バーチャルの風、リアルの風
バーチャルの風が、懐かしい匂いで私の頬をなでる。
バーチャル:Yayoi Summer days
今日もバーチャル空間にダイブする。フルトラッキングの私は、目前に海が迫る和室にひとり、足を投げ出してすわる。
もうリアルワールドでは夏はとっくに通り過ぎてしまったけれど、ここでは未だ現役だ。じりじりと焼かれるような暑ささえも感じてくる。
あ~。
暇だ。
平和だ。
フレンドたちは集まって談笑しているのだろうか。私もあとで混ざるつもりだとはいえ、今だけはこうしてリアルでは逝ってしまった夏を感じていたかった。
しかしまぁ、一人でここにいると、穏やかで、暇だ。
ふと、普段だったら絶対やらないようなことがしたくなってきた。周囲に誰もいないとなると、ちょっとだけイタズラというか、「何か」をしてみたい気がしてきた。
思い立って大の字になって寝転がってみた。
天井が高く見える。
ちょっとだけ、畳の感触がある。リアルワールドでは硬くて冷たい床の上に居るのに。
風鈴が揺れ、風が入り込んできた。ように感じる。
そのまま天井を見ていると、次々と記憶が頭の中を駆け抜けていった。
こんな高い天井は、そういえば昔いった古民家で見たな。確かそこはかつての名士の自宅で、8畳も10畳もあるような和室が沢山並んでいる家だった。「ここは当主の間です。来客があった際にはこちらで●●氏は迎え入れていました」という説明パネルなんかそっちのけで、その時も大の字になってね転んだのだった。
畳の感触もそうだ。幼き頃住んでいた居宅は畳敷きだったから、日常的にあのザラザラするような、スベスベするような感触を足裏に、手に、体全体に感じていたはずだ。
古い家だったから、今ここに敷いてあるような緑色ではなかったけれども。
ふと目を横にやると扇風機が回っている。扇風機なんて最後に使ったのはいつだったかな。
猛暑日を越えることが多くなってきた昨今の日本の夏には、もはやエアコンは必須で、冷えた空気を吸い込むことはあっても扇風機が暴力的なまでに運んでくるぬるい風を浴びるのは久々なことだ。
そのままどれぐらいたったか。もうわからなかったけども立ち上がり、縁側に腰掛けてみる。まぶしい。思わず腕で日を遮ってしまった。バーチャル空間ではあまり意味がないのに。
クジラが空を往く。
『くじら雲』という小説が教科書に載っていたのは小学校低学年の時だった。内容は、もうよく覚えていない。
このワールドには、概念としての「夏」を想起させるすべてがある。まぶしい日差し、青空、水、蚊取り線香、アイスキャンディー、扇風機、風鈴…
でも、きっとこのワールドにある「夏」はそれだけじゃ完成しないだろう。この仮想の「夏」には、ぬぐいがたく分かちがたく、リアルワールドでの体験が結びついている。
リアルワールドで感じた天井の高さを、触れた畳の感触を、風の気持ちよさを、終わりそうな蚊取り線香のにおいを、VRを通して追体験しているんじゃないだろうか。
バーチャルで感じた「夏」は、リアルワールドの「夏」と共にある。
この「夏」を楽しむためには、存在しない「夏」に身を浸すためには、どうしようもなくリアルワールドでの体験が必要だったのかもしれない。
くじら雲を見ながらそんなことを考えた。中秋の夏だった。
リアルワールド:某所
秋を含んだ風が、通り過ぎていく。
今年の夏も、なーんにもできなかったな。もう涼しくなってきて、セミも鳴いてなんかいない。
ここではくじら雲が空を飛ぶことだってない。
そんなリアルワールドの、今ここで感じている感覚を、感触を、感傷を、忘れずにバーチャルに持ち込もう。
そのことがまた、私のバーチャル世界は広がりを持たせるのだろうか。