救急外来。日々「知らない」と向き合う精神的強さを身に着けよ【研修医】
拝啓 三次救急病院で研修することこそ全てで、二次救急病院なんて力がつかないだろうと信じていた1年前の自分へ。
国家試験に無事合格して、医師になりました。
医者になっても、医学部の閉鎖的なコミュニティらしさは変わりません。強いていうなら1ヶ月ごとに所属先が変わる点で、医学生の頃より人間関係は開けています。
日々の勉強が重要な事は、基礎医学を学んでいる頃から変わりません。
それがCBTに向けた学習になり、国家試験に向けた学習になり、今では週末の輪番日に向けて学習しています。
学習はそれなりに楽しいです。
救急外来では、患者のファーストタッチを担当しています。救急車なり自分の車なりで来院した患者のマネジメントを一番最初に考えるのは、研修医の仕事です。自分の病院では最初に研修医が患者に問診・身体診察・検査・評価をします。その結果を上級医に相談して、患者の入院・帰宅を判断します。
自分がどこまでやれるか?それは自分の能力次第です。
自分に力(知識)があれば、上級医への相談内容は「自分の方針の中で論理的に飛躍しているところ、オカシイ所を指摘して頂きたい」になります。
自分の中に何もなければ、上級医への相談内容は「どうしたら良いでしょう…」という内容になります。
1回の救急外来勤務の中で、知識的に“完封”出来ることはありません。必ず何かしら抜け・漏れを発見します。
今は〇〇ハラスメントにうるさい時節です。
自分に知識が無くても、同じミスを繰り返しても、その事を指摘してくれる上司は少ない。積極的に「こき下ろしてください」と伝えている。
指導には、一定の確率で被害者が生まれます。それは指導者と被指導者の間のミスマッチの産物とも言えるでしょう。
ハラスメント被害者を守る為の制度・論理はスムーズに発展しているけれど、どうすれば被害者を作らない指導ができるか?は余り発展していない様な気がする。特に病院の中では。これを事なかれ主義というんだろうか?多様性の尊重が叫ばれるのは良いことかもしれないが、自浄作用を働かせることも必要だ。
「はい、彼はクソみたいな医療を提供しています。だけどなんとか周りがカバーできてるからOKです」
週末に輪番日があるので、平日の学習のほどんどは「知識の漏れ・抜けを改善する」事に費やされます。
学ぶことはほぼ無限にあるように思える。眼の前のことに集中するばかりではなんだか先が見えない。
病院の外の世界は日々目まぐるしく動いているのに、1つの分野ばかり学んで良いのだろうか?と自問自答する毎日だ。
学ぶ課題が尽きないことは至極当然。それくらい、自分の世界は広がっているということだから。目の前の問いを解決した時に初めて、次の問いに向かう権利を得ることが出来るーーー。
眼の前の課題に注力すること。
少し先を見据えて、今この瞬間との関係性が見えない課題に取り組むこと。
上手くバランスを取りながら、進めていきたいですね。