新学期に向けて講座を作ることになったので、書籍/情報商材の値段設定について考える
なんでこの本が2000円もするんだ?と考えたことはあるだろうか。
何かをクリエイトして、それを有料で提供する時。
言ってみれば本を買う側の視点だけではなく、売る側の視点を持たなくてはならない。
例えば教科書の場合、大学から
「この本は指定です。コレを買わなくてはなりません」
と言われれば、値段がどれだけ高かったとしても、購入するだろう。
過去の私。病理学を学習する時、指定になっていなかった時にもロビンスを購入していただろうか。それは、神のみぞ知る。
本は買ったときだけではなく、その後も残り続ける
購入段階では「この本、3000円もするのかよ…高ェな‥」と思っていた本。
それが、ふとしたタイミングで「これが3000円で買えるなんて!素晴らしい!」となることもある。
この体験を如何に意識的に起こすことが出来るかどうか、というのが、伸びる商品とそうでないものの違いの1つなのではないか、と思う。
情報商材の難しさ:購入するまで価値が推測し難い
本を「情報を提供してくれる媒体」として捉えてみよう。煩雑な状態で存在している論文を特定の視点で1冊の本にまとめて、見やすくしてくれている、その作業を代行してもらう、と考える事ができる。
その点では、有料NoteやBrain なども、書籍と近い立ち位置をしているのではないか?と考えることが出来る。
しかし1つ、大きな違いがある。それは、「購入するまでそのコンテンツの内容がわからない」という点だ。
現実として多くの書店では、漫画を除いた多くの書籍を立ち読みすることが出来る。そして読者は、パラパラと現物を見て、「お、コレは良いな」と思った本を実際に購入する、という行動を取る。
購入に至る理由は様々だが、「情報」としての本の役割以外に何かを見出した為に購入に至った、と考えることが出来るだろう。
「実際に所有していつでも見返せる状態にしたい」「作者への対価を支払う」
など、色々な理由があるが、今は割愛する。
ここで伝えたいことは、「多くの書籍は実際に目で見てから購入される」ということだ。(私の体験ベースに過ぎないのでそこは注意してほしい。実際には目で見ずに、レビューと口コミだけで購入する、中身の吟味はそれから、という読者も多いはずである)
情報商材やセミナーの類は、実際に料金を支払い、その後にはじめて内容が開示される。
今までに情報商材で「お金を支払ったけど肩透かしを喰らった」「この内容で3000円‥?飲み会したほうがマシだったわ」という思いをした人も多いのではないだろうか。
実際にはそこには「情報の非対称性」がある。
つまり、「自分は価値がないと思っていたが、実は価値の在ることだった」という現象が起こっている。
対価とは、相手に対して価値を提供することで得られるものだ。
情報商材に肩透かしを喰らった人は、たまたま相手が提供したものを既に持っている人だった、ということなのだろう。
つまり「相手に対価を支払ったにも関わらず、それに見合った価値提供がなされなかった、と思っている」状況だ。
実際にはその有料コンテンツを購入する前と後で、微妙に思考は変化している。
そして「その変化はそのコンテンツを購入しないことには得られなかったものである」と考えると、強ちコンテンツに価値提供が無かった訳ではないのだろう、と言える。
今度何か有料コンテンツを買おうと思っている人に是非試してほしいのが
「購入前の自分がそのコンテンツに期待していることをまとめる」
ということである。そうすると、意外と得られるものが多いと気が付くはずだ。
コレは読書をする時にもしばしば用いられている、「本のタイトルと目次から何が書いてあるのか予想する」に端を発したものである。
現在、大学生協の協力を得て医学部新入生に対する講座を作成中である。
内容は、「デジタル学習の学び方」。
と言われても、突然iPad、PCをポンと手渡されても使い方が分からない。
そこをサポートしよう、というのがこの講座のビジョンである。
「これが〇〇円で得られるなんて!素晴らしい!」
講座の値段以上の価値提供をするにはどうすれば良いのか、考えていきたい。
今回はここまで。
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