【プロフィール】高校でレギュラーでもなかったヤツが15年プロコーチを続けてきた土台 〜小学生から大学1年まで〜
初の投稿になります。
15年サッカーコーチを仕事にしてきました。
某Jリーグクラブアカデミーから街クラブでの指導、もの凄い実績があるわけではありませんが、蓄積してきたノウハウをシェアしていきたいと思います。
メニュー紹介や試合分析、オススメ書籍なんかを記事にしていきたいと思います。
第一弾は自己紹介から
選手時代 〜小学生〜
小学3年生からサッカーを始めました。
途中でJリーグが開幕してブームがやってきました。開幕戦はワクワクドキドキしていた記憶です。
初めて観に行った試合が、日本代表vsユベントス(当時来日していた記憶です)で満員の国立競技場で熱気に沸いていました。
小学生時代のチームメイトがJリーガーになり10年以上現役を続けました。
その当時のメンバーとしては唯一今でも交流があり、同じサッカー人として誇れる友人です。
選手時代 〜中学生〜
中学は部活に所属。
強くもなく弱くもなく地区の大会でベスト8が最高成績でした。
多くの中学校で同じ状況だったと思いますが、顧問の先生はサッカーの経験者ではなく、練習メニューなども自分たちでやっているチームでした。
中学2年生の頃に保護者の紹介で来たコーチ(後に日本一になったり、日本代表選手を輩出したり、今では日本有数の指導者)が指導に来てくれた時期がありました。
主に先輩方の学年での指導でしたが、影響は後輩の僕らにもありその方がいなくなってからも練習メニューの流れなどは継続していました。
ただ、専門のコーチがやるわけではなく右も左もわからない中学生が自分たちでやるスタイルなので、徐々にチーム内に不協和音が生じチームは分裂。
その時期に部活を辞めてしまう同級生もいましたが、なんとか立て直しました。
今に至る出来事ではありますが練習メニューなどを考えることを、この頃から目覚めキャプテンではありませんでしたが、練習メニューの作成などは私が担当していました。
キャプテンやスタメンが変わったりなんとか自分たちで立て直し、ベスト8まで勝ち進むことが出来ました。
その頃から将来、サッカーの指導者になりたいと思い始めることに。
もちろん当時はサッカーコーチという職業はほぼほぼありませんでした。
Jリーグのトップチームくらいか。アカデミーもほとんどなかったし、私が後に働くことになるクラブでさえ、親会社からの出向で指導者をしていた人が一定数おりました。
選手時代 〜高校生〜
不遇な中学時代を過ごしたので高校はきちんとした指導者がいる高校に進みたいと思い、学区外の高校に進学します。
指導者ライセンスも今ほど普及していない時代でしたが、高校の顧問の先生は当時でも珍しい上位ライセンスの保持者でした。
サッカーの指導はもちろん、人としての部分にも厳しく、自分たちでやっていた緩い部活の出身の私にとっては相当なカルチャーショックでした。
日常的に飛び交うサッカーワードも新鮮だし、何よりサッカーに向かう意識が全然違いました。
まだまだ言い訳や自分に甘い部分があり、選手としては試合にも出れなかったです。
高校卒業が近づいて進路も決めなければならない時期で、いよいよどうやってサッカーの指導をして仕事として成り立つのだろうと、向き合っていく時期になりました。
当時はインターネットも普及していなく情報もないので、どうやってサッカーコーチになればいいのかもわかりません。
今であればサッカーコーチ専門学校がありますが、当時はかろうじてスポーツ系の専門学校があったくらいです。
サッカーの指導をしたい人が考える選択肢としては、教員になって部活の指導をするということが一般的でした。
ただ、私はサッカーの指導を専門にしたいと考えていたので、教員をしながら指導をするということはどうしても片手間になってしまうのではないか、教員という本業を疎かにしては担当する生徒にとって良くないのではないかと考えていたので、教員の選択肢はありませんでした。
上記のようなことをいわゆる進路相談みたいな席で話すと、よく怒られていた記憶です。 甘いこと言うなと。
よく周りからも、甘い考えだと言われていました。
選手は引退 〜大学時代〜
競技サッカーとしての選手は高校で引退して、その後はフットサルを2年ほどやりました。
練習試合や大会で対戦していた相手が後のフットサル日本代表になったり、チームメイトもFリーガーになったり、フットサル黎明期の郊外的な立ち位置にいました。
ここでも練習メニューなどを考えたり、対戦相手をマッチングしたりしていました。
そんなことを繰り返して後にFリーグに加入し日本有数のチームにまで成長するチームと月1で練習試合をしていただくことが出来ました。
自分の身分としては一浪して大学生になります。
仕事につくのも、専門学校にいくのもいまいちピンとこないので、とりあえず大学に進んで4年間である程度の方向性を決めようと考えていました。
高校を卒業してすぐに、現在のJFA公認D級ライセンスを取得しにいきます。
サッカーコーチになるためには教えることを磨かないといけないと思い、とりあえず塾の講師のバイトに応募しました。
当時はサッカーコーチのアルバイトなどなかったので。。
ここまで記載したように将来のことやなぜ塾の講師の面接に来たのかを力説したら(笑)、講師になるためのテストはパスして面接のみで塾講師のバイトに合格しました。
おまけに面接をした校舎は募集を締め切っていたのですが、面接をしていただいた塾長が気に入ってくださり、他の校舎を紹介してくれたほどです。
想いの強さや大切さを気づかせてくれた出来事でした。
ただ依然サッカーコーチになる将来は見えなく、ひたすらその時に備える時期を過ごします。
サッカー雑誌を読み漁り、練習メニューやインタビュー記事なんかをスクラップしたり、独学で勉強をしていました。
それと同時に近くの少年団をボランティアで指導をさせていただく機会に恵まれました。
いわゆるお父さんコーチが運営している少年団です。
私が指導に行かせていただく時期からは少し力がついてきたクラブでしたが、都道府県大会で上位に進出したり、ナショナルトレセンの選手を輩出したり、後になでしこ代表に選ばれる選手を輩出したりと力をつけてきたクラブでした。
私が指導に関わった選手たちも全国大会まで僅かのところまで迫ったり、都道府県トレセン、ナショナルトレセンに選ばれたり、Jアカデミーに合格したりと競合チームへと成長しました。
高校生の頃の私はサッカー選手としての意識にカルチャーショックを受けましたが、当時の小学生たちの選手として成長したいという意識には驚かされました。
高校生の頃の自分は顧問の先生に怒られることが怖くて、無難なプレーや距離感を保っていましたが、その小学生の選手たちはコーチにアピールするために常に指導者の近くにポジション取りをしていました。
もちろん小学生と高校生で競技性の違いはありますが、誰に教わるでもなくそういった態度をとれることは凄いな、と感心したことを覚えています。
そんな大学生活を過ごしていましたが、いよいよ運命の分岐点、C級ライセンスの受講が決まります。
長くなってしまったので、以降の話は次回につなげたいと思います。
最後まで読みいただきありがとうございました。
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