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女を演り男を演る。埋没と呼ぶ。

なんらかの障害は持ってそうだね、とは言われたことがある。多分そう。でも名前はまだ無い。コミュニケーションについて。自分は一対一での対面ならイケる気がする、3人でもまだ大丈夫かもしれない。でも4人以上はもう無理だ。“サークルの幹事長”みたいな中途半端な団体で会話するのは全くできない。せっかく当時の好きな人にインターン先を紹介していただいたのに、職場の十数人の規模で自己紹介を、と言われると完全に頭が白紙になった。何も言えないのだ。感嘆符すら出てこない。紹介元だったその人に幻滅されたし迷惑をかけた。驚くほど言葉が出ない。すべての言葉を忘れたみたいに、人間じゃなくなる。無残に突っ立ているだけ。ところが、大人数だとイケる気がする。演説や講義ならもっと割り切って堂々としていられる。ごく自然に聴衆をコントロールできる心地。それが、性別にも適応される。埋没するとはそういうことだ。

3日に一度はプールに行く。3日に一度はジムへ行く。ジム=男子更衣室であり、=男湯を意味する。プールの更衣室でもそんなに下半身を隠しているわけではなくなった。スッと脱いでしまう。直接前が見えるのでなければどうにかなってしまう。少なくとも今のところはそれがわかった。皆んなご丁寧に隠しているわけではないので、自分もご丁寧に隠しては不自然になる。思い切りが必要で、ルビンの壺を任意の一面としてだけ見えるように自分以外の全員をコントロールするような。そういう覚悟と行動力が常に必要とされる。自分は異物として(ここではトランスジェンダーとしての意味で)教壇にひとり立っている。けれども聴衆の日常にするりと溶け込まなければならず、初めから教壇なんかなかったみたいに、空気になる。それが生活である。

ただし男友達は作れない。サークルの幹事長に圧倒的に向かないのと同じことである。自分と同一化するほど近い存在か、空気になって放っておけるほど遠く薄い存在ならきっと相手にできるのに。どうにもこうにも中途半端が難しい。今日はだから歳の離れたおじさまにプールで話しかけられて嬉しかった。こんな生活である。ワザワザとバレたら男性失格。こんな生活。

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