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JOG(61) 李登輝総統の志

 漢民族5千年の歴史で初の自由選挙で選ばれた台湾総統。「世界でももっとも教養の高く、かつ名利の欲の薄い元首(司馬遼太郎)」


■1.世界でも第一級の文明■

 人口わずか2180万人の小国が、900億ドル(一人当たり約50万円)と世界第2位の外貨準備高を保ち、その1/5、400万人もの国民が株式投資をする。台湾経済はまさに現代の奇蹟である。司馬遼太郎は言う。

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 たしかに、台湾人のもつ学問・芸術についての才能は、きわだっている。 一方、よき家庭をつくる能力や一族を大切にするという文化をもっている。そういう漢民族固有の能力においては、いまは中国大陸のひとたちを越えているかもしれない。

 また、日本時代には50年間法治社会を経たという点で、大陸からきた人達や大陸にいるひとびとよりも近代的経験に富み、さらには個人や家族のレベルを越えてよき社会をつくろうとする良識があるなど、世界でも第一級の文明が台湾でうまれつつあるのではないか。[1,p314]
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 大げさな物言いをしない司馬遼太郎にしては、「世界でも第一級の文明」という表現は尋常ではない。そして言う。

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 運よく台湾は、世界でももっとも教養の高く、かつ名利の欲の薄い元首を持つことができた。
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 この元首が、李登輝総統である。

■2.私は二十二歳まで日本人だった■

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 李登輝さんとは、むろん初対面であった。 会う前から懐かしさをおぼえていたのは、ひとつには、この人も私も、旧日本陸軍の予備役士官学校教育の第11期生だったことである。
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 「会う前からの懐かしさ」を抱きつつ、司馬遼太郎は李登輝総統との対面に臨んだ。そんな司馬に、総統は見事な日本語で語る。

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 シバさん、私は二十二歳まで日本人だったのですよ。 自分は、
とこの人は言う。初等教育以来、先生たちから日本人はいかにすばらしい心を持っているか---おそらく公に奉ずる精神についてに相違ない---という教育をうけつづけたんです。むろん大人になってから日本へゆくと、日本にもいろいろな人がいるということを知りましたが。 しかし、二十二歳まで受けた教育は、まだのどもとまで--と右手を上にあげて---詰まっているんです、といった。
 たしかに、そう言われてみると、李登輝さんは日本人の理想像にちかい人かとも思えてくる。[1,p82]
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 司馬遼太郎と話しているうちに、親しみを覚えたのか、旧制台北高校の学生ことばになった。また数ヶ月後に台湾に来て、今度は東海岸の山地を歩く、というと、

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「じゃ、ぼくが案内する」
冗談じゃない、と思った。
「李登輝さん、あなたは大統領なのだから」[1,p88]
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 しかし、3ヶ月後に、約束通り李総統は東海岸を旅行中の司馬を訪れた。妻、嫁、孫を連れ、家族旅行の途上という形をとり、気を使わせないような配慮までして。[1,p370]

■3.初めての台湾出身の総統■

 旧制台北高校で、李登輝は塩見という日本人の先生から、中国史を学ぶ。この授業で、近代中国の受難を知り、その解決の最大の鍵は農業問題にあると考える。その後、京都帝国大学で農業経済学を学び、終戦とともに台湾大学に戻って同じ学問を続けた。さらにコーネル大学に留学して、農業経済学博士を授与され、台湾大学教授となる。

 '71年に国民党に入党し、台湾農政のためにつくす。その後、'78年、台北市長、'84年、中華民国副総統。そして蒋経国総統(蒋介石の息子)の死後、はじめての台湾出身の総統になる。'96年3月には、中国5千年の歴史で初めての民主選挙で、総統に再選された。

■4.夜、安心して眠れる国にしたい■

 李総統が政治家を志したのは、「かつてわれわれ70代の人間は夜にろくろく寝たことがなかった。子孫をそういう目に遭わせたくない」という気持ちだった。

 日本の敗戦後、蒋介石の国民党は、陳儀という大将を台湾省行政官として派遣してきた。中国の軍閥の常として、陳儀の部下は占拠地で略奪・暴行・強姦・殺人をほしいままにし、陳儀自身は紙幣をどんどん刷って私腹を肥やした。

 日本時代にはかつてなかった無法社会に怒った台湾人は、1947年2月28日に全島をおおう大暴動を起こし、国民政府軍は、日本時代に高等教育を受けた人間を片っ端から、連行・銃殺した。最新の調査では、約1万9千人が殺害されたと判明している。[2,p197]

 蒋介石が中国共産党に敗れ、台湾に移ってからも、'87年まで戒厳令が敷かれ、恐怖政治が続いた。たとえば、米カーネギー・メロン大学助教授陳文成は、国民党政権の批判者で、在米台湾人のオピニオン・リーダーであった。陳は'81年の一時帰国中、警備総司令部に呼び出されたまま帰宅せず、翌朝、台湾大学構内で死体となって発見された。米下院外交委員会はこれを蒋政権の人権侵害として非難した。[3,p199]

■5.中国史上かつてなかった豊かさと自由■

 李登輝は総統になってから、民主化を急ピッチで進める。帰国を禁じられた台湾人ブラックリストの解除、思想犯罪・陰謀罪の撤廃、強権と弾圧の代名詞だった警備総司令部の廃止、さらに戦後ずっとタブーであった2・28事件の慰霊碑落成式に出席し、総統として公式に遺族と犠牲者に謝罪した。その仕上げとして、蒋介石が大陸から連れてきた国会の終身議員を退職させ、96年3月に初の民主的な選挙を実施して、総統に再選された。

 この選挙の最中に中国は台湾海峡で軍事訓練を行い、ミサイル発射までして、威嚇した。しかしこれは逆効果で、かえって台湾人の結束を固め、李登輝の得票率を押し上げることとなった。[2,p40]

 台湾の豊かで、民主的な社会について、李登輝は語る。

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 民生の建設について言えば、現在、台湾の一人あたり国民所得は一万ドルを超え、外貨保有高は1000億ドルになんなんとしており、世界の先進国の仲間入りをはたそうとしています。今日の台湾のような繁栄した社会、活気にあふれた人民があまねく高度な生活水準にある状態の社会は中国史上かつてなかった現象です。

 民権の実現という点から言えば、ここ十数年来、世界30数カ国は権威主義体制から民主主義体制への変革を行ってきましたが、台湾のように平和的な形でそれを成し遂げた国は一つもありませんでした。今日の台湾は、名実ともに主権在民が実施され、国民はさまざまな自由権と参政権を持って、自由な意思を存分に発揮しています。また人権は十分に尊重されており、これは中国の歴史にはなかったことであります。[4,p15]
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■6.中国文化の新しい中心地をめざす■

 李登輝総統の国家ビジョンは明快、かつ壮大である。「経営大台湾、建設新中原」と言う。経営大台湾とは、上記のような「かつて中国史上なかった」豊かな、そして自由と人権の保証された国家建設をさらに進めることである。

 しかし、これは台湾のためだけではない。このような国家建設に成功しつつある自分たちの「台湾経験」は、大陸中国全体にとって意味があると総統は考える。

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「台湾経験」が全中国に広まってゆけば、...大陸の人々が自由社会の素晴らしさを知って、中央の統制から離れて経済的自立を果たしていく。そのことが将来、共産党による独裁政権政治を解消していく方向に繋がっていく、とおもうんですよ。[4,p42]
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 自由と民主主義で繁栄する台湾は、中華文明再生の新しい中心地、すなわち「中原」となると総統は信ずる。これが「建設中原」である。

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 台湾の刺激と競争がなければ、中国の歴史ないし中華文明の発展は、必ずや「定於一尊」(中央一極の意)に帰し、加速的な変遷転化の契機に欠けるでしょう。中国の将来および中華文化の発展のために、私たちは当然この台湾という土地を保護する責任があり、台湾がとこしえに中華文化を保ち、中国歴史に発展の方向に主導的役割を発揮させる責任があります。
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 これほど明確に自国の使命とアイデンティティを語れる政治家が現代の日本にいるであろうか。「日本人の理想像にちかい人かとも思えてくる」と司馬遼太郎に言われたら、現代の我々の理想はそれほど高いのか、と改めて自問しなければなるまい。

[参考]1. 台湾紀行、司馬遼太郎、朝日文芸文庫、H9.62. 台湾の命運、岡田英弘、弓立社、H8.113. 台湾の歴史、喜安幸夫、原書房、H9.64. 台湾がめざす未来、李登輝、柏書房、H7.12

■ おたより: 新垣剛さんより 

 中国という国はまさに多種多様な民族と、考えが混在する国家であると思います。先日訪れた広州では、下半身が不自由で風呂にもはいってないような垢じみた、10才ぐらいの少年が空き缶を前に物乞いをしているのです。中国人はごく当たり前という風に通りすぎていきます。

 日本人からすると共産国家に少年の乞食がいるということ自体ショッキングであり、またこのことを若い中国人に話してみると、我々は国家を信じていない。国家は何もしてくれない。むしろ、官僚の師弟達はわが物顔で私腹を肥やしている。だから、このような状態もある意味当然だし、自分の身を守るのは己であるとの意見を持っていた。では、この少年を守るのも少年自身なのか?

 我々が中国に感じる雰囲気は、自分を守るのは自分であり、またその延長線上に家族、血縁、地縁と続く環境の中で育まれているのではないでしょうか。中国という国を知るにはもっと中国人、それもごく一般の中国人を知るべきであると思いました。

■編集長より

 ご指摘の点、まさに中国の歴史の本質ではないかと思います。今の共産党だけでなく、清朝(満洲人の統治で、漢人は植民地支配をされていた)、さらにそのはるか前から、国家とは人民を私物化し、収奪するものだという政治伝統があるようです。

 中国人が一族での結束を大切にするのも、政府に頼れない、という事情からでしょう。この点での政治的伝統の日中での違いは本質的であると思います。

 李登輝総統の志が実を結んで、中国人民が政府を信頼できるような日が来ることを願っています。

■賢一さんより(平成14年11月)

 台湾前総統李登輝氏が慶応大学三田祭での講演のためにビサ を申請したところ外務省などが中国との外交問題に配慮して最 終的にビサ申請を断念したという報道がありました。

 11月19日付サンケイ新聞によると、李登輝氏は、その講演で、 土木技師八田與一氏を紹介しながら「日本人の精神」をお話される予定だったとのことでした。そして、サンケイの19日付6頁には「講演内容全文」が掲載されていました。

 八田與一氏について私は斉藤充功著「百年ダムを造った男」 (時事通信社97年10月刊)を入手して、一気に読み、同じ土木技師として感激しました。今回、サンケイに掲載された李登輝氏の講演内容を読みさらに感動が高まりました。

 戦後の日本人が失った「日本人の精神」を李登輝氏は日本の若者に語ろうとしたのです。それを妨害したと思われる「政府の偉い方々」には憤りを覚えずにはおられません。

■ 編集長・伊勢雅臣より  八田與一に関しては、以下の号をご覧下さい。

JOG(216) 八田與一~戦前の台湾で東洋一のダムを作った男
  台湾南部の15万ヘクタールの土地を灌漑して、百万人の 農民を豊かにした烏山頭ダムの建設者。

© 1998 [伊勢雅臣]. All rights reserved.


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