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映画『ハロウィン』(1978年版)の怖さは殺人鬼だけじゃない!

【あらすじ】
 1963年のハロウィンの夜、少女がめった刺しで殺された。犯人は実の弟で、まだ6歳のマイケルだった。
 マイケルの特異性から後日、彼の精神病院への移送が決定される。事件直後から移送直前まで彼を担当していた医師のルーミスは、厳重警備の病院への移送を進言したが却下される。
 それから15年の月日が経ち、1978年のハロウィン前日の夜、21歳を迎えたマイケルは、精神病院を脱走し、行方をくらませた。“SISTER” の文字を残して――。
 翌、ハロウィン当日。マイケルが暮らしていた町に住む学生のローリーは、日中から大柄の不審者に付きまとわれていて、少しずつ恐怖を募らせていた。不審者ことマイケルは、少しずつだが確実にローリーとの距離を縮め、近づいていく。一方ルーミスもまたマイケルを追って、町を訪れていた。
 そして夜を迎え、マイケルはついに行動を起こす。
 ローリー、マイケル、ルーミスの鬼ごっこの結末や如何に――。


映画『ハロウィン』 私はこう観た。

 静かに近づいてくる、決して理解できない恐怖を描いた、伝説のホラー映画。2006年には、「文化的、歴史的、美学的に重要」と評価され、ホラー映画ながら、アメリカ議会図書館のアメリカ国立フィルム登録簿に登録されています。また、2018年から2022年にかけて新たな三部作が製作されました。
 前情報を一切消し去り、本作をまっさらな状態で観ると、この作品は"殺人鬼"マイケルだけでなく、モダン・ホラー(現代社会を舞台にしたホラージャンル)ならではの恐怖が盛り込まれている、と私は思いました。

※ここからネタバレ


理解不能な存在

 序盤では、意図も理由も不明なままに事件を起こす、観客の理解の範疇を超えている“理解不能な存在”に対する恐怖が描写されています。
 マイケルは最初の殺人で、衝動のままに姉を殺害しますが、その後脱走するまでの15年間は、大人しく過ごしています。なぜ15年後なのか、はマイケルが大人たちの会話から「15年後」が行動を起こすキーワードと認識していたなど推察はできますが、これはマイケルが、自身の殺人衝動を抑え込める忍耐強さと、理性的に行動できる知能を所有していることを暗に示しています。それゆえに、必要ならば躊躇なく、必要なくとも理由なく殺人を犯す彼の異常さが改めて強調されます。


ストーカー

 中盤は、静かに、そして確実に標的に近づいていく“ストーカー”に対する恐怖が描かれます。姿を見せては消えるマイケルに怯えるローリーのシーンは定番ですが、特に、女友達が運転する車にピッタリ付け、追尾するマイケルと、話に夢中でそれに最後まで気付かないローリーたちのシーン。あのシーンには厭な粘っこさがあり、人によってはかなり嫌悪感を感じるのではないでしょうか。


住宅街

 後半は、ついにマイケルがローリーの友達を屠っていきます。このあたり、殺害方法や演出は至ってシンプルで、それらに対する生理的な恐怖はあまりありません。むしろ怖いのはその先、殺害が終わり、不審に思ったローリーが、友達の家に向かっていくところからです。
 これはアメリカならではの住宅事情もあるのですが、家から家までの距離が思っているより長い。つまり "遠い" 。向かいの家に行くだけなのに、都会から郊外の一軒家に向かっているような雰囲気が醸し出されています。
 この移動の長さという "間" が、観客の不安を煽るのです。


隣人

 マイケルに襲われて逃げるローリーは外に脱出し、明かりが灯っている家に助けを求めます。しかし住人はハロウィンの悪戯かと思ったのか、関わりを避けたいと思ったのか、彼女の助けを無視してブラインドを閉め、明かりを消してしまうのです。一度窓から彼女の姿を確認しているにもかかわらず、です!
 これは “隣人が助けてくれない” という恐怖に他なりません。実感がわかない人は、住宅地をマンションやアパートのような集合住宅に置き換えてみてください。自分と同じ場所に住んでいる人が緊急時に助けてくれない。これはかなりの恐怖感と絶望感があります。


素顔

 終盤、ローリーとマイケルは取っ組み合いになり、はずみでローリーはマイケルがかぶっているマスクを剥がすのですが、現れた素顔はごく普通の顔。奇形でもなく、火傷も傷跡もなく、どこにでもいる、ごく普通の青年の顔です。
 見たこともない、しかしどこにでもいるような一見普通の人間に付きまとわれ、理由もわからず殺されようとしている。ここでは再び、社会の外側に存在する“アウトサイダー”、そして“ストーカー”に対する恐怖が表現されています。


何も解決しない結末

 終盤、マイケルはルーミス医師に拳銃で撃たれて倒れますが、彼が目を離した隙に姿をくらませます。マイケルがローリーをしつこく狙う理由は最後まで明かされません。彼女がマイケルの姉または妹であるということを仄めかす描写も一切ありません。病室に残した文字から、マイケルが「姉を殺す」という妄想に駆られ、半裸の状態で家の中をうろついたり男とセックスしたりする女性、または姉に特徴が似た女性を殺す事に執着するという想像もできますが、はっきりと明示されることはありません。
 続編が作られていく内に「実はローリーはマイケルの妹である」など、設定も後付けされていきますが、一作目だけ観れば、人間でありながら理解不能な人外であるマイケルに対する、「何故そんなことをするのか」という、わけのわからなさに対する恐怖が全体に散りばめられています。


最後に

 なぜこのホラー映画は傑作と評価されるのか、を自分なりに文章にしてみました。
 この映画、特に一人暮らしの若い女性が観れば、他人ごととは思えない、かなり生々しい恐怖を感じると思います。
 また、創作をする人が観れば、主軸となるテーマと、それを補強する副軸となる要素の組み合わせの参考になるかもしれません。
 そして、ただ"最新ではない"という理由だけで本作を観ない人は、損しているなあ、と思う次第。

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