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かっこつけマンというのはこちらの嫉妬なのだろうか?実は相手はカッコつけマンじゃないのでは?【メモ書き】

※メモ書きなのでクオリティーはご容赦ください。

あいつかっこつけマンだなと思うことがあるのだが、それは実はかっこつけマンではなく、
単なる自分の嫉妬が産み出した幻想という可能性はないだろうか?

そういう場合もあるかもしれない

ただ嫉妬かと言われると、嫉妬でもない気がするというか、別に羨ましいと思って見てる感じもしない

どちらかと言うと、自分を良く見せたいんだなーこの人はという俯瞰した目で見ている感覚ではある

ただ本当にそれだけかというとよくわからない

もしかしたら自分もどこかでかっこつけたいと思ってるのかもしれない

他人に自分を良く見せたいという思いはあるものの、それをするのは恥ずかしいことと思っていて、
そしてそれが出来ない自分に対して、それが出来るかっこつけマンを羨ましいと思ってるのかもしれない

あとはただ単にその人は自分に起きた事実を話してるだけなのに、
周りがそれをすごいと受け取ってしまいはからずもかっこつけマンに見えてしまうパターンもあると思う

これについては解決策が見つかってないというか、
事実を喋ってる側もそこまで悪くはないし、聞いてる側がすごいと思ってしまうことも悪くはないと思う

ただ、事実を喋ってる側が俯瞰して自分を見る目は必要かなと思う

例えば昔の自分はすごくなかったけど、それは過去のことで、今のあなたは客観的に見たら結構すごいみたいなときに、
昔のすごくないときの自分の感覚でただ単に事実を語ると、周りからは疎まれる可能性が高いと思う

その辺りは自分を俯瞰して見る目を常にもつこと、
もしくは今の自分が他人から見たときにどんな風に映ってるかを、
自分がどんな立場になろうと、歯に衣着せぬ物言いで言ってくれる他人にそばにいてもらうというのが大事なのかなと思う

どんなに偉くなろうが、「お前今かっこつけマンだよ」と言ってくれる他人が

●アクションプラン
自分を俯瞰で見る
自分に歯に衣着せぬ物言いをしてくれる他人にそばにいてもらう

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ジョニーみうら
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