初めましてのずんばあらず
物語を書くためにはまず、旅を始めなくてはならないことに気がつきました。
初めましての方は初めまして、そうでない方も初めまして。旅する小説家の今田ずんばあらずです。新参者です。
そんなこんなでnoteを始めてみました。ちょっとした日記をつける心地で気軽に、旅とか小説とか、道とかホームセンターとか、そういうずんばの〈好き〉がたくさん詰まった、そんな感じにしていきたいと思っています。
近々長野県へ避暑がてら、車中で創作合宿をおこないたいと考えていますので、そこらへんの話もこちらでできたらいいな、なんて思います。
旅の原点:すり傷と鬼教官
初めましての方へ、今田ずんばあらずという人間をどう紹介すればいいのかよく分からなかったので、旅と自分の関係についてくっちゃべっていきたいと思います。
ずんばは神奈川県の真ん中あたり、平塚市という土地で生まれ育ちました。今もそこで暮らしています。日本で最も広大な関東平野と、丹沢山地との境界線。つまり人の領域と人ならざる者たちの領域、その狭間。駅前のショッピングモールで買い物したり映画を見たりしつつ、山に入ってシダ茂る斜面を駆けのぼったりもしていました。
都会人とも田舎人とも開き直れない、そんな中途半端な土地ですくすく育まれた今田ずんばあらず少年は、小学生になったある日、とある文明の利器を手に入れてしまいました。
それは、自転車、という移動手段でした。
自転車の第一印象は「イヤなやつ」でした。おそらく多くの方はそうかもしれません。補助輪抜きで自転車に乗れるようになるためには、練習をしなければならず、そして大抵盛大にすっころびます。上手な転び方も知らないわけですから、そりゃもう膝も肘も顔も手のひらも傷だらけです。
僕は頑固な人間なので、ひたすら「ヤダヤダ」コールをしてアピールするのですが、教官である我が父は、僕以上に意気地で頑固で吠える男なのでした。なにがなんでも自転車を乗りこなせるよう、根気強く熱い指導をするわけです。
父は旅好きの乗り物好きでした。旅好きの乗り物好きが高じて電車の運転士になってしまったほどです。高校時代は、競輪用の自転車(ギアもブレーキもない!)に乗って川土手の砂利道を駆けて通学していたと言います。
父さんは僕と一緒にサイクリングをしたかったのです。だから、僕が傷だらけになってもなお、鬼教官でいられたんでしょう。
自転車の訓練で残っている記憶は、ほとんどが転んだ記憶と叱咤される記憶だけです。初めて父の介添えなしで走ることができた体験は、実は覚えていません。気が付けば僕は自転車に乗っていました。暇だったらサドルを跨ぎ、近所を漕ぎまわしていたのです。
頑なに拒んていたものを一度でも受け容れてしまうと、まるで生まれたときから身体の一部だったかのように、平然と使いこなしてしまう。ならもっと早く受け入れてりゃあなあ……なんてエピソードは、おそらく今後も出てくるかもしれません。#学ばない男
とにもかくにも、文明の利器、我が脚を手にした今田ずんばあらずは、目の前にある道の終着点を知るために、己が足でペダルを漕ぎ進めるのでした。この旅路の行く末に、一体何が待ち受けているのか……。といったところで、初めましての自分語りを終わらせていただきます。
ちなみに、旅好きで乗り物好きの父さんは、あと数年で還暦を迎えます。同僚はみんな、教官や本部の人間となり、マスコンを手放してしまいました。しかし今なお、父は運転士として最前線に立って働いているのでした。いつもありがとう。お体、大切に。