 『 永遠 』もある。 これは 変わらない僕の考えの中枢だ。 形あるものはいつか壊れるし、 生命あるものはいずれ死ぬ。 だけど、 『 絶対・永遠・唯一・不変 』はある。 これを "確認した" のは、もうすぐ誕生日を迎える20歳の12月30日。 今の僕には あまりにも十分だった それだけでもう大丈夫だった それが分かっただけで僕は 心からでた言葉だった。 それは 僕が生まれる前から僕の事をよく知っていた。 ずっと昔と変わらないでい