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揺らぎの中で変わっている
昨日、1年ぶりに大学の頃お世話になっていた先輩に会った。
最後に会ったのは去年の8月、美味しいすき焼きのお店で高いお肉を食べさせてもらったのが最後だ。
当時、その先輩は社会人に2年目に差し掛かり、毎日の残業で時には土日も出勤しなくてはいけないほど多忙な日々を送っていた。
そのせいもあってか、ひどく顔がやつれていた。
1年も会っていないから大丈夫かなあと思っていたけれど、久しぶりに会った先輩の顔色は、良くなっていて安心した。
先輩は転職していた。
今は創業20年ほどのベンチャー企業で好き勝手やらせてもらっているという。残業も前職の倍ほど減り、日々夢中になりながら仕事をしているらしい。
とても羨ましかった。
1年でここまで変わるのだなあと思った。そして同時にぼくは1年でどこか変われているのだろうか、とふと自分の心に語りかけた。
人間の細胞は1年でちょうど全てが入れ替わると聞いたことがある。
ともすれば体自体は変わっていることになる。
けれどその細胞たちが作り上げるぼくの環境や内面は一向に変化しないように思えてならない。
ただ、正直なところ変化は怖い。
旅行で見慣れない土地へ行くとワクワクする反面、日常とは違った生活をすることに不安を覚えてしまう。
変わりたいとは願うけれど、変わることが怖いなんて、なんて贅沢なんだろう。
けれど社会人になった以上、変化していかないと、これから先の人生で取り残されるのではないかといった不安が襲う。
変わりたい、変われない、そんな気持ちに包まれている。
そんなことを思っている最中、ある言葉を思い出した。
”変化って揺らぎの中からしか生まれないでしょ”
”みんなそうやって少しずつ変わっていくんじゃないかな”
漫画『アオハライド』にある言葉だ。
ああ、もしかしたら僕も変わっているのかもしれない。
たとえば道に迷ったとして、どちらに進もうか悩んでいたとする。
まだ目的地にたどり着いていないから、焦りもするし不安にもなる。今の場所からどこか別の方向へ進まないと変化していないと思う。
けれど、こっちかもしれない、あっちかもしれないと悩んでいる心の内ではここではないどこかに行きたいと願っている。
目的地には着いていないけれど、ここじゃないどこかへ向かいたいといった揺らぐ気持ちがあることはもう変化と言えるのではないだろうか。
ぼくの生活は変わっていない。けれど、今の生活を変えたい気持ちはある。
強者の理論では、とりあえず行動してみろとか、悩んでいる時間が無駄だという言説があるけど、ぼくはこの揺らぎも大切にしていきたい。
8月になり、天気も徐々に回復してきた。
揺らいでいく心と一緒に、少しずつ変わっていきたいなと思いました。
今週もお疲れさまでした。