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男よりましでありたい。

FtMで身体治療をする人は、始める前に何を懸念するのだろう。
親の同意?転職?声変わり?ニキビ?性欲?パス度?手術代?手術そのもの?手続き?渡航?

自分の場合は「声変わり」と「治療費」は覚悟を決めなければならなかったけれど。でもそれは一瞬、グッと懐を突っつけば良いのであって、ジメジメこびりついて気味の悪い懸念は他にあったと言える。

トランジションを決意したのがドイツだったということもあり、これから自分は「日本人の男性」になる、なってしまう、という事実は重たかった。その理由はもちろん、快く思っていないからだ。日本人の、男性に、なってしまうのかぁ。吐き気のする思いで、帰国してジェンクリに行くまでの朗らかな、けれど意思の燃えたつドイツを過ごした。ちなみにHENTAIという単語はもはや世界共通語なのかもしれない。日本人であることも男性になることも、恥でしかないのに。なんで自分は男性になってしまうのでしょう?

トランスジェンダーの私がボクサーになるまで(現題:Man Alive)』
読んでいてこんなにも付箋を貼って共感の嵐だった本は、人生でまだ片手で数えられるほどしかない。レビューを見ると、シス女性またはシス男性のコメントが多いわけで、この方々はこの文章をこんな風にしか読めなかったんだなぁという素直な驚きがあった。

特に面白かったのはココ。テストステロンを始める前からの変化についての記述は、ちゃんとこういうことを書き残してくれる人がいてくれて良かったと思わせてくれた。







「男みたいだけど、それよりまし」という表現には大学生活の最中も支えられた。

〜中略〜侵入者としての私は存在感を発揮しつつ(「男みたい」)、男というものがともなう一連の問題からは逃れていた(「それよりまし」)。

〜中略〜私の知っていた「ナイスガイ」たちは、ぐちが多く、すぐ怒った。いっぽう私は「ナイス」で、デートの相手を見つけるのも難しくなかった。

男に移行しはじめたとき、もう「男みたい」ではなくなるとしても、「それよりまし」でいられると思っていた。テストステロンの注射を始めたことで、私の体というフィルターがすべてを変えてしまうとは気づいていなかった。






面白すぎる、ぐんぐん読める、というかこの本は以前から認知していたけれど今このタイミングで読めて幸せだった、斜め上の境遇、やや遠くてそれでも近しい先輩を見つけたような気分。歓喜した。一人ぼっちで堪らないような日はこの記述を思い出して少しだけあたたかくなって、乾杯したい。まだまだ自分は誰かにとって良い話し相手になれるような人物ではないけれども、未だそうでしかあれない分、好い代弁者がいてくれて嬉しかった。

男になったら、男よりましではない。なぜなら自らも男だから。

当たり前の命題を何度も突きつけて、そうしながら身体は必死に男を目指している。この矛盾。
ちなみに著者トーマス・ページ・マクビー(Thomas Page McBee)は幼い頃性被害に遭ったり銃を突きつけられたり期間限定でレズビアンバーで働いていたことがあるそう。そうした場面でも単に「子供の頃、」として語る。自分が書くみたいに「女子時代」(99の皮肉と1の救いを込めて)とは決して言わないのは印象的だった。徹底して”トランス男性”の考察だと感じた。

そして羨ましいのが、弟とのエピソードだった。弟はずっと“男の中の男”に見えていたわけだが、彼もまた“父親みたいにはなりたくない。男とは?”と模索し続けていたとわかる場面。こういう同性感覚でフラットに話せる相手がいることは幸福だと思う。自分にはいた試しがないので。

非常にスッキリした。男よりましでありたい、と思っていて間違っていなかった。同様の捩れは自分の中に許容して育てていてよかったんだ。それから、自分も早く回収したい。
男よりましだからと好かれるのではなく、あなたがあなたという男だからと認められた瞬間、感動してしまっただろうなぁ。

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