![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/148155318/rectangle_large_type_2_40d58784bbd80c80781d9160e926d591.png?width=1200)
9年前のはなし
いつかこそっと、この小さな町の片隅で演出しちゃおうと思っている大好きな演劇作品がある。既存の台本を演出することの難しさは過去に一度経験済みなのだけれど、この戯曲も手強そう。でもやってみたいよねぇ。というような話を友人らとして、少しだけ気持ちが本気になっているいまのタイミングでその戯曲本をえいやで買って、じっくり週末に読もうと思ってAmazonで買おうとしたら、なんと9年前にもう買っていた。えいやしていた。9年前もどうせ少しだけ気持ちが本気になっているいまのタイミングでその戯曲本をえいやで買って、じっくり週末に読もうと思ってAmazonで買ったんだろう。そう。9年前にやりたいと思った戯曲を、9年経ったいまでもやっていなかった。そしてその戯曲本は当然のように手元にはない。見当たらない。この9年間何をやっていたのだろうか。9年前の俺に言ってやりたい。9年後の夏に同じような話をして、同じような気持ちで、同じようなえいやで、同じような検索ワードで、同じ戯曲を探して、「9年前にもう買ってるじゃん」と思って唖然とするからいまは買うなと。9年前の俺が買わなければ、9年後の俺がもう買ってるじゃんってスマホ片手にひとりでつぶやくこともなくなるのだからな、と。9年前に買った戯曲本を9年後に再び購入した直後にきょうのこれを書いています。家のどこかに9年前の戯曲本が絶対にあるとわかっているのに同じ戯曲本を買う気持ち。察するに余りあろう。