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差別と偏見 各論Ⅱ

先の記事に続いて各論であるが、各論Ⅰの方が重要度は高い。

スタイルとイズム

スタイルとイズム、どちらも日本語ではないので、私の用法であてはめるとすると、スタイル=地金、底流的な各人の気質に沿った生き方、イズム=処世術的な生き方、となる。イズムであればこそ「転向」も可能だが、スタイルはそうはいかない。スタイルは三つ子の魂百まで式であって、その人の中で一貫している。

芸は制限のもとで磨かれる。芸を輝かせる一大要素が制限であるといってもよい。自ずからその価値は局地的で、汎用的、均一な場には芸を持ち込めない。特殊と普遍それぞれに価値があるのであって、違いであって優劣ではない。持っている特性に応じて戦う場を見極める必要がある。

情報

人間一人に体は一つ。同時に違う場所にいて情報収集はできない。価値のある情報、信頼できる(裏どりのある)情報の見極めは難しいが、カエサルだって諸葛孔明だって完全無欠な情報をもとに作戦行動ができたわけではない。情報は、収集にはどれほどのコストをかけても価値を高めるように取り組み、活用には希望的観測を含めないことが肝要であろう。この二つをおろそかにしたら、負けるべくして負ける。

おわりに

書きたいことを、抽象度がやや高い状態で書いた。日常のそれぞれの場面に当てはめてみて、納得する部分もあれば、違うと思われる部分も多々あると思う。玉磨かざれば光なし、各人においてものの見方や考え方を磨く一助となっていれば幸いである。

文責筆者


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