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ヨハネ・ボスコ学園文芸部部誌3月号

みなさまごきげんよう。4月に入り少し遅れてしまいましたが3月分の部誌です。3月のテーマは【卒業】【春風】【お返し】でした。

唐島 潤「談笑会 3月」─お返し、卒業

談笑会シリーズ、前回はこちらから https://note.com/johannes_bosco_l/n/nb54298b03ddd

「やぁ和泉さん、もう帰るのかい?時間があるなら少し話し相手になってくれよ」
デイパックの鞄を持ち上げ、席を立ち、そのまま下校しようとしていたら、後ろの席のクラス委員長金子さんに話しかけられた。金子さんの友人?(友人なのかそういう仲なのかは生徒達の間で討論されている)の原口さんと一緒に、椅子を寄せて金子さんの机の上で、綺麗な模様が施された白い小さなカードに生徒の名前を書き、書き終わったら止めを外し多種類の駄菓子が詰められている小さく透明な袋に名前を書いたカードを入れ、また止めを付けてスナック菓子のロゴが描かれた段ボール箱に入れてそしてまた最初から繰り返す…といった作業を行っていた。2人とも何やら分厚そうなメモに目を通しながらカードに名前を記述している。
「……すぐ近くに原口さんがいるけど、彼女だけじゃ物足りないの?」
「いや〜あはは、2人で作業しながら雑談するのも良いけどね、なんか物足りないのよね〜だから他の人とも話したくて。そんでまだ教室に残ってたの和泉さんだけだったからさ、ほら和泉さんってなんだが深窓の令嬢…というか本当のお嬢様だから普段緊張して話しづらいからこういう時なら話せるし、作業も進めるんじゃないかな〜って思って。時間無かったらごめんね!」
原口さんはカラッ!、キラッ!という効果音が付きそうな爽やかな笑顔をこちらに向けた。直視したら目が焼けてしまうと錯覚してしまう程爽やかで太陽のような笑顔に目を細め、顔を横に向けた。そのまま時計を見るとまだ談笑会の時間では無い事を確認し、あと数十分程度なら時間が有ると理解する。
「……数十分ぐらいなら話し相手になってあげてもいいよ」
「やった!」
金子さんも原口さんも嬉しそうに顔を見合わせているその光景が輝かしくて眩しくて堪らない。

「放課後まで残って何やってるのかしら?」
金子さんの机に椅子を寄せて再度座り直し、今金子さんと原口さんのやっている作業を観察しつつそう訊いてみる。
「ああコレ?ホワイトデーだからさお返しにバレンタインの時くれた人の名前を1人1人書いて先に用意してたお菓子に入れてるんだ。終わったら渡すんだ」
「お返しねぇ…………」
「いや〜あたしも手伝って休み時間も活用してずっとやってんだけど放課後になっても終わんないんだわコレが」
原口さんの発言に絶句する。どれだけモテてるんだ金子さん。
「………終わらなさそうなら家に持ち帰って明日渡せばいいんじゃない…?」
「…いや、もうちょっとで終わりそうだし、実は皆受け取りたいからと皆下校せず待ってるんだ」
「ひぇっ…皆金子さんの事好きなのねぇ」
モテ過ぎてて感心する以前に少し引いてしまったが金子さんはそんな態度をした私にもフフっ、と優雅に笑い眼鏡をクイっ上げて見せた。
「多分皆、憧れとか偶像というか一種のアイドルとして私を見ているからね。私を対等に見ず持ち上げている。だから私も応えて“ファン達”にファンサービスをしてあげてるんだ」
そう言いながらカードに名前を書き続けている金子さんの、眼鏡の奥にある目がどこか虚ろに見えた様な気がして冷や汗が流れ、唾を飲み込む。そんな私を見てか、金子さんはアラと口元を手で隠しバツが悪そうに形の良い眉を八の字に歪ませる。
「なに気にしないで大丈夫だよ、昔からだそういう扱いは慣れてるよ。それに…………特別扱いせず対等に接してくれる相手もいるんだよ、例えば原口ちゃんとか」
「え゙っ!?」
作業のさなか突然自分の名前が出されて驚く原口さんの顔は耳まで真っ赤になっていた。突然なんだよ〜、と恥ずかしそうに言う原口さんに、実際そうじゃないか、とこれまた嬉しそうな顔をしてる金子さんを見てると、これはそういう仲じゃないかと言われてるのもどこか納得してしまうなと観察していて感じた。

「……ねぇねぇ!あたし和泉さんの話聞きたいな!和泉さんはホワイトデーのお返し貰った?」
上の空で観察していたので唐突に話を振られてビックリして体がビクついてしまった。
「私?私はバレンタインデーに執事に貰ったから金子さんと同じ返す側だったわよ。薔薇のハンドクリームを送ってあげたらとても喜んでたわ。あと………」
あともう1人は男子校の生徒の友、田中さんだ。彼にはちゃんと私から渡した、あの時はサラッと渡したが帰宅後恥ずかしくてベッドで悶え苦しんでいたのは田中さんには絶対に言わない、いや言えない。そんな事田中さんに知られたら「へぇ〜〜??和泉さんオレにチョコ渡した時ちょっと意識してたんだ?……クっ、ふははは!………い、ハハ、いや笑ってない、ハラいて涙出そ。いや〜卑しい気持ちで本心を隠してたなんて可愛いところもあるんだな〜和泉さん?」と私を嘲り笑うに違いない。田中さんは恐らくそういう事をする男性だ、もうすぐ1年ぐらいの付き合いになるから分かる。だからこの事は墓場まで持って行かなくてはならない。悶々と考えていると私が途中で言い淀んだのが気になるのか手は作業を続けながら2人とも目を輝かせて私の方をジッと見ている。
「あとは…誰!?誰なのか教えてよ!和泉さん!」
原口さんに言い寄られて冷や汗か脂汗か分からない汗が滝のように流れているのを自分でも察せられる、ふと壁に掛けられた時計を見てみると丁度良く車で行けば談笑会に間に合いそうな時間になっていた。
「アー!モウコンナ時間ダワー!早ク帰ラナキャ!ジャアゴキゲンヨウ!」
デイパックを鞄を持ち上げ、席を立ち椅子を治す。2人とも目を丸くして驚いており、自分でもカタコト過ぎてワザと言っているなと思っている。急いで教室を出て校門の近くにいる執事の石塚を見つけて車に滑り込む形で入り込む。
「石塚!なる早で行って!猛スピードで!」
「安心安全にできる限りスピードを出しますね」
私を乗せたベンツはドリフト走行を行い校門から脱出した。


喫茶店「コランダム」に入店し周りをキョロキョロ見渡す、田中さんの姿は確認出来ない。いつも座っている左奥の席も見てみるも居ない、田中さん今月も遅刻だなと溜め息を付きつつソファ席の方に座りメニュー表を眺める。あんまり気になる物がないな…と思いながらペラペラ捲っていると、『ホワイトデー限定!ホワイトホワイトプレート!』と記されている追加ページを見つける。バレンタインデーの時のチョコチョコ盛り沢山チョコまみれプレートは美味だったから期待で胸が高まり腹が鳴りつい呼び鈴を押してしまった。
「すみませ〜ん!!!」
店長の奥さんがいつも通りアナログな伝票持ってやって来た。
「ホワイトデー限定のやつください!」
「分かりました〜」
店長の奥さんはいつも通りニコニコと笑っているが今日はどこか愁いのある顔をしている。2ヶ月続けて1人で注文してるのが心配なのだろう、まあ別に田中さんとは付き合ってないからこういうのも普通なんだけどな。

「ホワイトホワイトプレートで〜す」
と置かれたソレは前回のプレートとは異なり底なしに真っ黒なプレートで、そのプレートの上には正反対の物体があった。純白の生クリームがこれでもかと掛けられており、ベールの如き生クリームのせいで中身が見えないのがワクワクを増長させる。隣にはこれまた黒いコースターの上に氷が控えめにあるカルピスがガラスのコップに入れられていた。白磁の器の時期が終わりこれからはガラスの器の時期になるのだな、と最近春に入り暖かくなったと感じて腕を捲ってる。
さて、切り分けてみる。フォークで押さえてナイフで前後に揺らして切る。生クリームのベールの下から現れたのはバニラアイスクリームと白い四角形の物体だった。四角形の物体がなんなのか確かめるべくバニラアイスクリームと、一緒にフォークで四角形の物体を刺して、生クリームに絡めて食べてみる。口の中に広がるのはバニラアイスクリームの冷たく爽やかな甘さと、生クリームの甘すぎない味と、白いのに確かにチョコの味がする四角形の物体だ。白い四角形の物体はホワイトチョコケーキだったらしい。最後に冷えたカルピスを流し込み喉を潤す、原液と水を上手く割ったカルピス特有の味というか甘さが堪らないな。 最初はペース良く食べていたのだが、どんどんペースダウンしていく。別に腹が満腹になってきた訳ではない、いつまで待っても田中さんが来なくて心配で手が止まる。

何故来ないのか、思考を巡らせる。1番理想なのがお返しを選んでて遅れてる、他に浮かぶのは病気か…………逃げたかだ。
いや逃げるなんてそんな事はしないはずだ、だって去年、12月に約束したんだ来年まで一緒にこうしてくれたら名前を教えるって約束したんだ、したもん。ぜったい来てくれる。自分に言い聞かせる、2月の時も田中さんが全然来なくてこう思っちゃったけ、あの時は来てくれたから今回も来てくれるはず。だけど前はチョコをあげた、しかも高い奴を、たった1人の大事な友人だから奮発して買った物だけどそれが重かったのかな、元々甘いもの苦手な人だし、もしかしてそういう目で見てると思われて引かれちゃったのかな、嫌われたのかな。ナイフとフォークを持つ手が震える、悪い妄想が頭をグルグル回って仕方ない。嫌だ彼に嫌われたくない、だって彼は私の初めての───


「なんだ和泉さん、また先に食ってるのか」
ギィィ、と椅子を引く音が聞こえたと思ったらアイスコーヒーを片手に席に座る男の存在が確認出来た。水滴滴るアイスコーヒーをテーブルに置き、坊主頭をボリボリと掻きむしる男、間違いなく待ち人の田中さんだ。
平常心を取り繕いまた余裕綽々に待っていたと演じよう。
「遅いじゃないか田中さん、私は腹ペコでなもう半分も食べてしまったよ」
「ほんと甘そうなもんばっか食うよな〜食いもんも、飲みもんも甘いのって逆に喉かわかねぇ?」
「いや全然」
田中さんはアイスコーヒーをぐびぐびと飲んでいる、飲む度に喉仏が動いているのが面白い。プハ〜〜!!!と息を吐いた後暫く両者に沈黙が続いたが田中さんが重い唇を恐る恐る開けた。
「………遅れたのには訳があってな…実は今日な小6の弟が小学校を卒業したんだ」
「………そうなの」
ポカンと唖然とした表情と口が閉まらない。
「そうだ、だから弟にな「卒業したから兄ちゃんのお金でなんか買って!」と強請られてなぁ」
「………」
「色々買ってやったから今日は土産を買ってやらなくていい!コーヒーがぶ飲みだけでもいいんだ」
そう言いながら氷共々アイスコーヒーを飲み干し、がりぼり鳴らしながら氷を噛んでいる田中さんが何故か分からないが面白くて喉奥でひっそりと笑った。私も食べ終わると田中さんはひとまず先にレジに行き、財布を漁くっていた。
「田中さん…?」
「流石に2回連続で遅刻したのに和泉さんに払わせるのはなんかオレのプライドが許さないんでね、大丈夫さ弟に根こそぎ奪われる覚悟で全額下ろしたお年玉が入ってるから心配するな」


「田中さん………ただ金払うだけでカッコつけんじゃねえよ」 なんやかんやあって私達は喫茶店「コランダム」から出てきた。そして今私は身長差がかなりある今すぐ帰りたそうにしている田中さんを離すまいと必死に腰を掴んで攻防戦を行っていた。その光景は今にもギリギリ…という効果音が聞こえてきそうだ。
「おいおい和泉さんよぉ、談笑会は終わったぜ?早く帰らせてくれよ〜」
「ふざけんなボケェ!テメェ先月の事忘れたか!あげたよな?だったらお返し寄越せ!3倍返しでよぉ!!!」
「チッ!糞が覚えてやがったか」
覚えてやがったか、じゃねぇわボケ。張り倒されたいのかこのクソ悪辣坊主頭がよ。顔の至る所に青筋が浮かんでるのが自分でも分かった。
「しゃーねぇなぁ!ほらやんよ!」
田中さんの背中の広さに合わせた、大きなリュックサックから徳用チョコと書かれた袋に30個程入っているチョコ棒の菓子が手渡された。
「………これで私が満足するとでも…?」

「安心しろ!30×3で90個やるから!」 とさらにリュックサックから2つ徳用チョコを取り出して手渡した。………90個ならいいか…、そう思ったので許してやる事にして拘束を緩めると、田中さんは直ぐさま抜け出し
「あばよ!和泉さん!あと前のチョコ美味かったぜ!」
そう捨て台詞を吐いて全速疾走でこの場を去っていった。いつも通りの態度に何処か呆れながら、チョコの感想を言って貰えた喜びからなのか体の芯が熱くなる感覚を覚える。石塚が迎えに来る前に田中さんから貰った徳用チョコの1つを開封して、その中から更に一つだけチョコ棒を取り出して食べてみた、 実はチョコ棒を食べるのはこれが初めてだったりする。プレーンの何の変哲もない味だが何故だが無性に愛おしい味だと感じた、おかしいな初めて食べたのにな。

唐島 潤「春風からのご報告」─春風


この度、ワタクシ春風は通年通り皆様に春風を届け春を伝える予定でしたが、ワタクシ自身が花粉症という春の知らせを受けてしまったので落ち着く迄お休みさせていただきます。


日本各地にこのご報告が貼られてから早2ヶ月風の冷たさは今もなお冬のままなので早く落ち着く事を祈るばかりだ。

屑星「春は」─春風

 キミは「春なんて早く終わればいい」と言う。
 春は太陽で宝石。春の風と生まれてくる命。
 子どものころは桜の色が好きで、ずっと春がいいと思っていた。お花見も毎年楽しんだ。思いきり息を吸い込むと春特有の柔らかい匂いがする。こんなにいい香りなのに、キミはマスクとティッシュを手放さない。

岼田蟹「収穫」

「春は馬車に乗ってやってくるんだってさ!」
春風に髪をなびかせてお姉ちゃんが言う。その手の内を見透かして、私は言葉をゆるく投げ返す。
ふたりきりの幸福な散歩道ももう終わりに近づき、私は差し込んでくる西日に目を細める。
「横光利一?それ」
「よくわかるね、やっぱり███には敵わないな」
春風に髪をなびかせ、お姉ちゃんは可愛らしく笑みを浮かべた。角を曲がれば私達の家がある。
「その人の本持ってたっけ、お姉ちゃんの本棚で見たことはない気がするけど」
「青空文庫だよ」
道を右に折れる。見慣れたどうでもいいポスター、電柱、茜色の雲、さび付いたトタン屋根。
そんなものしか目に入ってこない。退屈な日常の風景だ。景色はいつのまにか動かなくなっている。
「███、中入りなよ」
お姉ちゃんが呼んでいた。家に入る一瞬、落ち着いた匂いを感じた。

「ふう」
自室に戻り、ベッドに寝転がってなんとなく読みさしの本を手に取った。
視線で文字を追い、ページをめくる。静かな室内で、私の脳内には先ほどの甘美なお姉ちゃんとの情景は消え失せ、思考の波が打ち寄せる。
この本は海外の思想家の本で、この思想家は自らの経験から人体の様々なものを一人の人間という視点からも忌避するきらいがあり、そのちょっとした自家撞着が面白い。
人間として欲望を手にしていながら、その欲望の根源は自由意志によって獲得されたものではなく、したがって欲望に基づく願望は自由な願望ではないため、人間は器官の奴隷と化している、そんなことを述べていた。
その思想は私の内奥の懊悩を貫いた。
私はある願望を抱えていた。そのために幾夜も眠れぬ夜を過ごし、涙で布団を湿らせ、思考のリソースをそれなりにつぎ込んでもまだ解決には至らない。
『死に至る病』は絶望だといったのはキェルケゴールだった。しかし私にとっての『死に至る病』は絶望とは対極に位置する感情だった。
情愛、つまるところは恋。
世界中のいたるところで恋は行われて、確かめられて、破局したり、結実したり、様々な結末を迎えるはずのもの。
しかし私の場合は違う。
この恋は結果を産み出してはいけない恋だ。
存在してはいけなかった感情だ。
実の姉のことを恋慕するなんて感情は。
私達は姉妹で、どうしようもないほどに近くて、それでいて完全に分かたれている。
それでも好きになってしまった。恋をしてしまった。この感情に身を焦がして、燃え尽きるのは私だけなんだ。
そんなことを考え、この恋の暗い展望に気が滅入っていた時だった。
部屋のドアが急に開かれ、
「███、お風呂いいよ」
お姉ちゃんの朗らかな声がした。私の暗い考えはどこかに飛ばされていった。
「うん、すぐ入る」
浴槽に浸かりながら同じ事を考えていた。どうしようもないこの感情をどうしようか、そればかり考えても結論は出なかった。
私は本当にどうしたらいいんだろう。
何の気なしに俯いて萌木色の水面を見る。
そういえば、私は今お姉ちゃんが入った後のお風呂に入っている訳だ。手でお湯を掬い、そして──
「███」
そう私を呼ぶお姉ちゃんの声がした。
「███!」
戸が開いた。手に掬ったお湯を浴槽に戻す。
「あ、お姉ちゃん……え、どしたの?何?」
お姉ちゃんは突飛なことをする癖があるのだが、お風呂に入ってきたのは始めてだ。
もしかすると、先程の行動はすべて見られていたのではないだろうか。お姉ちゃんの残り湯を、どうにかしようとしていた私の行動は。
濡れた髪で視界が邪魔される。お姉ちゃんの顔が、よく見えない。
「だって███がずっとお風呂入ってるから……」
「ありがと、もう上がるから」
私は普通の顔でお姉ちゃんと話せているのだろうか。
「早くしないとご飯冷めちゃうからね!」
多少怒ったような素振りをしてお姉ちゃんは出ていった。後を追うように私も浴槽から出る。
結局、「何をなすべきか」という結論は出なかった。
おそらく私はこの感情を持て余しながら、ゆったりとしたお姉ちゃんとの日常の中でその気持ちになんとか蓋をしようとするのだろう。多分それは失敗して、私は悶々とした感情を抱え続けながら、明日も明後日も来月も来年もお姉ちゃんの隣にいる。それでいい。
解決なんて求めない。ただ、隣に居させてくれればそれでいい。きっと苦しいけれど、私はこのままでいたい。
いっそのこと嫌われてしまえば楽になるのかもしれないけれど。
そんなことを考え、お姉ちゃんの止まらない話を聞き流しながら二人で夕食。
こんな何気ない日常が、今は一番大切で、これ以上に何も求めたくないと思う。
でもその一方で、もっともっとお姉ちゃんのことを求めようとする私はどこかにいて、止揚なんて出来ないままに欲求不満の対立が続く。
怖いのはこの関係が変わってしまうことだ。私の告白を、お姉ちゃんがどう受け止めるのかということ。
受け入れてくれたり、同意はしないながらもその恋を、私のことを否定しないでこれからも隣にいることを許してくれるのであれば万々歳だが、拒絶されたり明確な嫌悪を示された時のことを考えるとどうしようもなくなる。
私のその噂は広がっていって、社会的に孤立しながらただ何の意味もなく生きていくという人生を想像するだけで暗い気持ちになる。
私のことを拒絶するお姉ちゃんの顔、声、態度、全てが恐ろしくてならない。
それは怖い。恐ろしい。
じゃあ私はどうしたらいいのか──
何もしなければいい。
現状で満足して、なにもしない。苦しみも日常と一つとして受け止めて暮らしていくしかない。
やっとのことで思考に区切りを付けてよそ見をしてみると、空はもう暗くなって、西の空には金星が輝いている。
「お姉ちゃん、金星が出てるよ、ほら」
「ほんとだ!あれ?」
「違うよ、もっと上のやつ」
少しばかり強引に、お姉ちゃんの肩を抱いて金星を指さす。細い。
私と同じぐらいではあるけれど、やはりどうしても儚いと思う。もっと力を入れれば折れてしまいそうにも思える。
お姉ちゃんのやわらかいにおいが薫って、忘れていたさっきの感情が燻りだすのがわかる。
きっと外では金星が春風に吹かれていて、それでも負けずに燃え続けている。私もそうなんだろうか。
金星は恒星ではないから、爆発して無残な結末になるようなことはない。
けれども、私の中のこの火は、今は私の身を焦がすだけでも、いつか私を爆発させてしまうんじゃないか。
この気持ちを我慢しきれずに、いつか何もかもをぶちまけちゃうんじゃないか。
そして拒絶でもされたら、私の中で超新星爆発が起きて、そして破滅した恋はブラックホールになって私を吸い込んでしまうんだ。それで終わりなんだ。
金星が、春風が恨めしい。私はこんなにも苦しくて仕方なくて、いつ消えてしまうともわからないのに、あの春風と金星は、私がいなくなってからも長い間は生き続けているに違いない。
お姉ちゃんはそんな春風に吹かれて、私のことを忘れて生きていくのかもしれない。
そんなことを考えていると、お姉ちゃんは私を押しのけようとしていた。
「痛いよ」
「あ、ごめん」
力んでしまっていたみたいだが、悪いのは私ではなくお姉ちゃんの方だ。それだけは間違いない。
「そうだ、███」
ふと、お姉ちゃんに名前を呼ばれる。
「どうしたの?」
「ん、実は███に言いたいことがあってね」
気分は急転直下。
最悪の可能性ばかりが脳裏をよぎる。不安になり、困惑し、恐怖し、目の前が真っ暗になってどうしようもなくなる。でも、でも。
その一方で、私は間違いなくどこかで期待してしまっている。
お姉ちゃんも私と同じであることに。私がお姉ちゃんに恋するように、お姉ちゃんも私に恋していることを。
もしかしたらであるけれど、そのもしもを否定したくない。私はそう思って、聞いていられなくて、少しでも現実から目を背けようとして、瞼を閉じた。
「私ね、好きな人がいるんだ」
間違いなく、最悪の結果だった。

目を覚ました。昨日、お姉ちゃんの話を聞いた後どうしたかは覚えてない。ぽっかりとそのあとの部分の記憶が抜け落ちていた。
とりあえずスマホで時間を確認すると、もう六時半になっていた。のそのそと、不安な心持で布団からひとまず出る。顔を洗って、歯を磨いて、着替えをして、上に緑色のウィンドブレーカーを羽織って玄関から出る。
家の前にはもうお姉ちゃんがいた。
「あ、███!遅かったね!」
私達は散歩を日課としている。どちらからともなく始めた習慣で、長続きしないかもしれないけれど、今のところこうやって毎日散歩している。時間はまちまちで、昨日は夕方に行った。
そういえば、昨日のことなんて覚えていないと思っていたけれど、今日は朝起きたら行こうと思っていたということを無意識に覚えているあたり、昨日の記憶は私が抑圧してしまっていると考えた方がよさそうだ。変なところで律儀な自分に嫌気が刺す。
でも、朝の空気は澄んでいて、お姉ちゃんの顔もなんだかきらきらしていて可愛らしく、昨日の私の絶望は嘘みたいに軽くなって、私の体を離れていくみたいに思えた。
「それでさ、昨日の話覚えてる?」
引き戻された。逃げ場なんてなかった。
「好きな人の話?」
今一番話したくない話題だった。聞きたくもなかった。知らない輩との惚気話を聞きたくなんてなかった。
「うん、そう」
「その人とお付き合いしてるっていったら、███はさ、驚く?」
わざわざ私の方を向いて、
わざわざ私が好きになったポーズで、その顔で、その声で、
わざわざ私にそんな相談をするなんて。
春風がお姉ちゃんの髪を吹き上げる。春の薫りがした。
驚くなんてものじゃない。
お姉ちゃんがものすごく残酷で、私がなんとしても避けたかった現実を押し付けてくる悪魔みたいに見えて、それにつられて私の中で酷い衝動が渦巻いた。
お姉ちゃんをめちゃめちゃにしてしまいたい。田んぼの中に突き落として、顔を泥中に埋没させて窒息させたい。急に殴打を叩き込んで、私への信頼を粉砕してしまいたい。最期の瞬間を私だけのものにしたい。誰にもくれてやりたくない。お姉ちゃんの一番そばに居続けたのは私で、一緒になんでもかんでもやってきたのも私である以上、その権利も私に付与されて然るべきではないか。
私が。
私こそが。
お姉ちゃんを今のままで収穫し、永遠に私のものとすることが出来る。私がやるんだ。私こそが。
収穫の唯一の行為の主体となり、このデュオニソス的悲劇を喜劇的に遂行し、お姉ちゃんの生命を完全に蕩尽する。非-知の夜に、絶対精神に、アガペーに、大地に、春風に突き動かされる。汚されざるものとして私の体験の中の永久で不朽の権威と美を、桎梏として構成させ、風とともに去らせなどはしない。

お姉ちゃんは用水路の横の細く這うコンクリートの上に、不安定に立っていた。
春の訪れとともに緑を取り戻した葉は日陰を産み出し、用水路には山からの雪解け水が滔々として轟轟と流れている。油断があった。
春風はお姉ちゃんの体を揺らめかせた。
「あ……!」
[22:48]
そんな腑抜けた母音がお姉ちゃんの最期の声になるのは悲嘆。しかしそれを消費し蕩尽し咀嚼する唯一の現存在は私だけ。
お姉ちゃんを突き飛ばす。流れる水に彼女の体を委ね、私は彼女の最期の精神と希望を蕩尽して絶対の虚無と絶望を収穫する。
目が開かれて、体が宙に舞い、地球は無邪気に彼女を引きずり、荒れる水面は大口を開けた。

私は駆け出していた。どこへともなく。なにかに突き動かされて。
私は悪くない。だってこれは、きっと、春風のせいだ。

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