前に恋人の話をしたが、またやってしまったと思ったので 大学で仲良くなった異性がいた ほんとうにほんとうに思考が似ていてとても気に入ってたのだが彼女が出来てから一切の連絡が来なくなった 前はずっと連絡が来ることに悩んでいたのに来なくなっても悩むらしい 私に恋人がいても仲良くしてくれることに安心を覚えて仲良くしていたはずなのに連絡を取らなくなるという選択を取られたことで私はやはり異性であり彼女のようなものの枠に入れられていたんだと思い虚しい どこまでいってもたかが女なのだ
私の健康は1度大きく破壊されていてそこから再構築しただけのものなのだが、もともと完成されたものでもなかったのかなと最近感じる まず生まれる、これは良かったな へその緒が首に2周巻いていたことぐらいで元気で健康だったこれこそまさに健康 幼稚園入ったあたりから他人との接触に重きを置きすぎて1ヶ月に1度は熱が出た 別に風邪でもないから毎回白だしでネギ抜きの卵うどんを食べて1日の自由と母を独占することで回復していた 小学生の時はそこそこ元気だった特に1-4は まだ皆勤賞は取った
最近好意を向けられるとああとなってしまう やはり向いてないのだろうな 私がいいと思ってくれてるのはとてもよいがもうどうすればいいかわからない 可愛いって言われるのがいいねって言うと可愛いって言ってくるのもどういう心? 遊びに行く約束をしたら頑張れるわーとか言うのもどういう心? 迷ってるのかなそれともやっぱり付き合い方忘れちゃったのかななんて言ったら可愛いのかわからない でも結局選ばれないんだと思う
予備校にいるが静かすぎて喋っている人の声は全部聞こえる 静かにして欲しい訳では無いが会話内容が聞いててとても辛いのでイヤホンをしたいがしてても聞こえるのでなすすべがない ノイキャンのワイヤレスでも買うべきだろうか
お酒飲んだらどんな感じかなあなんて会話あるあるだけどじゃあ1年後確かめなきゃねって言われるの苦手 卒業したら!とか20になったら!とか大学合格したら!とか幾度となく裏切られてきて結局覚えてるのは私だけで期待して生きて生きてきたのに 私が死んだらその予定が死んで少し悲しむかなって思って生きているのにそうでもなさそうなことに傷ついてしまう
新しく保険に入って説明を受けた なんで私は生きるためにお金を掛け捨てにしているんだろうと思ってしまった 明日死んでもいいから
私は単語を意識してみたこと無かったんだなと最近思う 英文を見て、(なんて書いてあるの?)となった時にふと思った 18年生きてて英文の書かれた服も英語のバックも好きな音楽の歌詞だって英語が使われてるだけで単語は語感でスペルなだけであった そもそも26の記号がならんでるだけで意味を持つとか意味わかんなすぎ!!!とか思ってた こんなバラバラに並んでるのを使いこなすようになるなんて絶対に無理だと思い込んでいたのかもしれない 最近は文法と品詞のおかげでやっと文が意味を持つようになっ
多分私の脳みそは言葉が浮かんで消えてまた出てきてとても重たい思考をしてると思う だからといってそれが受験に関係あるかと聞かれたら無いし毎日頭がいっぱいで苦しい 私は彼氏に求める条件が友達に求める条件とほぼ一緒なんだ 予想するに父との関係が一般的では無いからだと 異性の魅力というものがあまりよく分かってないハグして手繋いで位までなら友達とでもするでしょうとても大切な友達なら でもそこから先CとかDとか(表現古すぎる?)口に出すのも幅かれるぐらい必要性が理解できない つい最近
まあ今まであまり考えずに生きてきた おとぎ話だと思ってた そんな幻みたいな作り話を毎日本当のことのように報道しているように感じた 実際に事実なのだが この日本にも非力さを感じ涙を流している国民もいるというのに私はまだ何も感じとれない 感じとれてしまったら毎日私はどうして生きていくのだろう 笑うことも食事も出来ずに泣いているだろうか いますぐ終わるということは無い 1秒でも早く向日葵が咲きますように と祈ることしか出来ない ps 本当にもう報道は見たくないんだ 語彙力も知
好きな物って? 私は広く浅く好きなものがある でも公言したりはあんまりしてない だって私より好きな人がいるものが多いから だって好きな物を理由に私を押し図られたくないから 私より知識があって歴があって愛があってお金をかけている人なんてごまんといる さらには私の好きな物を好きな人のジャンルが決まっているならそこにぶち込まれてしまうわけで 相手の 常識 という名の偏見で私のことを捉えられるのは耐えられない 広く浅いがゆえに馬鹿にもされてしまうかもしれない そうゆう被害妄想に悩ま
私今なんのために他人の投稿を見てるんだろうってふと思う ただの日記とかただ踊ってるだけとかただの景色とかただの食べ物とかただの愚痴とか 人と共有して楽しむものなのに ただの投稿に躍らされて気落ちする こんなことならsnsなど辞めればいい こんなことでいちいち悩む私はなんて弱いんだ 1日に何をしてもいいのにこんなことをしているのかと何度も思う 本当に悔しくて泣いてしまう時もある だけど簡単に辞められるのに辞められない この世の中じゃ無いと生きていけないと決めつけて目を逸らし
ずっとメモ帳に溜め込んでいた私の考えをどこかにぶつけたいと思う日々だったがいつも誰かが辞めた方がいいと囁いてきた だが今24時間のうち自分にかけられる時間が多いこのときに書くべきだと感じた 拙い文でも味がある気がする(あるといいな) 私は 作文 が苦手だ 創り出すことが苦手なのではない 作文自体が苦手なのだ 私は褒められる書き方を見つけてしまった それは人によれば嬉しいのことなのかもしれないが 褒められたい私と好きな文章を書きたい私 文字を書いているうちはずっと付きまとって