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ヨハネ・ボスコ学園文芸部部誌4月-桜、出会い、旅

唐島 潤「談笑会 4月」─桜、出会い

「……え〜では、皆さん2年生の授業に慣れてきた事でしょう!…それで……」
広い脂ぎった額、後退つつある髪の生え際、ぶ厚い眼鏡に、七三分けされた前髪、その特徴を持つ中肉中背の中年の男が教壇に立っていた。その男は去年オレのクラスの担任だった現文教師のシチサンであった。シチサンは今年もオレの担任になったらしい、頼んでもないのになんでだろうな。 シチサンが必要なのか必要無いのか分からない話を飽きず続けていると、チャイムが狭い箱庭のような教室の中、高らかに鳴り響いた。
「きっ、起立っ!気をつけいっ!…あっあっ、…れ、例っ!」
あまり乗り気ではなかったものの、皆の投票に選ばれてしまった、哀れで気弱な学級委員長は出来るだけ声を張り号令を発した。その号令と共に席を立ち、一礼してその日の授業が終わった。鞄を持ちぞろぞろと出入り口へと向かい帰宅する者や教室に居残る者と様々だが、オレも帰宅する者だ。なにせ今日は談笑会があるからな。リュックサックを背負い、教室の出入り口から出ようとしたその時、肩が優しめに叩かれた。誰だ、と思い当たる人物は思いつくが振り返ってみる。振り返った先にいたのはモジャモジャ頭の井上で、その隣には厚底メガネの新田が立っていた。今年もオレはコイツらと一緒のクラスになり、結局去年と顔ぶれはまったく変わっていない。
「よぉ!田中!2年度も女子校の生徒とお話会?するのか!」
「…お話会じゃねえよ、談笑会だ」
そんな事聞く為に止めたのか、と呆れ溜息を付きサッサと出入り口から出ようとすると新田がこう言ってきた。
「そう言えばさ、田中はなんで女子校の生徒の人と談笑会してるの?どうやって出会ったの?普段女子校の生徒とうちの学校の生徒が関わる事なんてないから、去年から気になってたんだよね。そこんところはどうなの?」
新田の問いに頭が真っ白になる、女子校の生徒…、和泉さんとの出会い、去年の4月に出会った時の記憶が頭の中を巡回し始める。石の様に固まっているオレの目の前で井上は、
「お〜い?」
と手を振って、意識が別の所に行ってないか確かめている。
「……あ〜…すまねえがそれについてはプライバシーの問題だから控えさせてくれ、それじゃあな井上、新田」
「お、おうじゃあな田中」
「じゃあね田中〜」
井上と新田に帰りの挨拶を告げた後、出入り口を抜けて速歩で廊下を渡る。まだ談笑会にはまだまだ早いが、無意識に足が速くなってしまう。
正面玄関を出ると校庭の外沿いや校門前に満開に咲き乱れている桜が出迎えている。風に靡かれてパラパラと散っていく花弁が道に落ちていき、まるで桜のカーペットのように校門までを舗装している。だが校門への道なんて色んな人々が行き来するものだ、そのせいで桜のカーペットはどんどん土に塗れて汚れて見るも悲惨な姿となり、そしてまた桜が風に靡かれて散って、道に落ちて桜のカーペットを作り出す。この流れがなんと風流で美しく、儚いだろうか………。
──なんて和風な美の風景に浸って、つい正面玄関前で惚けたまま直立していたが、今はまだ時間が有るとは言えそれでは何時でも時間を忘れて風景に耽ってしまいそうだったので軽く頬を叩き、容赦なく桜のカーペットを踏みつけて校門を出た。

例の坂「心臓破きの坂」、「行きはよいよい帰りは怖い、を具現化したような坂」の傍にも街路樹として桜が植えらえ、あの忌々しい坂も一種の芸術作品のように壮麗な風景であり靡く程、桜吹雪がこちら側へ勢いよく向かってくる。この町は桜の名所として有名であり、植えられている木は殆ど桜の木だ。その為春以外は侘しい場所ばかりだが桜が散る迄の期間は別で、普段SNS映えしないからと地元から離れる若者もこの時期だけは戻ってきて「映え〜」と桜を背景に撮ったり、はたまた桜そのものを撮るらしい。そういうSNSに精通してる井上が教えてくれた、オレはSNSは動画サイトしか見ないからSNS事情はさっぱり分からん。
井上から聞き齧った知識を思い出しながら桜並木をゆったりと眺め、坂道を歩く。流石に走る時よりは辛くはないが、急な坂道は膝に疲労が溜まる。

「帰ってきたぞー」
鍵を解錠しアパートの扉を開け、先に帰宅していた弟にそう発すると今月中学生になった弟が喜色満面な笑みを浮かべてオレがいる玄関に駆け寄ってくるが、急にスンッと有名なチベットスナギツネのような表情に変わった。
「どうした?途中まで嬉しそうだったじゃないか?」
「……だって兄ちゃん体中桜まみれだぜ、そのまま室内に入ったらオトンとオカンに叱られるぞ」
オレとしていた事が失念していた。玄関で頭からその先まで叩いてみると、みるみる桜の花弁が降ってくるではないか。いや、桜吹雪に見舞われたからといって、ここまで桜まみれになるとは思ってなかった。
後で外で出しておこう。
「もう桜着いてない?」
「着いてないよ」
「良かった。今からまた出かけるから兄ちゃんが帰ってくるまで扉はしっかり鍵を掛けておくんだぞ」
「分かってるよ〜行ってらっしゃ〜」
弟の見送りを確認したのち、足で下に溜まった桜の花弁を扉の向こうに蹴落として、扉を閉め施錠する。

アパートから少し歩き、今は珍しいレトロな喫茶店「コランダム」の入口付近に立ち止まる。そういえば和泉さんと初めて会ったのもここだったなとふと脳裏を過ぎった。
扉を開けると優しく柔らかい音色のドアベルが出迎える。店長夫婦はカウンター奥で皿を洗ったりしたり会計を行っている。席を見渡すものの談笑会を行う筈の女子校の友達、和泉さんは見当たらずいつもの左奥にある椅子席に座る。そして何十回、何百回も見ている馴染みのメニュー表を軽く見通し、呼びベルを鳴らす。すると店長夫婦の妻の方がとっとこ速足でアナログな伝票を持って向かってくる。
「ご注文はぁ?」
明るいがどこか不思議がりながら注文を聞いてくる。まあ和泉さんが居ないから不思議がっているのだろう。
「アイスコーヒーとハンバーガーセット1つ」
手短に伝えると店長の妻は素早く伝票に書き記し、そそくさとカウンターへと戻っていった。数分待っているといつもの味をまろやかにするヤツと合わせて水滴滴る硝子のコップに注がれたアイスコーヒーと、上に支えの為に爪楊枝が突き刺されている一般的に想像されやすいTheハンバーガーに、傍にケチャップが配置されたカラッと揚げられたフライドポテトを添えられ白磁の平皿に載せられてやってくる。
「ごゆっくり〜」
店長の妻に軽く会釈した後アイスコーヒーの味をできるだけ整えて、両手でハンバーガーを掴みかぶりつく。鉄板の上でじっくり焼かれたミンチ肉の肉汁と、シャキシャキと瑞々しいレタス、中に塗られたケチャップとマスタードの酸味とピリ辛全てがベストマッチで食べ進める口が止まらない、副食の如く共に添えられたフライドポテトもケチャップを付けて摂食すると、するすると喉元を通過していく。ここで冷たい飲み物を飲むと良いのではないかと閃き、味を整えておいたアイスコーヒーを喉が鳴る程の勢いで飲み込む。──コーヒーは言わずもがな絶品だし、暖かくなってきたこの頃に飲む冷たい飲み物は最高なのは前提として、ハイパージャンキーなハンバーガーとアイスコーヒーは美味しいではあるけど、コーヒーよりは炭酸飲料、特にコーラとかと合わせた方が更にハンバーガーを引き立てられて良いなと先人達が何度も証明していた事実を思い知らされる。これはオレがいつもの癖でコーヒーを選んでしまったのが悪いと反省するしかないだろう。
「……それにしても和泉さん全然来ねえなぁ」
和泉さんが来るまで、半分まで飲み干したアイスコーヒーの氷をマドラーで掻き混ぜて暇を潰す。前々回と前回、オレが2回とも遅刻を繰り返してたから待つぐらい別に大した事はないのだが、新田の問いかけが頭の中で木霊する。和泉さんとの出会いは確か高校に入学して数日経った頃、「コランダム」の前に待ち人を待ちわびているかのように直立不動で立っていた和泉さんを目撃してしまったのが始まりだ。和泉さんを見て抱いた第一印象は、漫画とか小説とかに必ずしも出てくるような金持ち学校の女子校に居そうなお嬢様だな、と思った。小学校までは男女共通だった筈だが、薄れかかっている記憶を手繰り上げてもこんな女は初めて見たとそう確信できた。そうやって思考しつつ見慣れない相手を不躾ながら眺めてしまったのが運の尽きだろうか、本来住む世界が全く異なる者、和泉さんにあの時目をつけられてしまった。
「やあ君アレだろ?男子校の生徒。もし良かったらこの喫茶店に一緒に入ってくれないかい、ココに来るのは初めてなんで1人だとちょっと恥ずかしから」
こちらとも初対面なのに飄々と話しかけてくるなと思っていたが、後から聞いた話だと緊張しながら話してたらしい。そして何を思ってか自分も自分で同行してしまった、初対面なのに、友達でもないのに。店内に入ると昔からの顔馴染みである店長夫婦が目を丸くして驚いたような顔をして出迎えた、あの時からだろうな、あんなに小さかった坊主が彼女を連れてきたと勘違いされ始めたのは、別にあの時は友達でもなかったし、今でも付き合ってはいない。特等席である左奥は西日が差し込み夕方になると眩しくて仕方がない、いつもの席までエスコートすると和泉さんは顔を顰め
「ここ眩しくないかい?」
と苦言を零していた。
「常連であるオレのオススメスポットだからがたがた言うなよ」
和泉さんをソファ席に座らせ、自分は乱雑に椅子に座らせ黙らせ、アクリル板越しからメニュー表を渡したりして注文を決め、お互いの事を話し合ったりしていた。
「生まれはここだから家はあるんだけど、両親の仕事の都合であちこち飛び回ってて、長くいた学校も1年となかったけどさ、高校生になったから執事を付ける事を条件にここに残して貰っているんだ」
「へぇ、執事を雇えるって事はかなり稼いでるんだな、あんたはあんたで大変そうだがあちこち飛び回れるの羨ましいぜ、なにせウチは親戚は殆ど近場に固まってるから県外に行く必要はないし、修学旅行も今流行りのあの病のせいで中止になって県外に出た事ねえからな」
なんて話してたら確かここで注文した物が席に運ばれた筈だ、その時オレが注文した物は流石に忘れてしまったが、和泉さんはこの時期限定の甘いもんを頼んでいたのは覚えている。だが名前は朧気だ、なんだったかな…確か桜かどうこうのプレート?だった気がするがいやはや…………

「おや、今回は早く来たんだねぇ田中さん」
頭を捻らさせ悩んでいるその時、和泉さんがやっと来た。
「すまんすまん。それで…今年もやってるかな?……おっ!あったぞ!──桜大奮発ピンクパーティープレート下さ〜い!!」
和泉さんは長ったらしいなんともヘンテコな商品名を読み上げながら期間限定様のメニュー表にデカデカと書かれたソレを指差しながら呼びベルを鳴らし、店長の妻に伝えた。
───桜大奮発ピンクパーティープレートかぁ、自分の中でやっと正解を導き出せて和泉さんに出来るだけバレないように心躍らせた。

唐島 潤「旅」─旅

自分探しの為に世界旅行を行いました。 人身事故が絶えない工業が発達している国に行きました。 人身事故に巻き込まれ手足が粉々に切り刻まれました、そのお詫びとして国からこの国1番の技師が作製した義手と義足を貰いました。元の手足より高性能な手足になりましたがまだ自分が見つけられなかったので旅を続けました。

環境汚染が激しく全てが人体に影響を与えますが政府によって事実が隠されているので幸せに発達した国に行きました。 その優しい人達に教えられた国の水を飲み臓器が使い物にならなくなりました、被害者が出た事を隠したい政府によって人工臓器を移植されました。元の臓器より高性能な臓器になりましたがまだ自分が見つけられなかったので旅を続けました。

国民全てが実験体である科学が発達している国に行きました。 イカれた科学者によって心臓と脳みそを弄られ生身の肉体がなくなりました、イカれた科学者は自分をアンドロイドに作り替えました、メンテナンスを怠らなければ実質不老不死の体になりましたがまだ自分が見つけられなかったので旅を続けました。

どこもかしかも花が咲き乱れるとても美しい桃源郷のような国に行きました。
誰も彼も優しく自分を受け入れてくれて楽しい楽しい時間をずっと過ごせました。

ですが未だ自分が見つけられず、久しぶりに家族に会いたくなって元の国に帰国しました。ですが帰ってきた国は全く違う世界のように変わり果てていて、人に尋ねても自分の家族は知らないと答えます。仕方ないので図書館で調べてみたら自分の家族はとっくの昔になくなってました。
自分探しの為に旅に出たのに手足はなくし、臓器もなくし、生身の体もなくして、最終的に家族さえもなくしてしまいました。全てなくしてしまいました。

泣きたくても泣けない体となった自分はどの国に行ってももう誰も受け入れてくれず、唯一自分を優しく受け入れてくれた桃源郷のような国に戻りました。

岼田蟹「胸騒ぎ・桜花・ユートピア」─桜

最後に故郷に帰省したのはいつだろうか。もう五年になるかもしれない。旧友は元気だろうか、何か変わっているところがあったりしないか、そんな徒然に身を任せ、疾走する新幹線の音を聞いていた。今でこそ私は都会で労働しているが、かつては田舎で暮らしていた。といってもそれは小学三年生の時までの話に過ぎない。今でもその時の光景を思い描くことがある。草いきれの中、微動だにしなくなったアブラゼミをつついていたり、雪を踏みしめて学校に通ったりしたそんな幼い記憶の断片は私の中に今も残っている。山に囲まれた矮小な平地に作られた村、そこが私の故郷だ。最寄りのコンビニまで車でニ十分。あたりにあるのは森と小高い山と田んぼぐらいで、ところどころに二、三軒の家々からなる集落がある。その程度の田舎だ。子供の遊び場なんかどこにもない。だからひたすら走り回ったり、適当に森に入ったりして原始的に遊んでいる。村に子供なんてほぼいない。そんな私の唯一の遊び相手が真矢(まや)だった。真矢は私よりもずっと元気な子だった。雨の日も台風の日も私を遊びに誘ってきた。私はなんだかんだと理由を付けて断ることもあったしそれを受け入れて遊ぶときもあった。私が都会に引っ越してしまう前の年のことだったと思う。故郷の村には独特の風習があって、夏の祭りの時には子供は外に出てはいけないと言われた。その年も家族は祭りにいってしまい、私は一人で家に籠って本を読んでいた。すると縁側から声がした。
「臾希(ゆき)ちゃん、いる?」
真矢の声に違いなかった。
「何しに来たの?帰んないとだめだよ」
こう返した覚えがある。今でこそひねくれて諸々に疑いを持つような大人になってしまったけれど、当時の私は幼く判断力もあまりなかったため、親に言われた「外に出てはならない」という戒めを妄信し、脅しとして言われた「お化けが出る」というようなことも鵜呑みにしてしまっていた。
真矢はぐいぐいと私の手を引っ張った。
「お祭りだよ!行こうよ!」
「だめだよ、お化けが出るよ」
「そんなの怖くないよ、ほら、行こ?」
結果として、私は真矢に押し負けてしまった。サンダルを履いてしぶしぶ外に出た。ぽつんと立つ街灯は道路をまばらに照らしていた。その元に集まる虫たちがちらちらと見え隠れし、どことなく不気味で仕方なかった。
村の真ん中にはほかの集落よりも一回り大きな集落があり、そこからは明かりと煙が立ち上っているらしかった。
「あれなんだろ、行ってみよ!」
真矢が言った。私は手を引かれてついていった。真矢は道路ではなくあぜ道を歩き、集落の北の防風林からその明かりをのぞきに行った。
陰鬱な森に入る。土は落ち葉に覆われていて足元はどことなく落ち着かず、サンダルと足の裏の間にスギの落ち葉が入ってきてぞわっとした。視界にずっと居座り続ける闇もまた不気味だった。先ほどからちらちらと煙と木々の影に見え隠れしていた明かりは突如大きくなり、鯨波は私達の耳にやってきた。見つかってしまったのか、怒られるに違いない──私はそう考えて泣き出した。真矢に抱きしめられてなだめられた記憶は今でも生々しく思い出される。汗のにおい、真矢のかおり、そしてその中で何かが焦げる臭いがして、ふと顔を上げてみると、明かりの向こうでは人の声はいっそう大きくなり、そして女性の叫びが聞こえてきた。私には見えてしまった──若い女が火に焼かれていた。長い茶髪を振り乱し、眉を顰め、天を仰ぎ喘いでいた。煙が彼女の姿をすぐに覆い隠した。そしてまた見せた。
よく知っている人だった。真矢はあの人からよくお菓子なんかを貰っていた。私は勉強を教えてもらったりしていた。夏の間だけ帰省していて、来週には戻っていくと話していたのを覚えている。そんな人が焼かれていた。
私は衝動的に真矢の手を掴んで走り出した。あの人が焼かれている、どうして、何か悪いことをしたのか、私達のせいか、見つかっていやしないか、私達も焼かれてしまうのか──そう考えると足は止まらなかった。見てはいけないものに違いなかった。触れるべきではなかった、この村の呪われた部分を目にしてしまった。
真矢はあの光景も叫びも知らないようで、腕を掴んで急に駆け出した私にぶつぶつと文句を言っていた。私の顔を見たら何も言わなくなったけれど。 そのあと何をどう言ったかはもう覚えていない。ただ、あのあと真矢は大人しく帰っていったということしか覚えていない。
あれからもう16年にもなる。今となってはあの出来事も嘘だった気がする。夢だったのではないか、そう思われてならない。しかしそれ以後焼かれていたあのひとを見た記憶はない。本当にあってよいことなのだろうか、ありえたことなのだろうか。 そもそも真矢という人間は私の妄想に過ぎないのではないか。そこは私の故郷ではなく、夢の中で出てきただけの場所ではないのか。 そんなよくわからない疑念が浮かんできた。最初は精神の疲労だろうという程度に思っていたのだけれど、どことなく胸騒ぎがしてその思いを払拭出来ず、どうしても確かめたくなってしまった。 だから今私は新幹線に乗って故郷へ向かっている。電車を乗り継ぎ、最寄り駅まで行ってからはタクシーか何か──最悪徒歩で村に向かうつもりでいる。
人伝に得た情報に関する私の記憶が正しければ、真矢はまだあの村に住んでいるらしい。仕事は何をしているのか知らない。

どうも記憶が混濁している気がする。今はもう真矢の実在を疑ったりするほどではないが、どこか胸騒ぎがする。
窓の外の風景はとんでもなく穏やかで、一面の緑と空の青の間にピンクのような白のような色が点在している。
真矢の実在の証拠はここにある。真矢の連絡先も持っているし、時折雑談や電話もしている。
新幹線を下りた。一度改札を出て、ローカル線のホームへと向かう。
懐かし気な景色だ。村からも見えていた山が見えている。春めいて駅の周りの雪はすっかり溶けているが、まだ高いところは寒いらしい。雪がまだまだ下まで残っている。
ローカル線に乗る。新幹線よりもだいぶゆっくりと走っている、こののんびりとした様子が心地よい。 頬杖をついて窓外に目をやる。田んぼにはまだ何も植わっていない。もうすでに木々は緑を取り戻し、桜もあちこちで咲いているらしい。
ふと、スマホが震えた音がした。都会と隔絶されていい気分でいたが、そんな気も蹴散らされてしまった。上司からの連絡だと面倒だ。資料作成か、国会の質問の答弁の作成か、はたまた同僚が泣きついてきたのか。休日にもこんなのを見ないといけないとは面倒だ。
斜に構えて通知を見てみると、それは真矢からのものだった。
「臾希ちゃん見て」
「桜」
真矢の家の庭に植えられていた桜が今年も満開になったようだった。彼女の家にも何度も遊びにいったが、この桜はいつ見ても気品があった。春の桜を着飾った姿だけでなく、夏の緑が爽やかな姿、葉が落ちた秋の物寂しい姿、雪にまみれる冬の果敢な姿もどれも好きだった。できれば私の家の庭にも欲しいような木だった。その写真が送られてきた。
「いいね、今日ちょっとそっちに寄るから顔出してもいい?」
取ってつけたように書いた。実際はこっちが本当の目的なのだけれど。
「いいよ!待ってる!」
真矢の声までもするようだった。

村につき、タクシーを降りる。大きめの紙幣が数枚消えてなくなった。
しかしそれだけの価値はあったと思う。春のにおいがする。都会にいては久しく嗅ぐことなどないにおい。土、草木、そして高い空。ここがどうしようもなく自分の故郷だと痛感すると同時に、あの思い出も蘇ってくる。真矢は知らない。私は知っている。私以外の大人たちも知っている。この村で、私は真矢以外のことを信じるわけにはいかない。誰もがきっとあの儀式に加担している。今まで何もないと思ってきたこの村。
間違いなく、何かがある。私はそれを確信している。
そして、その何かから真矢を守らなければならないということも。胸騒ぎがする。果たされた望郷の念が変な風に変わってしまったというふうにも思っていたが、実際はそうではなく、どうしようもない胸騒ぎに過ぎない。確証も論証もできやしない。
都会に出て、大学に進学してから、私は様々な文献を読み漁った。見つけた──見つけてしまった。どうしても冒涜的で、どうしても信じられなくて、どうしても真実だった。
真矢はここがユートピアだと、楽園のような、そんな場所だと思っている。かけがえのない場所だと。
私はそうは思わない。この場所は、「どこにもない場所」──いや、「どこにもあってはならない場所」だ。

屑星「桜の木の下には」─桜

 桜の木の下には死体が埋まっている。有名な言葉だ。
日本には桜は数千万本生えていると言われている。その全部の根元に死体が埋まっていることになる。つまり、数千万人が死んでいる。

「逆に言えば桜を植えたらその下に死体が出現するってことにならん?」
 最初に言い出したのはさくらだった。
「逆でしょ、死体から桜が生えてくるんじゃないの。そもそも迷信だし」
「いいじゃん。適度に怖がって楽しむもんでしょ」
「何目線?」
 いつも通りの何気ない会話。大学の食堂は新学期が始まってよく賑わっていた。
「じゃあさ、桜の盆栽みたいなやつの下にもミニ死体が埋まってることになんの?」
「それは、ほら一部じゃん。手とか」
「そっちのほうがサイアク!」
 そう言って私はとんかつの最後の一切れを口に放り込んだ。さくらはお茶を優雅に飲んでいる。
「まあ迷信だからね。その辺矛盾っていうか変なとこ多いんだよ」
「うん」
 3限が近いので食堂を出た。次の授業はさくらとは別だから、私たちは食堂を出たとこで分かれた。
 大学の敷地内にはまだ桜が咲いている。ほとんど散ってしまったが、強い強い緑色の合間にかわいらしいピンク色が生き延びている。このキャンパスは大きいから桜の木も多く植わっている。その全部の下に、死体が。多分100人分くらい。
 3限は教養科目だった。科目名は「総合4」総合科目は8つあるが、その中でも4つ目は大学や周辺地域の歴史を学ぶ。正直かなり楽らしい。

「こんにちは。総合4を担当しています。伊藤三波です。いつもは隣の根浦学院大学の文学部のほうで、ここら一体の風土であったり歴史であったりを研究しています。半年間よろしくお願いします」
 隣の大学のほんわかしたおばあちゃん先生といった感じ。レジュメも配布されるし、テストもないから出れば出席取れる神授業。
「ガイダンス、といっても皆さん3限は眠いと思いますので、レジュメだけさっとご覧になってください。そのあいだ私が好きにしゃべっているので、十数分だけ耳を傾けてくださいね」
 レジュメには成績評価の方法、15回の授業の予定、先生の自己紹介だけが書かれていた。空いたスペースに桜の写真がある。
「レジュメに桜の写真があるでしょ? それ、この大学内で撮った桜です。私のいる学院大のほうはちょっと新しい大学ですけど、ここの桜桃大学は歴史が古いでしょう? ほら、桜の木の下に……って話、このあたりにもあるんです」
 思わずスマートフォンから顔を上げてしまった。先生と目が合う。
「知ってる生徒さんもいるようですね。桜の木の下には死体が埋まっている。元々は梶井基次郎という文豪のお話です。まあそんなわけない、というのが通説ですが。みなさんこの大学のこの場所。大学ができる前は何があったかご存じですか?」
 知らない。隅っこのほうに古い建物があるのは見たけど、あれだけじゃ何もわからないし。
「大学の前は軍事施設だったんです。じゃあ、その前は?」
 先生は私たちの反応をたっぷり伺ってから言った。
「処刑場でした」
 教室内が静まり返った気がした。いつも歩いていた大学はもともと処刑場で、次は軍事施設で、ということは。
「ええ、このキャンパスの下には死体が埋まってるわけですね。いえ、実は軍事施設を作る際にわかる限りの亡骸は見つけて、近くの共同墓地に埋葬されました。ただ、どうしても下のほうに発見されなかった人は残っています。死体が埋まっていたのはちょうど中庭のあたりですね。桜、綺麗ですよね」
 今度はみんな窓のほうを見た。ここからは中庭は見えないが、この壁の先に中庭はある。新入生だろうか、はしゃぐ女の声がやけに響いた。
 そのあとも少しだけ授業の説明がされたけど、あんまり頭に入ってこなかった。

 授業が終わってから中庭に行った。桜はもう散りかけて、地面にピンク色のカーペットが敷き詰められていた。桜の木は一本一本が太く、大きな樹木だった。そのなかの一つだけ、枯れた桜があった。
 枯れた木の真ん中に、小さな穴があった。ちょうど腕を入れられるくらい、ちょうど中を覗けるくらいの穴。
 なんとなく周りを見渡して、もう4限の時間で誰もいないことを確認した。一歩、その木に近づいて、先に覗いてみた。暗くて何も見えない。匂いもしない。スマホのライトで照らそうとしたけど、今度はそれが邪魔で見えなくなってしまった。
 仕方がないから腕を突っ込んでみよう。
 穴の中はひんやりしていて、結構下まであるみたいだった。一回腕を出して、腕まくりしてもう一度入れてみる。
 空気しか掴めない。
 そもそもなんでこんなに桜に執着していたんだっけ。
 腕は木の内壁に当たるだけ。そのままぼーっとぐるぐるしていたら、突然中が冷たくなってきた。驚いて腕を引き上げようとしたら中に服が引っ掛かってしまった。
 引き上げようと腕を動かしていると、不意に手を掴まれた。
 ぐちゃぐちゃと水っぽい音がした。少し砂利のような感触もある。途端、血の匂いが穴から溢れ出てきた。
 私は焦って手を引こうとしたけど、穴の中で掴まれたまま動かすことはできない。もがくたびに中でぐちゃぐちゃ音がなって、血の匂いと、もっと何か嫌な、腐った匂いがむせ返ってきた。
 一瞬抜けたと思ったらその次に強い力で引っ張られた。変なタイミングでそうされたものだから、私は思いきり木に顔をぶつけて気絶した。
 それからはあんまり覚えてない。多分誰かが保健室に運んでくれて、そっから一人で帰ったと思う。そのあたりの記憶があやふやだった。
 次の日、あの桜を見に行ったらまだ穴は空いていた。今度はもう中を見ないし腕も入れない。
 ただ、あの桜の木の下には死体があるんだなと、もしかしたらもっと怖いものが下にあるんだとわかっただけだった。
 私が卒業してから2年後にその場所は新しい講義棟を作るために取り壊された。あのぐちゃぐちゃがどうなったかは知らない。
 

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