小さな同窓会
昨年、11月のある日、とてもうれしい出来事があった。
突然、旧友が会いに来てくれたのだった。
その日は、軽く雑談をして、近いうちに酒でも飲みに行こうかと約束をして別れた。
そして年明けに小さな同窓会が実現した。
当日、待ち合わせ場所からお目当ての店へ行く途中、友が「去年末、なぜ会いに来たのか?」その理由を語ってくれた。
わたしは数分でタイムマシーンに飛び乗った。
約40年前
教室での休み時間。自分の声がかき消されてしまうような、周りの笑い声や足音。
仲の良かった友達の名前。
担任先生の優しい表情。
家へ帰れば
今の自分よりも若い両親。
じいちゃんとばあちゃん。
当たり前のことだが、子供だったんだな。
そこには、大人が忘れてしまっている世界が存在した。
経験値の少なさ故、無邪気すぎて、正直すぎるからこそ、笑ったり泣いたりを繰り返し、時には強く心を痛めたりもする。
友が会いに来てくれた理由。
それはとてもとてもシンプルで美しいものであり、少し疲れていたわたしの心に覿面に効いてくれたようだ。
いうまでもなく、その晩に酌み交わす酒は格別なものだった。
まずは日本酒バー
これが酒の効能なのか?
その日は、ゆったりとリラックスした時間を、美味しい日本酒が丁寧に演出してくれたようだ。
友がプランを立ててくれたコース。
次はニッポンの音楽と酒。
20代の時、背伸びして聴いた昔のレコード。
今、そんな音楽を聴きながら酒を飲む姿は、どんなものだろう?
子供だった頃に想像をしていた48歳とは?
友との会話に彩を与えるもの。
音楽と酒ってどうしてこんなにも相性が良いのだろうか?
そんなことを考えているうちに、、
楽しい時間はあっという間に過ぎ去るもので、お開きとなった。
友と別れた帰り道、ゆっくりと歩き始め、彼に心から感謝をした。
ひんやりと澄んだ空気と、きらめく夜空の元、鼻歌を歌う自分が滑稽だった。
でも、そんな自分が好きだとも思った。
大人になれば、人は無邪気さを失い、正直さも失くし、すべてを心に秘めるようになる。
そのような行為は、知らぬ間に誰かを傷つけることもある。
でもそれは大人として、体裁を気にするが故、仕方のないこと。
それでも未来へ向かって生きていかねばならない。
だから、ふと誰かに感謝の気持ちが現れた時は、、、
感謝の気持ちだけには正直になり、
遠慮なく、その人に会いに行こうと思った。
感謝をするという、その前向きな行為こそが、人を未来へ向かわせるのかもしれない。
この小さな同窓会は、大人になってしまった自分に、大切なことを教えてくれたみたいだ。
時々、タイムマシーンに乗るのも悪くないな。
ただし、必ずまた未来へ足を向けることを約束して。
shiba