2023/09/12 ぐにゃ
「ホームズ、聞いてくれ」
ワトソンは寝巻のまま2階に降り、何やら実験をしているホームズに声をかけた。
「うん?どうしたんだ?君が着替えずに僕に話しかけるなんて初めてじゃないか?」
「あぁ、どうにもひどい気分でね。ひどい気分を超えているよこれは。なんとかしてくれ……」
ワトソンはそう言うと、床にへたりこんでしまった。
「おい、ワトソン、」
「ウーン……」
ホームズはワトソンに駆け寄る。
「ホームズ」
「あぁ」
「助けてくれ」
「何をしてほしい」
「わからない。推理できるか?」
「やってみよう。現在、君は少し熱っぽく、平常時よりも心拍数が多い。混乱しているようだ。君は昨日アルコールを摂取していないから、二日酔いではない。昨日女性をデートに誘ってよい返事をもらっているから、失恋の類でもなさそうだ。」
ワトソンは目を閉じたままホームズの推理を聞いている。
「さきほど『聞いてくれ』と言っていたな。何か僕に聞いてほしいことがあったはずだ。しかし、話す元気もない。ひどい気分らしい。何が原因だ。」
「ホームズ」
ワトソンは弱弱しい声で名を呼んだ。
「なんだ」
「話してもいいか」
「どうぞ」
「皿がたまっている、洗濯物もたまっている、本が散乱している、植物に水をやれていない、仕事に行かなかった、お金を使った、ゴミを捨てに行けていない、作品を作れていない、本を読めていない、ベッドメイキングが出来てない、日記が書けていない、僕はもうだめだ。僕はもうだめなんだよ、ホームズ、僕は君と一緒にいられないよ。僕は君のためになることができないよ。君の望むような助手になれないよ。僕は誰かが望むような僕でいることができないよ。『助けてくれ』と言ったけれど、どうしようもない。僕はもうだめだ。」
ワトソンは一気に言うと、うめき声を出して下を向いた。
「ワトソン、僕は、そうだな……、皿、洗濯物、本、植物、ゴミ、ベッドメイキングについては何とかしよう。本も読み聞かせをしよう。仕事、お金、作品、日記は、まぁいまのところは置いていてもいいんじゃないか?」
「何も作れない自分は嫌だ」
「今まで作ってきただろう。毎秒作りたい?」
「あぁ……」
「今までも寝ている時間や食事の時間や散歩の時間には作品を作っていなかっただろう。」
「許してくれ」
「許すも何も、君は許しを請わねばならないことをしていない。」
ワトソンは床を拳で殴った。
「こんな自分でいたくない。しかし、変わることができない。」
「変わりたいならば、何かしらするか。散歩でも、バイオリンでも、水やりでも……」
ホームズはワトソンが錯乱しているのだと考えた。
「君にそのような申し出をさせてしまって申し訳ない。今までありがとう。」
ワトソンは急に立ち上がり、自室に戻ろうとした。
「まて!ワトソン君!待て待て!」
ホームズはワトソンの腕をつかんで、床に倒し、腹部に乗って抑えつけた。
「どうしたんだ、まぁまぁ、落ち着きたまえ」
ワトソンは腕で顔を覆った。
「わからない。何が起きているのか。」
「リンゴを食べるか?」
「食べない」
「そうか」
ホームズも混乱している。
「君の頭の中に何があるんだ。教えてくれ」
「わからない。『足りない』という言葉が浮かんでいる。求めるものが手に入らない。求めるものが手に入らないだろうという予測。そもそも求めるものが求めてもいいものであるかどうかがわからない。僕は何かを欲しがるべきではない。」
「何が欲しいんだ」
「海とキスと紅茶が欲しい」
「求めてもいいだろう」
「そうか?」
「あぁ」
「いいのか?ダメだと思うよ」
「何故」
「僕はそれを得るに値する人間ではない」
「それは、海とキスと紅茶が決めることだろう。君が決めることじゃない。」
ワトソンは顔を覆っていた腕をのけて、ホームズを睨んだ。
「そうか?」
「あぁ。」
「そうかもしれない」
おわり
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