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Vtuber底辺論~全肯定botは誹謗中傷の夢をみるか~

はじめに

おまえたち全肯定botには信じられないようなものを私は見てきた

Twitterの近くで燃えるどうでもいいネタ

タンホイザー・ゲートの近くで暗闇に瞬く訴訟ビーム

そんな思い出も時間と共にやがて消える。雨の中の涙のように。

死ぬ時が来た。

1、「誹謗中傷」って重い言葉じゃねぇの?

侮辱罪で訴訟することがやりやすくなるそうだ。それから、インターネットでの誹謗中傷にすげー対応が楽になるみたいだ。

我らがVtuber界隈でも、大企業'sがこぞって「誹謗中傷対策チーム」を設置しているし、これからのインターネットのトレンドは誹謗中傷ビジネスになりそうだ。おそらく、「過払い金」と同じくらいにはいいビジネスになるだろう。

いきなりこう書き出すと、誹謗中傷対策チームアンチだと思われそうだけど、普通に全然そんなことはない。むしろもっとしっかりやれとさえ思っている。●●おんとか●●ゲー●報とかそういうヘイトアフィカスもぶっ潰してくれたらいい。クンバンハ!の●●くんが本当に訴訟されて、刑事罰なりなんなり喰らえば、約束しよう。赤飯を炊いてお祝いしようじゃないか。

と、いうと、なんでこのnoteをわざわざ書いているのかわからなくなりそうだな。今回のメインは「感想」「批評」「誹謗中傷」の差に関することだ。

いやさぁ、アンスレまとめとか、そうじゃなくても某動画のコメント欄とか、ニコニコのコメントとかで「はいお前それ誹謗中傷ーーー!通報したから震えて眠れ」みたいな系統のコメントめっちゃあるじゃん?

とくに対策チームできてからというもの、「お前の発言誹謗中傷だから」というタイプの新たなコメント同士でのバトルとか、「対策チームって言論統制かよ!」とか、不毛of the yearなバトルがずーーーーっと繰り広げられているじゃん。

ついでに言えば1週間に1回くらいまわってくるよね、個人界隈でも。「誹謗中傷をうけました」云々。

もう大体ちょっとでもネガいこというと「はい誹謗中傷」が飛んでくるから、もう我々に残された選択肢は「うんうん」の全肯定botしか残されていない!!!じゃなかったらアンチ!!!

しかし本来、まぁ普通に考えればわかることだけど、「誹謗中傷」って重い言葉だよな?だってガチの誹謗中傷って、フツーに裁判沙汰になることだし。

そして、それじゃあ感想とか批評とか、そういうのはどうなるの?線引きは?ってことを、ここらで一回整理しておいた方がいいだろ。と思っているわけだ。

2、「感想」「批評」「誹謗中傷」をしっかり分けて考えよう

さて、じゃあまとめていくぞ。あ、そうそう、まず最初に提示しておかなくてはいけないのは、「素人が偉そうに批評とかするんじゃねぇよ後方P面がよ」とか「人の嫌がることを言うのはやめよう」とか「対案が無ければ意見を言うな」とか、そういう全肯定botが言いそうなことは全部否であるとうことだ。

それは、忍耐強くこのnoteを最後まで読んでくれれば自ずとわかるはずだが、簡単に要約しておけば「公開されたものに対し、意見を自由に発言する権利は誰にでもある」という至極普通の観念があるからだ。この辺がわかってない連中が「はいお前のそれ誹謗中傷!」みたいな過敏な反応をしてると思うんだけど。

まぁいいや、本題に入っていこう。

まず、「感想」。これは普通に「●●面白かった」「●●つまらなかった」ということだな。これは普通にいっていいだろう。「つまらなかった」は「人の嫌がることをいうのをやめよう」という派閥の「心優しい」「いい人」にとっては悪かもしれないが、つまらないものにつまらないといって何が悪いのか。

というより、実はこうした素朴な「感想」というのは、自分のパフォーマンス(動画/配信)のブラッシュアップの為には必ず聞かなくてはいけないものだ、と私は思う。なぜなら、独りよがりの活動をしていてもドツボに落ちていくだけだからだ。

というと、「対案が無ければネガいことをいうな!」という派閥の人がなんか言ってくるかもしれない。だが、素人の感想なんて往々にしてそんなものだ。そういう素朴な感想を分析するために、そういう専門家の人がいるわけだから。

ネットで聞きかじった話をしよう。ある鉄道会社が客に「どういう鉄道の進化を望みますか?」というアンケートを取ったところ、「もっとスピードを速くしてほしい」という回答が多かったそうだ。そこで、より早いダイヤを構築し、遠距離もスピーディーに移動できる車両を開発したが、なかなか評判がよくならなかった。

そこで、改めて同じ質問をし、同じように「もっとスピードを速くしてほしい」という回答をした人により深く話を聞いたところ、ある人は「遠隔地の人とビジネスをするときに少しでも早く到着したいから」と答え、ある人は「貨物列車で輸送するときに荷物(生鮮食品)の鮮度を保ちたいから」と答えたそうだ。

「鉄道を早く」して欲しいという人が本質的に求めたのは、鉄道を早くすることで解決できるのではなく、例えば通信機器の発達や冷蔵能力の向上などに振り向けるべき課題だったのだ。しかし、素人はそこまで丁寧に物事を説明できない(場合がおおい)ので、「早い鉄道」という形でしか表現できなかった。そして、それを真に受けた鉄道会社は速度向上を実施し、結局評判がよくならなかった。

じゃあちゃんと言語化できない素人が悪いのか?そうじゃないだろう。これは鉄道会社の分析能力がなかっただけなのだ。

素人の感想には、実は多くの情報が込められている、ことが往々にしてある。なので、そうした「感想」を「対案がないから」といって切って捨てていいものでもないのだ。

つまりだ。言語化できない「面白かった」「つまらなかった」というラフな感想(=鉄道の例でいうところの「早い鉄道が欲しい」)の中から課題(=本当は仕事で遠隔地の人とコンタクトをスムーズにとりたいという欲求)を発見し、活動にフィードバックしていく必要があるのだ。個人なら自分で、企業勢ならマネージャーやなんやらの力を借りて。

その浅い「つまらなかった」の中には、実は本質的な問題が隠れているかもしれないのだ。

というわけで、「感想」を対案も無しに言うことは問題ない。ましてや「つまらなかった」は誹謗中傷ではない。

次に「批評」。感想よりももう少し論理的に組み立てられるもの。これも当然問題ない。あまりに的外れな場合は、批評者自身が他者から批判されることはありうるが、そのリスクも込みで発言することに問題はない。

noteで定期的に地獄のような長文をお出ししていた「にじさんじ衰退論」のアレなんかに顕著だろう。アレは、私見ではズレているところもあると思うが、一つの論理(例:にじさんじ上位と下位の格差/APEXの魔力)に基づいて現象を説明している。これに対して「この現象を例外として扱っているがそれはおかしい」というような「批評に対する批評」は有用だが「じゃあ見なければ?アンチくん乙!」みたいなコメントは、むしろその方がズレているだろう。

Vtuberの側も、例えばそういうネガティブな批評を見たとしても、そこに提示されている「論理」を見て行けば、なぜそのような批評が書かれることに至ったのかを振返ることができる。「自分としては○○と思っていたのに、リスナーとしては●●と捉えていたのか」と考えることは、あるいは企業勢ならそれをマネージャーやディレクションする人に指摘してもらうことは、活動を展開していくなかでほぼ必須事項といえるだろう。

なので、「しっかりした論があること」「批評に対する批評を受け入れること」さえできていれば、批評も当然問題ない。

では誹謗中傷とは何か?簡単に言うと「はいつまらないお前死ね」とか「引退しろ」とか「●●は○○に数字で負けているから存在価値がない」というような発言だろう。

そも「誹謗中傷」の「誹謗」とは「悪口をいうこと」であり、「中傷」とは「根拠のないことを言い、他人の名誉を傷つけること」である(google先生調べ。正確にはgoo辞書とコトバンク)。

つまり「名誉を傷つける」ことが一番問題なのだ。「死ね」「引退しろ」「存在価値がない」のような言葉こそ一番問題なのだ。

普通に生きていればそんな発言を、ましてやインターネットに残そうとは思わないだろうが、アタマの中身が足りてない連中はそういうことは思いつかないらしい(こういうのが名誉を傷つける発言)。

まぁ長々と言ってきたが、簡単に要約すれば以下のようになるはずだ。

感想:「つまんねぇ」
批評:「つまらなかった。というのはこういう理由じゃないか」
誹謗中傷:「つまらなかった。しね」

3、配信者も少しは受け入れる取捨選択をしよう

でだ。昨今見られるのが、Vtuberの側が「ネガティブなことを言わないで!」みたいな注意喚起をすることだ。まぁ、これは一理ある。コラボの時とか。一般常識として、例えばライブの時にブーイングをしない、みたいなノリで配信のコメントにはネガティブなことを書かない、みたいなことはわかる。

でもさぁ!一切の「感想」や「批評」まで過剰に敏感になって統制するのは間違いでしょう。多分いわゆる「全肯定bot」が怖がられる(婉曲表現)理由ってこの辺りにあるんじゃないだろうか。一切ネガティブなことをいわない統制の効き方、その不気味さ。

誰にだってあうあわない、乗れる乗れない時があって、いつでも100点なんてことはない。ネガティブな反応があることも、ごく自然なことだ。

でも全肯定botにはそれがない。つねに肯定。じゃあ心底心酔してそれこそ神の啓示の如くすべてを受け入れているのかというとそうでもないだろ?大体イニシャルにしてなんかかいてるじゃん。じゃなかったら匿名掲示板で書く?ゴミカス.comで書く?じゃあ結局同じじゃん。そしてそういうのが「ねがてぃぶのいし」とかを当てられるといわゆる「反転アンチ」に進化するわけ。

だから、Vtuber側ももう少し、そういうネガティブな反応があってもしかたないくらいの気持ちでいた方がいいと思うんだ。

当たり前だけどVtuberのリスナーもそうだからな。

この界隈はなんというか、あまりにもネガティブな反応に敏感すぎるんだよね。「嫌な気持ちにする」ことに対して過度に敏感というか。

「だれも傷つかない発言を心がけよう!」みたいなnoteを見たことがあるけど、そんな発言あるわきゃねーだろ!!誰も傷つかない発言なんてニアリーイコール何も言わないだぞ?

人間(私みたいなのを除けば大体人間…ですよね、皆さん?)ポジティブな感情を持つこともあればネガティブな感情を持つこともある。それは当然のことなんだから、それはそれとして受け入れていこうよ、ってのがこのnoteの結論かな~。

おわりに

ここまで論旨を整理すると「全肯定botは些細な感想や批評を誹謗中傷扱いするな」ということになる。まぁそれが大正解なんだが、ここでちゃんと言及しておかないといけないこともあるな。

つまりアレだ。アンチのためにアンチしてるアンスレ住人とかは論外だ!!!!お前らは全員捕まれ!!!!!叩くために情報集めて叩くな!正気に戻れ!!!

ま、そういうわけだから、リスナー同士の不毛なバトルだとか「誹謗中傷」認定カードバトルはすぐにやめて、「常識的な範囲と言葉遣い」で「感想」を呟いたり「批評」してみたりしような。



感想や批判がVtuber界隈に有益ではないと感じてるみたいね

感想や批判をする連中はは他のリスナーと同じだ。有益にもなれば危険にもなる。有益であるうちは、何も問題ない

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