「ジェネラルに診れるから総合診療」じゃない【研修医の日常】
研修ローテート中、総合診療を考えていると言うと、「ウチの科もジェネラルだよ」という流れで勧誘されることが多く、その度に違和感を抱いていた。
「自分はジェネラルに見たいから総合診療になりたいのか‥?」
これはひとえに、総合診療の専門性が他者に見えていない、総合診療の「総合」が何の意味なのか他者に伝わっていない、ということが原因にあるように思う。
これは、総合診療専門医のHPに載っていた、総合診療専門医のアイデンティティである。
・どんな症状にも、何歳でも診察する。
・必要であれば専門医を紹介する。
・日常的に頻度が高く幅広い領域の病気と怪我に対応できる
確かに、これを見ると「ジェネラル」「総合」となる気持ちも分かる。
例えば眼科は目について総合的に見ることができるし、産婦人科は女性の誕生、思春期、周産期、更年期と幅広く、ジェネラルに診ることができる。
診察できる疾患の幅広さという意味での「ジェネラル」が他の科にも存在する、それは間違いないのである。
ここで私がとりわけ強調したいのが、次の4つ。
「患者個人の治療だけではなくその生活を支える家族もまるごと」
「病気の治療だけではなく予防から終末期まで継続的に」
「地域全体の健康を考える」
「多職種や行政と連携し、住み慣れた地域での暮らしを支える」
これが、総合診療が「病気だけを診ないで人を診る」と言われる所以だと思う。
これがやりたいのだ。
医局で過ごしていると、患者のパーソナリティについて愚痴る医師の姿をしばしば目にする。
「彼女、ちょっとプシ(Psycho)でさ」
「ちょっと家族がクレーマー気質なんですよね」
「あぁ〜今日あのひと来る〜外来めんどい〜」
このような会話は日常茶飯事だ。
患者のパーソナリティの話題を出すこと、そのものは問題がない。それも立派な患者の特徴だし、それを話題に出して話しあうことでコミュニケーションを円滑に進めることができるし、医局内での情報共有にもなるのだから。
しかし時に、そのパーソナリティを原因として、治療の遂行が上手く行かない時がある。
そんな時にも、めげずに向き合い続ける。
医師としての矜持ではないが、医学的に正しい治療方針を患者にシェアし、それに対する患者の反応を診て、悩みどころを共有して、同じ「治療」というゴールに向かっていく。
医療者 VS 患者
ではなく
医療者&患者 VS 病気
の状態で、向き合う。
そんなスタンスを取っている総合診療医に、私は惹かれているのだ。