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ある日突然男性になったら

声変わりした。飛び起きて、自身の声を録音した。それから冷静になって、今日の卒論演習では発表する番なのに突然の低音ボイスで授業にならないのではと心配になった。世界は変わった。

卒論担当の教授を尊敬していた。一年生の時から漠然とそうだった。つい1ヶ月前は学内の精神科のような何かが併設されている保健室に連れて行かれたばかりだった、自分は卒業する間近までそんな場所があるとは知らなかった。おそらく教授自身もセクシュアルマイノリティであり精神障害があったので、似たにおいを嗅ぎ取って心配してきたらしく、自分は夢遊病者みたいな足取りで教授のあとをついていった。

学内でも外でも、それぞれ別の親しい人に精神科ならびに心療内科に連行された。これって太宰治でいうなら「愛する人に”廃人”と見なされて病棟へ連れて行かれた哀れな僕」ってやつだ。何もかもが妙にシュールな光景だった。ボタンのかけ違いに誰も気づいていない。出会ったばかりの人に語ることは何もないのに診察代を支払うなんて、誠に僭越ながら、馬鹿なんじゃないかと思った。その能天気さが自分も欲しい。帰り道では自分の体を恨んであたり構わず泣き崩れた。ホルモン治療代で金はないのに、空腹と性欲にみまわれて体の内部がぐるぐると熱く痛かった。退学しようと手続きを確認したら、割安でその措置ができる期間が昨日までだったと知った。話しかけようと思っていた女子学生がいたが、男だか女だかわからない自分では同性としてのシンパシーを発揮させることももうできないので、ついに話す機会はなかった。

それでもじきに鬱状態は治った。第一に手首の血管が浮き出てきたからであり、第二に何と言っても、念願の声変わりを迎えたからだ。つまり自分はこの肉体が男性的に近づくにつれて、みるみる健康になった。

声が変わると、ひとには男性だと判断された。だから男子トイレに入った。とはいえなぜ見た目はさほど変わらないのに、声変わりしただけで男性パスできるのか当時も今もちっともわからない。人間の性別判断基準は当てにならない。厭世的になってもおかしくないけれども、男性ホルモンが自分をマヌケにしてくれたおかげで小さなことが気にならなくなった。

小さなことが気にならなくなったし、ボケたし、集中力がなくなった。そういうわけで今ここで何を続けたかったのかすら忘れた。泣き方も忘れた。何もかも忘れてしまう?

歩みには過程があって、性別移行なしの夢のような変化なんてない。途端に変わるとしたら、外界だけだった。自分は自分だった。それなのに、人は去ってしまう。





ひらひら
泣けなくなってもう一年

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