あいみょんの素晴らしさについて力の限り書いてみる
先程、あいみょんのライブから戻ってきました。
あいみょんのギターと歌をたっぷり堪能できる「AIMYON 弾き語りツアー2021 ~傷と悪魔と恋をした♡~」@日本武道館追加公演。
私は最初から最後まであいみょんの姿と歌声に滂沱の涙を禁じえず、マスクがぐちょぐちょになりました。26歳のあいみょんがどうして、彼女の親世代である48歳のわたしの琴線にふれるのか?を書いてみることに挑戦したいと思います。
ちなみに私は音楽業界の人でもないし、評論家や批評家でもありません。まるで丸腰のただの一ファンであることをお伝えしておきます。そしてファンにしては、全ての楽曲を歌詞を覚えるまで聴きこんだり、彼女の全ての発言や全ての取材記事を読んでいるわけではありません。ただ普通にあいみょんの楽曲に惹かれて聴いているうちに、魅せられて毎日聞くようになり、今は生活の一部になっているという程度のファンです。
あいみょんの素晴らしさとは。
それは、彼女独特の美しさや淫らさや、汚らしさや純粋さ、弱さや強さを楽曲に全てぶちこんでいるところ。
まともな人間(特に女性)なら描かない心の深淵を、これでもかと爪楊枝で血まみれでほじくり出して、そのわりにさらりとさらけだしているところ。
また、女性しか描けない恋愛心理描写の嵐かと思えば、世間に抗う反骨精神の塊だったり、男子特有の繊細な視点を細かくあぶり出したり、視点がころころ変わりまくる多重人格の部分も、心底かっこいい。
その姿に、私自身、もはや消してしまいたい青春時代のブラック恋愛時代の酸っぱさや、純すぎて透明だったキラキラした10代の頃の気持ちや、いつか見返してるという上京前の怒涛のハングリー精神や、相手の鈍感さを罵って酒を煽る20代の荒んだ気持ちや、でも人生を明るく信じて、しっかり生きていきたい、がむしゃらに前向きな気持ちなどが雪崩のように押し寄せてしまう。
そして冒頭の滂沱の涙につながってしまうのだ。
あいみょんは、10代のこっぱずかしいわたしであり、20代のハングリーなわたしでもあり。私の中3の息子が抱えているであろう、大人へのアンチテーゼを代弁してくれる頼れるメッセンジャーだったり。
これから先、彼女が何を見て何に感激し、はたまたどこに絶望し、それをどう歌に表現していくのかをできる限り見守りたい、大切な妹や娘のようなひと。
どうか彼女が、世間に臆することなくのびのびと、歌いたいことを表現できる世界でありますように、と、眠る前にベッドの中で祈ってしまう。
まだ私が若い頃に日々精一杯感じていた想いやきらめきを、絶滅させずに心のどっかで静かに眺めて時々磨いていたい。そんなささやかでしみじみした希望を、あいみょんは感じさせてくれるのだ。
2021.11.30 あいみょんデビュー5周年の夜に。
↑同じくあいみょんファンの息子(中3)と一緒に行きました。
息子も、あいみょんの歌声に泣いてました。
コミックエッセイ編集者として会得したあれこれを、ここでシェアできればと思います。応援よろしくお願いいたします~!