ライトノベルでやるべきではなかった?「君が衛生兵で歩兵が俺で」考

 私はライトノベルをあまり読まず、読んでいたとしても「キノの旅」や「学園キノ」「小さな国の救世主」「先輩とぼく」などといった年代の作品が多いので、ライトノベルにとって2010年代前半という年がどういう年だったのかというのはよくわからないのですが、おそらくはどんな作品であろうと出せば売れる状態だった時が終わり、売れるためには数あるライトノベルの中から手にとってもらえる「目立つもの」を刷らないと生き残れない、そんな状況だったのだと思います。今回紹介する「君が衛生兵で歩兵が俺で」を読むと、そう思わせられます。

 本当はやりたくなかったんですけどね。でも前回の「宅配コンバット学園」と同時に買って読んだ以上、ちゃんとレビューしないのは違うかなぁって。

それはラノベで書けるのか

 この作品のテーマはなんと「改憲の是非と自衛隊の存在」です。重い。ライトノベルで扱うには重すぎるテーマです。異能力者と戦って世界を救ったりするほうがまだサクッと楽しめそうですが、たぶん重い他にも「生々しい」ってのがありそうですね。

 なんせ「自衛隊」と、実在の団体(と同名の別団体)が出てくるわけです。自A隊と逃げを打った宅配コンバット学園とは腹の据わり方が違います。現実味がありますね。まえがきやあとがきにもあるように、この作品に出てくる自衛隊は架空の団体で、実在する同名の団体とは無関係ということになっているので、そのところを常に念頭に置いて読み進めたほうがいいです。

 さて、改憲の是非と自衛隊の存在というテーマですが、もちょっとしっかり解説すると「憲法9条で戦力の放棄を掲げているのに、戦力を持つ自衛隊がいるのは違憲ではないのか。だから憲法を変えよう」という一時期流行ったアレです。この作品の登場人物はだいたい改憲賛成の人たちなので、そういう論調で話は進んでいくのですが、その手段というのがCoup d'État. 日本語だと「武力による政変」と訳せますが、いくら架空の団体と前置きしたとしても、よくこの内容で防衛省は何も言わなかったなぁ。

 とまぁ、こういった重く生々しい話をテーマにしているのに、若年層向けのポップカルチャーで発表するというのは「もっと別の場所があるんじゃないか」と言いたくなるもの。もしかしたら「次世代を担う若者に、憲法と自衛隊のことを考えてほしい」と書かれたものなのかもしれませんが、だとしたらこういったフィクションではなく、ちゃんと防衛省や自衛隊を実在の団体とした上で、起こりうるケースを想定し、それに現行法ではこういった問題があるから改正しようという論調で進めたほうがいいような気もしますが、それはもう小説じゃないですね。たとえそういう意図があって書かれたとしても、後述するように内容が内容なので、その意図は伝わったかどうか。

小隊長の異常な執着 またはなぜ彼女は自責するのをやめて政変を企てるようになったか

 予め言っておきますが「この世界の法律と現実の法律は違うから議論は無意味」と言ったツッコミは無用に願います。冒頭で「あたらしい憲法のはなし」や「日本国憲法」を引用している以上、実在の法律を基に考えるのが筋というものでしょう。

 ここからは本編の内容を引用したりするので、未読の方は本編をお読みになってからこちらを読みすすめることをおすすめします。

 さて、本作の実質的な主人公はクーデターによって政権を奪取し、新たな国家体制を構築しようとする繭川 巴です。30代前半ながら防衛大臣と、自衛隊の教育機関である武山高校(下士官を育成する学校で、現実の高等工科学校が近いか)の校長を兼任する才女です。いくら何でも防衛大臣と他の役職を兼任だなんて過労死するんじゃないかと思うんですが、話が進むにつれどんどん他の役職も兼任しだしたりするので、この世界の大臣という職は案外なんてことないのかもしれない。

 この大臣、冒頭の初登場時でいきなり他人の食事(運ばれる途中の乾パン)を他の人が見ている前で堂々と盗もうとするので「うわぁ」と思っていましたが、法律軽視で自分のやりたいことを通す姿勢はこのときから表れていたのかもしれないですね。だとしたら伏線がさり気なさすぎる。

 そんな繭川大臣は、過去のとある出来事をきっかけに国の姿勢と自衛隊の立場に不満を抱き、そんな状態を変えるべく自衛隊を辞して政治家となり、ついにはクーデターを起こすに至るのですが、その出来事とは「イラク派遣時に武装勢力の攻撃を受け、部下が死んだため」というもの。自衛隊のイラク派遣時に「そういうことが起きたらどうするんだ」と国会で議論になったのは私も覚えていますが、私が気になったのは「攻撃を受けたときに、当時の繭川小隊長は何をしていたか」です。

 かいつまんで状況を説明しますと、軽装甲機動車1台と高機動車2台の車列で連絡任務のため移動中、車列の2台目である高機動車が地雷を踏み行動不能に陥り、ついで側面から小銃による攻撃を受けたものの、要撃(反撃のこと)命令は同乗していた事務官に取り消され、行動の指針については指揮所に無線で連絡し指示を仰がねばならないという状況下で威嚇射撃以外は何も出来ず、最終的に繭川小隊長は規則を無視して要撃命令を下すというもの。なお指示を仰がねばならないという規則への違反は、要撃命令が出たのとほぼ同時に指揮所から要撃の許可が降りたので不問とされた模様。関係ないけど高機動車って10人も乗れたんですね。

 ここで問題となるのは「小隊長が指揮する小隊に命令を下したところで、事務官がそれを撤回する権限を有するのか」「差し迫った状況下でわざわざ後方の指揮所に無線で連絡し、指示を仰いで行動を決定しなければならないのか」「要撃はこの状況を脱するのに適切な措置か」という点です。

 疑惑の三点セットのまずは1つ目、これは指揮系統の問題ですが、防衛省の組織図に事務官という役職がなかったので早くも詰みかと思ったのですが、事務官について本文中に「防衛庁の高級官僚」とあるので、おそらくは政務官とか事務次官みたいな立場を想定したものだと思われます。そして彼らが自衛隊を指揮する立場にあるかと言うと、組織図を見る限りでは無理なようです。自衛隊は内閣及び内閣総理大臣、防衛大臣、防衛副大臣によって指揮される機関なので、他の官僚の命令は越権行為となり無効と考えられます。自衛隊法にも

防衛大臣は、この法律の定めるところに従い、自衛隊の隊務を統括する。

 とあります。他にも内閣総理大臣が最高指揮権を有するとか大臣は各幕僚長を通じて指揮を執るとかあるのですが、どこにも他の役職の名はありません。よってこの作品に出てくる事務官の命令は越権行為であり、無効であると言えます。

 そして「差し迫った状況下でわざわざ後方の指揮所に無線で連絡し、指示を仰いで行動を決定しなければならないのか」という点ですが、関係がありそうなのは「自衛隊法」における武器の使用について規定した部分と、「イラクにおける人道復興支援活動及び安全確保支援活動の実施に関する特別措置法」です。自衛隊法附則抄には以下のようにあります。

8  防衛大臣は、第三条第二項に規定する活動として、次の各号に掲げる法律が効力を有する間、それぞれ、当該法律の定めるところにより、当該各号に定める活動を行わせることができる。
一  平成十三年九月十一日のアメリカ合衆国において発生したテロリストによる攻撃等に対応して行われる国際連合憲章の目的達成のための諸外国の活動に対して我が国が実施する措置及び関連する国際連合決議等に基づく人道的措置に関する特別措置法 防衛省本省の機関又は部隊等による協力支援活動としての役務の提供並びに部隊等による捜索救助活動及び被災民救援活動
二  イラクにおける人道復興支援活動及び安全確保支援活動の実施に関する特別措置法 部隊等による対応措置としての役務の提供
9  次の各号に掲げる活動の実施を命ぜられた部隊等の自衛官は、それぞれ、自己又は当該各号に定める者の生命又は身体を防護するためやむを得ない必要があると認める相当の理由がある場合には、当該活動について定める法律の定めるところにより、武器を使用することができる。
一  前項第一号に定める活動 自己と共に現場に所在する他の隊員又はその職務を行うに伴い自己の管理の下に入つた者
二  前項第二号に定める活動 自己と共に現場に所在する他の隊員、当該職務に従事する内閣府本府の職員又は当該職務を行うに伴い自己の管理の下に入つた者

 繭川小隊長率いる小隊は今まさに苛烈なる敵の攻撃を受けつつあり、自身の他に「自己と共に現場に所在する他の隊員」と「当該職務を行うに伴い自己の管理の下に入つた者 (ここでは事務官のこと)」に対して生命または身体に危害が発生する虞が十分にあり、それらを防護するために「やむを得ない必要があると認める相当の理由がある」と考えられます。法律的には武器を用いた要撃は何ら問題がなく、たとえ指揮所が文句を言ってきても「テメー内閣府が定めた法令無視するつもりか」と言えるわけです。つまりこの状況下では、繭川小隊長は事務官の越権行為を真に受けたり、指揮所に連絡してのんびり指示を待つことではなく、直ちに要撃の命令をすることができるのです。だと言うのに繭川小隊長は事務官の越権行為を素直に受け入れ、指揮所に連絡して指示を仰ぎ、指揮所の回答が出るまで徒に時間を空費し、その結果として掌握下の隊員を死傷させたのです。この人本当に小隊長なのかなぁ。よくそれで幹部になれたものだ。

 部隊行動基準? 自衛隊の内規と日本国の法が矛盾した場合、法を優先するのが当然でしょう?

 最後に「要撃はこの状況を脱するのに適切な措置か」という点ですが、私としては「要撃は部分的に必要となるが、最終的に敵対勢力を撃破する必要はない」と思います。繭川小隊長が率いる小隊は「イギリス軍宿営地への連絡小隊」であって、決して警らや偵察、敵対勢力との交戦を目的とした部隊ではないのです。したがって敵対勢力を制圧したり撃破したりする必要はなく、要撃によって敵対勢力の攻撃の手を緩めさせたところで、地雷を踏んで動けなくなった車両に乗車していた隊員を別の2台に分乗させ、直ちにその場を離脱するのが良いのではないでしょうか。敵の攻撃で次々と隊員が死傷していくような状況なら、攻撃を仕掛けてきた敵対勢力への対処は、より戦力の充実した他の部隊に任せるべきです。下手に反撃したら敵が増援を呼んで、より強力な武器を持った部隊が応援に来るかもしれませんし。

 ですが繭川小隊長は離脱せず、敵対勢力と交戦し、撃破する道を選びました。部下を無意味に危険に晒す行為です。そもそも移動中に攻撃を受けるというのは決して想定外の出来事ではありません。映画「アイアンマン」でも移動中にトニー・スタークが乗った車が攻撃を受けています。その程度のことは非常に想定しやすいことであり、当然その場合はどう行動すべきかということが議論されていなければおかしいのですが、何故か指揮所は状況報告を受けてから要撃許可を出すまで随分と時間をかけています。まさかとは思いますが、想定外だったのでしょうか。小隊長、指揮所、そして同乗した事務官。揃いも揃ってノータリンです。このような能無し共の指揮下に入ってしまった自衛官たちが不憫でならない。

 そんなこんなで戦闘が終了し、泣き崩れ、死んでいった隊員の名を叫びながら謝罪する繭川小隊長。私にはこのシーンがもはや趣味の悪いブラックなコメディにしか見えないのですが、ともかく繭川小隊長は自らの判断ミスが部下を死なせたという自責の念に耐えきれず、死んでいった部下に謝っているのは間違いないです。

 そこに現れたるは軽装甲機動車の操縦手にして同車の機関銃射手、篠山半太三曹。彼は言葉巧みに繭川小隊長の思考を誘導し、本来なら彼女自身と指揮所、事務官に責任がある小隊の部下の死傷の原因を「国の体制が悪い」とすり替えさせ、現実を受け止めきれない彼女は自責の念を国への怒りに変換し、国家に対して反乱を起こす決意を固めます。自らの判断ミスが招いた部下の死を直視するのを避けて、もっと悪い言い方をすれば責任から逃げて、国を憎むことで安心を得る繭川小隊長。つくづくこんなのが小隊長やってる隊員たちが哀れでなりません。国に反旗を翻すにしても、自らの職務を全うした上で、死んでいった部下たちとその家族に国からの十分な保障がなされないと憤り人質事件を起こした映画「ザ・ロック」のハメル将軍を見習ってほしい。

 これらの経緯によって、繭川小隊長あらため繭川防衛大臣は国の体制を変えるためにクーデターを起こし、自らが総理大臣の地位に就くことで日本を変えようと奮闘するのです。改めてまとめると酷い経緯だ。

 そして回想が終わり、繭川大臣は「私は……部下も守れない、無能な指揮官でした。」と、その時死んだ部下の一人の息子で、この小説の(一応)主人公である大嶽隼人に告げます。どうやら自覚はあったようです。だからといって責任から目を背け、逃げ出したという事実は変わらないのですが。

 ところでこの本の著者も篠山半太氏です。いやぁまさか小説の著者と同名の人物が、結構重要な役回りで登場してくるとは。さすがの私もドン引きです。どれだけ自己顕示欲が強いんだ。

主人公たちの存在意義を問う

 ところでこの小説の形式上の主人公は陸上自衛隊武山高校の生徒にして繭川小隊長の無能による犠牲者の息子、大嶽隼人1等陸士とその学友、磯鷲音矢1等陸士です。繭川防衛大臣が設立したこの武山高校という組織はなんやかんや生徒がトラックを運転したりヘリコプターを飛ばしたりすることもあるらしく、それを知った時は「空の安全の前にはいかなる例外も存在してはならないと言うのに……」と目眩がしたものですが、まぁフィクションだしね。コナンくんが飛行機の操縦をするようなものだと思って割り切ろう。コナンくんの場合は非常時だったけど。

 話がそれました。この主人公たちですが、出会いは演習時に磯鷲1士がアメリカの海兵隊員に強姦されそうになっているところを、大嶽1士が海兵隊員の背後から無警告で首を折ったところから始まります。自らの窮地を救った大嶽に対し好意を抱いた磯鷲が距離を詰めていったという形ですが、例えるならば大型の蛇に追い詰められたネズミの目の前で、蛇が突如現れた猫に狩られたところで、ネズミは猫に好意を抱くかと考えると「そんなことはないんじゃない?」と私は思うのです。まだ声を掛ける余裕がある状況を現認しておきながら制止もせず、いきなり有形力の行使をするあたり「言葉が通じないやべーやつ」と思うほうが自然では。しかも後日そのことについて触れると「日本が法治国家でなかったら、俺はもっとスゴいことをしていたぞ?」と今風の言葉で言うとイキりだす始末。賢者の孫が思い出されますね。孫は関節キメたりしているだけなんでまだマシでしたけど。孫がマシってどんだけだ。

 そんな読者の狼狽をよそにクーデターは勃発、武山高校はまるごと繭川防衛大臣(=武山高校長)が直接指揮することになります。整列した武山高校生と台の前で「自衛隊の敵は周辺国でもテロ組織でもなく憲法9条」と政治的理念を演説、感銘を受けた磯鷲は自衛隊のではなく、繭川大臣が総統を務める政党「国社党」式の、右手を前に突き出し斜め上に挙げる敬礼をし、「勝利万歳」と叫ぶのですが、これはだいぶマズい。勘のいい方ならお気づきかと思うのですが、「勝利万歳」とは会主義ドイツ労働者、通称ナチスが党員間で用いたフレーズで、右手を前に突き出す敬礼は言わずもがなナチス式敬礼です。ナチスについて概ね悪い印象しかないという方がほとんどであろう現在において、ナチスを彷彿とさせる政党を主人公サイドにつけるのにどういった意味があるのか。わざわざ主人公サイドの理念に共感させないためにそうしたと私は考えるのですが本当のところはどうなんでしょ。なお国社党を英語で表記するとThe National Socialist Japanese Worker's Partyらしいので、和訳すると国家社会主義日本労働者党ですね。疑う余地などなかった。

 ところで、自衛隊員というのは政治活動は禁止されており、自衛隊法第六十一条にも

隊員は、政党又は政令で定める政治的目的のために、寄附金その他の利益を求め、若しくは受領し、又は何らの方法をもつてするを問わず、これらの行為に関与し、あるいは選挙権の行使を除くほか、政令で定める政治的行為をしてはならない。
2  隊員は、公選による公職の候補者となることができない。
3  隊員は、政党その他の政治的団体の役員、政治的顧問その他これらと同様な役割をもつ構成員となることができない。

 とあります。簡単に言えば「選挙に行く以外の方法で参政権を行使しちゃダメ」という話なのですが、特定の政党の理念に共感し、職務中にそのことを高らかに宣言するのはおそらく内心の自由や表現の自由に含まれないと思うのですがどうなんでしょ。どちらにせよ、この場面のあとで大嶽と磯鷲、それと武山高校での大嶽の友人である倉木1士は篠山2尉とともに繭川大臣の親衛隊を結成するので、こっちは完全にアウトだと思いますが。

 とまぁこんな個性豊かな主人公たちですが、作中での活躍らしい活躍は特にないです。話は主に大嶽の目線で語られるのですが、彼はクーデターの渦中にいるため、変わりゆく現状を一歩引いた目線で語っているというわけでもなく、かと言って物語の中心だったりキーパーソンだったりするわけでもないので、読んでて何度か「こいつら要らないなぁ」と思いました。繭川大臣と篠山2尉(クーデター時)だけでも十分話は回りますし、大嶽たちがやっていることは別段やってなくても大して変わらないですし。例えば磯鷲は「プロパガンダのために特撮番組を撮影する」ということをやるのですが、これが何かの役に立ったとかそういう話はまるで書かれていません。主人公たちのやることは基本だいたいこんな感じで終盤まで進んでいきます。「何か頑張っているけど報われない」というのを書くのには成功しているかもしれませんが、中盤までは彼らは命令を受けて行動しているわけで、自発的に何かやっているわけではないので、報われないとしたら命令がマズかったと判断せざるを得ません。おや、繭川無能説がまた強化されてしまった。

 終盤では内戦に発展し、主人公たちはそれに自ら加わるのですが、その内戦もグダグダで終わったため「引き際を見極めきれず、駄々をこねた結果無用な犠牲を出した」以上の感想は私には持てないです。誰か私以上に読解力があるなら、その視点で見たこの作品を同じように記事にしてください。気が向いたら読みに行きます。

反逆の行方

 何はさておき、クーデターは起こってしまったし、繭川大臣は「自分が正しい」という信念のもとやりたい放題やっていくし、結局憲法改正は成るかと言うと、見事に失敗します。やったね!

……と片付けるのも何なので、もうちょっと掘り下げていきます。

 発端はテロ組織「赤い十月」が首相と官房大臣を暗殺。言うまでもなく繭川大臣が裏で手を引いています。臨時代理予定者の名簿順位において2位であった繭川大臣が首相代行に就任、予め自衛隊の治安出動を容易にしておいたため「治安出動」の名目で都内各所と各政党本部に自衛官を貼り付け、国会を掌握した後に憲法改正を発議するものの、法律上は内閣総辞職と衆議院解散、同選挙のほうが先なので形式上やっておくかー程度に考えていたら衆院選で敗北、諦めの悪い残党が最後にひと暴れと言わんばかりに陸上自衛隊の指揮を離れ日本陸軍と名乗り抵抗、最終的には「国民に戦争を演出するという目的は達した」とよくわからない理由で抵抗をやめ降伏する――というものです。

 やりたいことは憲法改正なのに、そのために首相はじめ多くの人を殺し、議員を恫喝し、国民を見下した態度を取る繭川大臣の姿勢には全く理解も共感もできないのですが、本人はこれでいいと思っていたのでしょうか。素直に根回しして衆議院で発議、賛成多数で可決させたほうが各方面の反感も買わないし、予め治安出動を容易にする手筈を整えて都内に部隊を配置、必要なら実力行使で従わせる――とかやるよりも手軽で費用対効果が高いと思うんですがいかがでしょうか。どうにもこの人は「自分のやりたいことが第一で、その妥当性は考慮しない」という思考回路をしているようにしか思えません。手段が目的化というのはこのことを言うのでしょう。権力を与えちゃ駄目なタイプです。こんなのの下で頑張ってきた篠山2尉以外の自衛官は本当に大変だったろうなぁ。

 そして衆院選で敗北し、目的が達成できないことを悟るや内戦を起こすことを篠山に命令、自身は腹を切って自殺します。いや比喩とかそういうのじゃなくて本当に刀で腹を切ってたんですってば。イラクで篠山にノセられて以降、人の話を聞かず、人のことを考えず、自らのやりたいことを押し通した結果が多数の殺人と自らの指揮下にある隊員の犠牲、政治的な混乱、そして多くの国民を危険に晒した上に特に何か目的を達したわけでもないっていうのは、過程を考えれば当然ですし、滑稽とか哀れとかいろいろ思うところはあります。だからといって2度も責任から逃れることは出来ませんし、本人は責任を取るという建前で自殺したわけですが。ただ、私にはこれがどうにも後に控える裁判で判決を受けるのを恐れて自殺したようにしか見えないのです。やっぱり責任逃れじゃないか(愕然)

「私には、国民に夢を見せた責任があります」とか言ってたけど、その夢、悪夢だったんじゃないかな。

 内戦についても「国民に戦争を演出する」と言ってましたが、それで憲法改正につながったかと言うと、後の国民投票で憲法改正が否決されたとあるようにつながってなく、まるで無意味だったわけですが「戦争を演出することで国民の意識が憲法改正に向く」と本気で考えていたのなら滑稽の極地です。前後が繋がってない。「憲法改正」という目的地に向かうために一般的な道を通らなかった結果、迷走を重ねて破滅という名の崖から転落したのが繭川です。繭川を憲法改正に駆り立てたのは篠山ですが、篠山は別にクーデターで国家体制を変えるということは一言も言ってないですし(始まってからはノリノリだったけど)、彼女について最終的な評価を下すなら「信じがたい杜撰とあるまじき無能を人の形に成形した存在」でしょうか。「非常識が軍服を着ている」という野党の評価が刺さりますね。なんでこの人、自衛隊の幹部とか省庁の大臣とか政党の党首になれたんだろう。

ネタを組み込んだからって笑いが取れるわけではない

 ところで先の章で「国社党がナチスをモデルにしている」という話をしましたが、この作品はそれに留まるところを知らず、各所に他作品のネタが散りばめられています。ですがそれらの殆どは「書いただけ」で、まるで文脈から遊離しているものも珍しくなく「これ書いときゃウケるだろ」程度の意識で各所に配置されたネタは、まるで出来の悪いコラージュ作品のように精彩と統一性を欠き、読者を物語の世界から遠ざけ、作品に集中することを妨げています。例えば記者会見で繭川が記者団に対し、冷戦下で放たれた有名なジョーク「我々は5分後に爆撃を開始する」を放ち、記者団が笑いに包まれるシーンがあるのですが、当然ながらソ連はすでに崩壊してなくなっており、この発言は全く場にそぐわないものです。私は正直「こいつ何言ってんだ」と思いましたが、この作品において何かのネタが出てくるとだいたいこんな感じですし、元ネタを知らなくても、読んでいて何か引っかかるときはおそらく何かのネタです。衛生隊員ではない大嶽が倉木に謎の栄養剤を注射をしたのは、別に伏線でも何でもなく何かのネタだったんだろうなぁ。著者はサブカルから政治まで、幅広いネタを知識として蓄えていたようですし、それは素直にすごいと思いますが、それをどう活かせばよいのかという知恵はなかったようです。

 タイトルからしてゲーム「君が主で執事が俺で」のパロディですからね。「君が主で執事が俺で」は漫画単行本を持っていますが、ナトセさんが可愛いですよ。高身長で顔もスタイルもいい上に格闘技が得意で格好いいのに、仕事ではドジばかりの可愛い枠というお姉さんキャラ。良き。

 他にも気になるところがあります。この作品、やたらと改行が多いのです。一般的に改行しなくてもよいであろうところでも容赦なく改行するため、ページの下の方はスカスカということもよくあります。また、著者が英語に明るいことが関係しているのか、同じ内容を日本語と英語で2度書くという誰が得するのかよくわからない場面も存在します。通訳した人(篠山2尉)が英語で同じ内容を言ったんなら「篠山2尉は、繭川大臣の発言を正確に英語に翻訳し、大使に伝えた」とか書いときゃいいものを。素直に言って読みづらいですし、同じ内容を日本語と英語で2度読む気はないです。この謎改行と日英併記をやめたら、本の厚みが2/3程度になって読みやすくなりそうなんですがいかがでしょう。

 それとこれはあまり気にすることでもないかとは思いますが、それでもやたら解説が詳しい部分とそうでない部分があるのは気になるところ。読みすすめる上で不自由ない程度に解説してくれれば、読者としてはそれで十分なんですが。無帽時の敬礼の仕方とか、しっかり解説されていた割にはその後一切出てきませんし。

まとめ

 いろいろ考えてみましたが、最初の不幸はこれがライトノベルとして出版されることになったことだと思います。ライトノベルの読者層に合わせて主人公を高校生にし、また様々なサブカルネタを盛り込んだ結果、主人公たちは基本的に状況に翻弄されるばかりで特になにかするわけでもなく、余計なネタばかりが目について作品に集中できなくなり、全体として話からまとまりが失われたという結果になったと考えております。著者が文章力に欠けるのはデビュー作だからある程度仕方ないとしても、それを指摘して修正させない編集は何をしていたのか。

 これらのことから、私はこの作品を「発表の場を移し、全編に渡って散りばめられたネタを排し、内容をよりしっかりとまとめ直し、読みやすく体裁を整えたら話題作になったかもしれない」と考えます。でも、そうはならなかった。だから、この話はここでお終いなんです。

おまけ

 作品終盤で出てくる、鎧兜に大小2本を携えて内戦に参加する戸山宗本予備3曹ですが、他の登場人物にボロクソ言われる以外に出番はなく、なんでこんな登場人物が出てきたのかなぁと思っていたら最後の最後に(友情出演)としてクレジットされていました。本人了承済みだとしたら余計な心配なんですけれども、小説に出してもらえたと思ったら頭のおかしい奴扱いされていたと知ったら、彼はどう思うだろうか。

 それと、これを読んだ友人曰く「一番面白かったのは作者の場外乱闘」とのこと。篠山半太氏にはぜひともより優れた小説を発表して汚名を返上してほしいものです。

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