時間が奪われているという思い込み
日常の排出物です。
先日携帯電話を新調し、快適なスマホとなった。
以前の携帯電話は、5,6年前のarrowsをつかっていて、何をやるにしても1分以上かかるほどに不便であった。
三日程前に飯田橋の竹子で、学校の同級生と飲む機会があったのだが、そこで俺が支払うといってPayPayを起動してみると、なんと起動まで2分ほど要した。
「不便すぎる」
こんなのは氷山の一角であり、多々起こることなので時間が奪われている感覚がしていた。
これを機に、と新天地に着く前に新調したのだが‥
いったいどうだろうか。
以前まではスマホが大変不便だったため、なるべくさわらない生活を送っていたのだが、それがむしろ人間として充実した日々になっていた。
ところが、新調したとたんに使用時間が倍々と‥
いまとなっては、前までスマホに煩わされていたのを含めた使用時間を軽く超過してしまい、新調したのにもどかしい。
不便益という名前を昔テレビでみたことがある。
確か京大の研究室だった気がするのだが、素数モノサシとかを作ったりしていたとこが言っていた気がする(適当)
不便益の話は、キャンプブームを説明するのに都合よくて、言葉通り不便には利益が含まれるということを研究しているらしかった。
誠に失礼ながら、「どうでもいい研究が世の中には沢山あるものだ」と思っていたが、この場ではその区分のおかげで行動の説明ができているので感謝したい。
今の僕は利便性を手に入れて大量の時間を無駄にしているし、不便益も当然ない。
結果としてなんの益も得ていないように思う。
現代病というものは良いものを買うだけで患う病のようで、科学の進歩が人間を進歩させるのではなく、"文明人"という新種の輩を作り出す。
"文明人"じゃなく人間に戻りたい。
スマホとのつきあい方を見直すには、それ以外の時間をうまく使えるようにするとよさそうだ。
ただそれだけを意識してみよう。
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