気づけば親金SRSできることになった理由
「今月の引き落としまでに2万円貸してくれませんか.......」
ふだん会話しない両親に持ちかける話題はいつも決まっている。お金の話。
東京にいようが地方にいようが、神奈川の実家に戻るのは一年に2回あれば多い方だと思う。毒親、ではなかった。きっとそう。けれども一緒にいたい相手ではなかった。食卓を囲む時間を少しでも縮めるために早食いか小食か外食で済ませた。妹と比べられて「あんたは女の子らしくない」と批判されるのが邪魔だった。大学に受かったら絶対家を出ると決めて、ほぼ無一文で家を出た。惨めなほどお金がないので、大学入学後半年はまったく友人ができなかった。お金がないので誘いは断るしかないし、自分から誘うことが出来なかった。
その親が今、SRS(というワードは親の頭にはないから、別の簡易な言葉で)するなら全額貸すよ、と言い出した。
驚いた。自分の家庭の場合はすべて“貸す”だけなので、これから返す必要はあるのだけど。学費も寮費も留学費も、おそらくするはずのオペ代も。ただSRS代であくせくしてあと2年ほど過ごすよりは、さっさと済ませて親に返すだけの方が心的負担は圧倒的に少ないだろう。
さっそく胸オペをしたクリニックでSRSの話を持ち出すと、お金さえ払えば数ヶ月後にスルリと実行できることがわかった。国内膣式だと、123万ちょっと。
予想より高くて絶句し、乳頭縮小の局所麻酔が効く間ずっと、胸よりも頭が痛かった。親にはHP価格の90万くらいだと伝えていた直後で、くっそ高いじゃないの。タイの3倍。ああまた交渉が必要だ。
それなのに、親は全額オッケーだと言ってくれた。焦らないなら時期をズラしてタイでもいい、それでも出すからと。
自分はトランス決意後「ホルモン」と「胸オペ」はすると決めていた。SRSは無関心だった。あっけなく了承を得てしまって、こっちが驚きだ。奇妙なすれ違いがあるようで。
おそらく両親やオペする医者からしたら、かなり“真のFtM”っぽく見えているのだという気がする。英文診断書に“He is a true FtM transgender.”と表記されているのを見たとき、自分はひっそり笑ってしまった。I am a true FtM transgenderなのかぁ。
たしかにすべての縁を切って埋没環境に身を置いたのも、英文診断書(コロナ禍の前胸オペはタイでするつもりだった)のためだけに新幹線に乗って東京のクリニックに行ったのも、貯金が貯まる前にオペ予約をしてしまっているところも、毎日のようにジムや男湯に通うのも、徹底してイケオジになりたがっているのも、a true FtM transgender感が溢れているのかもしれない。
あ、SRSできちゃうんだ。そのことが新しい不安を呼んだ。
なぜ疎遠だった親が突如SRS代を貸してくれることになったのか考えてみた。
①疎遠すぎた。
トランスを決めたとき、留学先から長文LINEを送った。死ぬか、男になるか。それでもう男性化することに決めました、というくらい、相手の話なんて聞く気がない文章だった気がする。もうなにもかも遠くなってしまった。母からは「やっと言ってくれたね」と返信がきた。
帰国後も親に相談することはなかった。地方移住の話も文字通り“突然”だった。この名前に改名します、も事後報告のようなものだった。親からもらったものを大事にする、といったのどかな考えは一切持っていなかった。突き放していたというのかもしれない。そうしたら、相手の方から歩み寄ってくれたのだろうか。
②金銭的な余裕が両親にできた。
妹も巣立って、手にかけた子供たちが(自分はまだ全然だが)自立した。実家には父と母と犬だけが残った。父は変わらず稼いでいるらしい。
③哀れに見えたのかもしれない。
上記を踏まえて、それでも自分がずっと治療費を気にして生きている状況があるので哀れに見えたのかもしれない。治療優先でいつまでも学費の返済が進まない。
父はそれまで不干渉を誓っていたのに、「まあ病気にかけるお金だと思ったら.......」と、手術費を出して構わないという態度に変わっていた。心なしか会話が世間の“父と息子”に近づいた気がしなくもない。
④外見が受け入れられた。
自分でいうのもナンだが、自分ではない人物の話のように語ろうと思う。“自分”は、めちゃくちゃ可愛かった。らしいです。FtMは“ボーイッシュ女子”としてモテました、というエピソードがよくあるようだけど、自分の中高生時代はそうではなかった。ホントに”可愛い女子”だった。
珍しく帰省した先日、捨てたと思っていた中学の集合写真を親がアルバムのようにまとめて持ってきた。“自分”はクラスで一番可愛いみたいに映っている。美意識の高い妹も「(あきら ※実際は女性名で呼ばれているまま)って可愛くね?」と不審がる。母は「生まれたときあなたはこの赤ちゃんカワイイね〜って看護師さんたちに贔屓されてたんだよ」と昔々のエピソードを語り出した。
驚きの連続だけど、たしかに“自分”、とても可愛い。中学2年のときは女子から「おはよう」と言われるより「かわいい」と言われる回数の方が多かった。男子からはモテた。もっともつまらなかった暗黒時代が、もっともチヤホヤされた。
FtMの話をされるとき、あたかも最初から男であったかのような視点だけで語られると違和感がスゴイのはこういう経緯である。女性(ジェンダー)差別、は人並み以上に受けていたかもしれなかった。
ソイツが今、「かわいい」「中性的に見える」「坊や」になった。
そもそも自分の外見の話はしたくないのでもうおしまいにするけれど、親目線では想定以上に「好青年」らしく見えてくれたようで、思いのほか外見が受け入れられた。今さらながら甘やかされているような気すらする。
残酷なことだけれど、勝手に治療を突っ走ったうえに顔向けできないような外見になっていたら、親はこんなに何もかも許容してはくれなかっただろうと思う。”実態を消して生きていきたい”と願っていた自分からしたら皮肉でしかない外見という要素が、自分を救ったのだ。
以上、4つの理由でした。
かるくなった、軽くなった。自分はもう少し好きに生きていきたい。
SRSについてはもうしばらく考えなければならない。