【転職へ】ただの営業マンが社長を変える
こんにちは、Johnson&です。
前回初めて投稿し、あまりにも長くなりすぎて今回続編になります。
2社目の勤務先の京都の同族雑貨メーカーで、
社長交代式典の管理職でもないペーペーが企画した話から。
意図としては高齢の社長へのリスクでした。
ただ、そこの息子さんはなかなかのぐうたらで
社内の5割くらいは顔も見た事がないというくらい。
下っ端には見えないところで会合に出てるとかだとまだいいですが、
そうではない、ただのおぼっちゃまくんでした。
昔はお兄さんが継ぐ予定だったようですが、
様々な圧力があったのか精神的な病にかかり、
必然と弟にその責務が回ってきた経緯があります。
父親が社長という重圧は支えがないと立ってられないと思います。
ただ積極的に会社に来てコミュニケーションを取る訳でもなく、
一方で社員もあまり慕ってはいなかった(存在も知らない)ので、
このミッションは非常に困難でした。
社長交代を期待しているのは60代付近のいわゆる大ベテラン。
そして父親である初代社長と母親の副社長くらい。
中間管理職はというと揃って現実から目を背けるタイプで
巻き込まれたくない、今が良ければいいという4,50代。
新卒や若手は存在を知らないレベル。
絶望的ですが、前回でお話しした通り私には
若手のフォロワーがいました。あとは覚悟だけでした。
まず主要の実行者は私含め3人。
日程的にも式典会場予約が先決でキャパシティも見えないままですが、1人を会場担当とし信頼する上司は全体責任者として立って頂きました。私は本社で開かれる新作発表会を大規模化し社内設備フル活用し、周年記念展示会の企画と新たなBtoB向けECサイトの立ち上げを実行していました。
社内的にも初めての事で、
私自身PCに強い訳ではなかったですが、
ECサイト立ち上げはプロジェクトとして人選して
責任を持って進めました。
式典会場担当も初代社長の意見を頼りに京都の一流ホテルの一室を貸し切り料理や設備の段取り、当日の進行スケジュールやおみやげの準備までしっかりと行動していました。
責任者の上司は1番大変で役員会で逐一状況報告をし、
その都度あーでもないこーでもないを幹部に言われ、
見てみぬふりをする中間管理職を前にフラストレーションはとても溜まっていました。
私たちもその状況を聞き、
何もしてくれない事への落胆を感じながらも、何とか対応も全て行ないました。
徐々にその姿勢と朝礼などでも初代社長から毎回話題に出してもらって、他部署にも浸透していき協力してくれる部長も増えてきました。
ただその段階でも営業部の役職者は全く協力することなく、
立場上やむなく相談を持ちかけても、お前らが勝手にやり出した事やろと案の定責任から逃げまくっていました。
その態度に退職の意向が強くなっていました。
たとえ式典が成功したとして、体制が変わったとしても
その人と一緒に同じビジョンで社会で戦うのは無理だと感じたからです。
もちろん今に始まった話ではないです。
毎年期末ギリギリに期首の会議で発表する為だけの
年間施策を考えさせ、部長の発表する会議資料も
私が作ったりと実質管理も何もしていない管理職でしたが、
この人を支えるのは人生の時間の無駄という気持ちが強くなり、次変な事してきたらどんな状況であれ辞めようと誓いました。
話を戻しますが、一部協力者のおかげで社長交代式典と周年記念展示会、ECサイトの立ち上げも紆余曲折ありましたが、何とかカタチとなりました。
当日は3人ともずっと走り回り、ノンストップでもちろん不完全なところもあり様々な意見も言われましたが、そういう時は特に意思決定も早くスムーズに遂行できました。
式典にはお客様が約150名集まり、
社長が会長になり、新社長が就任する瞬間を共有して頂く事ができました。
式典が終わり招待客をお見送りをしたあと、
全体責任者の上司が本当にお疲れ様と握手してくれた時に
胸が熱くなった事は今でもすぐにフラッシュバックします。
式典後の幹部との打ち上げで会長、社長、副社長から本当に3人はよく頑張ったとねぎらいを受けた時にやっと肩の荷がおりました。
晴れて新社長に変わり次の日の朝礼。
辞令がありました。私の名前が呼ばれました。
営業部での昇進ではなく、営業サポートという事務職の長の兼任というものでした。何の相談もなく。
第2回も長くなりました。この辺で切らせて頂きます。
次回「前に進む半年」編をお送りします。
最後まで読んでお付き合いいただきありがとうございました。
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