![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/21574523/rectangle_large_type_2_d5a9fd3f9568ee3b83addc6d0953b0cb.jpg?width=1200)
不思議な振袖の謎を解き明かす
ここに一枚の振袖の写真がある。
20年ぐらい前、京都市美術館で開催された宮崎友禅斎記念回顧展を観に行って、買い求めた名品図録の中の一枚だ。
江戸、明治、の豪華な友禅染めの名品が沢山展示されている中で、どちらかと言うと地味で目立たない一風変わったこの振袖。
全体は濃いグレーの地色で、特に上前だけ見ると雪に見立てた白線と白砂子散らしだけの実にシンプルで地味な柄。
しかし、下前には雪持ちの菊に小鳥を友禅と刺繍で表した手の込んだ柄が付いている。
もちろん下前に柄と言うことは、現代のように着れば柄は中に隠れてしまう。
当時、私は会場で数ある作品のある中でも、特にこの振袖を見て、不思議に思ってしばらく前で立ち止まっていたのを覚えている。
では、私はこの振袖のどこ惹かれたのか?・・・・・
その前に、この振袖にはこんな解説が書かれていたので以下に紹介する。(原文)
--------------------------------------------------------------------------
「上前の文様は氷割れに粉雪だけで、地色も鼠という極めて地味な振袖であるが、下前には雪をかぶった菊と雪上の小鳥一羽を友禅で表している。裾引きでもアンバランスであり、裾を合わせればせっかくの色彩のある文様は隠れてしまうから、どういう意図で、こうした意匠が生まれたのか、大変興味のある1領である。下前にのみ文様を置いた小袖の例は他にもあるので、これが例外とは言えないが、その意図をご存知の方がおられたらお教え頂きたいと思っている。」
--------------------------------------------------------------------------
解説者にも解明できなかったこの振袖の謎。
当時、私はその謎をどうしても解きたくなった。
そして私が得た結論は、「江戸時代の奢侈禁止令(しゃしきんしれい)がこの振袖を生み出した」であった。
そこで、まずは少し歴史のおさらい。
江戸時代、幕府は何度も「奢侈禁止令(贅沢禁止令)」を出している。主に町人の衣服に関する贅沢が対象だった。
それだけ、幕府がお触れを出すほど町人が豊かになって、贅沢を楽しんでいたことがうかがえる。
その衣装道楽は町人だけでなく武家社会にまで広まっていた。その道楽に応えるための絹をはじめとする衣装産業の発展は江戸時代の産業を考える場合に見過ごすことができないだろう。
そして、吉宗はさらに厳しい贅沢禁止令を出した。享保6年4月と5月の規制では、従来も見られた雛道具や破魔弓、羽子板などの取締りに限られていたが、7月の規制では、器物、織物などの新製品の製作をすべて禁止し、書籍や草紙なども奉行所の許可を得なければ出版してはならないとした。さらに京都や大阪、その他所々から新製品が送られてきた場合は、少量であっても奉行所へ報告し、指図を受けることとしている。翌閏7月には、諸道具、書籍の他、諸商売物、新製品を作ることを禁止し、どうしても作らなくてはならない場合には、役所の許可を受けなければならなかった。
さらに、享保年間といえば、江戸時代の3大飢饉のひとつ享保大飢饉(享保17)が起こっている。そのときの餓死者は日本各地で農民を中心に実に96万9,900人の多数に及んだ(『徳川実記』)。 当然、さらに厳しい奢侈禁止令が発令された。
話は戻るが、この振袖は当時の金満商人が贅沢禁止例に反発して、作らせた一枚なのだと思う。
当時、一部の商人達は、大名などより遥かに裕福だった。
この振袖は、一見、お上のご意向に添っているかのように見せて、その実、「反発している」という「商人の心意気」の現れなのだ。
屋敷内ではお引きずりで着るので当然下前の図柄は見える。
しかし、外出に際しては「おはしょり」をとり、下前に絵柄を隠してしまう。当然、他人の目には質素な振袖に映る。
この振袖をよく見てみると実に計算され尽くした意匠であることが解る。
おはしょりをとって着ると右後ろ身頃から右脇裾にかけて、わずかに下前の柄の一部が見えるようになっている。すなわち、通が見れば下前に豪華な友禅や刺繍が施して隠してあることは容易に想像できるのである。
まさに、見る人の想像力までも利用した心憎い「通好み」の振袖といえる。
そしてこの振袖に代表されるように隠れたところや小さな物に贅と美を凝る、そんな日本人特有の粋の文化が育ったのは、皮肉なことにこの時代からだった。
まさにこれは奢侈禁止令の副産物と言えよう。
余談だが、当時生まれた代表的な染物に江戸小紋がある。
遠くから見ると無地、近付くと模様が見えるような総サメ小紋染め。
柄が細かいほど染めるのが難しく、粋で高価な着物。
一つ紋にすればあらたまった席にも着ていける。
これも、今なお受け継がれる奢侈禁止令が生み出した染物のひとつ。
そして当時、男性が羽裏や襦袢に凝るのも粋とされた。これも又隠れたお洒落。
その他、「根付」や「印籠」等の小さな物の芸術性も奢侈禁止令が高めたと言えるだろう。
「隠れたところにお洒落をする。」
「目立たないところに贅を施す」
「小さな物の芸術価値を高める」
このような「隠すお洒落」や「ひけらかさないお洒落」は、
今でも無くしたくない日本人の美意識のひとつ。
それは「品」「色気」「粋」に通じ、やはり着物に集約される。
そして、突き詰めれば「心の贅沢さ」「心の豊かさ」に行き着く。