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JOG(39) 国際法を犠牲にした東京裁判

 人類史上最初の核兵器の使用に対し、東京裁判が目をつぶってしまった事が、現在の国際社会の無法状態の根源ではなかったか?


■1.核の恐怖の責任追求を■

 インドに続き、パキスタンも核実験を行った。いわば、教室の中でバタフライ・ナイフを持って、にらみ合いをしている状態である。現代の国際社会はなぜ、このような法もルールない「暴力教室」となってしまったのか?

 一九四五年八月六日と九日に、広島、長崎に原爆が投下された際、米国の指導者はもとよりその責任を追及されなかった。だが、法に照らしてみると、広島の大惨事、およびその後全世界の人々の心に植えつけられた核兵器による大虐殺の恐怖に対する責任を米国の指導者に追及する裁判が開かれてしかるべきではなかっただろうか?[1,p249]

 オーストラリアの勅選弁護士で、国際法律家協会の委員などを歴任したエドワード・セント・ジョンは、こう考えて、「第2次」東京裁判の開催を提唱した。

 人類史上最初の核兵器の使用に対し、東京裁判が目をつぶってしまった事が、現在の国際社会の無法状態の根源ではなかったか? 核兵器に限らず、東京裁判が国際法にとって有害であったと考える国際法学者は、少なくない。

■2.最大の犠牲は「法の真理」■

 東京裁判で、全員無罪の判決を少数意見として下した国際法学者、インドのパール博士は、次のように語っている。

 この度の極東国際軍事裁判(東京裁判)の最大の犠牲は『法の真理』である。・・・勝ったがゆえに正義で、負けたがゆえに罪悪であるというなら、もはやそこには正義も法律も真理もない。力による暴力の優劣だけがすべてを決定する社会に、信頼も平和もあろうはずはない。
 今後も世界は戦争は絶えることはないであろう。しかして、そのたびに国際法は弊履のごとく破られるだろう。だが、爾今、国際軍事裁判所は開かれることなく、世界は国際的無法社会に突入する。その責任はニュルンベルグと東京で開いた連合国の国際法を無視した復讐裁判の結果であることをわれわれは忘れ
てはならない。[2,p22]

 パール博士の予言した「国際的無法社会」は、現在の「暴力教室」として現実のものになっている。東京裁判によって、いかに国際法と国際正義の概念、権威が大きく後退し、そのことによって戦後の国際社会がどのような災厄を被っているのかを見てみよう。

■3.核兵器の廃絶■

 もし敵(日本やドイツ)が原子力の問題を解決して、さきに原子爆弾を使ったとすれば、原子爆弾の使用が同盟国[アメリカ]における戦争犯罪のリストの中に掲げられ、原子爆弾の使用を決定した人たちや、原子爆弾を用意したり使用した人たちは断罪されて絞首刑に処せられたであろう。[1,p84]

 イギリスの元内閣官房長官ハンキー卿の言である。非戦闘員の生命財産を破壊するというのは、明らかな国際法違反であった。東京裁判では、ブレークニー弁護士がこの事を訴えたが、その時、日本語通訳は突然打ち切られて、日本人には秘匿されたのであった。

 東京裁判で、この点を徹底的に議論していれば、当時はアメリカしか核兵器を持っていなかった段階で、国際社会が核開発の廃絶に同意するチャンスもあったのではないか。しかしこのチャンスは失なわれ、ソ連や中国の核武装が進み、アメリカ国民自体も核の恐怖のもとに曝されることになったのである。

■4.ゲリラ戦の禁止■

 パール判事も論じているように、南京事件に関しては多数のでっち上げ証拠が採用されて、松井石根大将は、一般市民保護のために十分な保護措置をとらなかったとして死刑に処せられた。一方、シナ側の便衣兵(市民と同じ服を着て、日本兵を襲うゲリラ)戦法が国際法違反であったという弁護側の主張は無視された。

 東京裁判で中国のゲリラ戦が咎められずに済まされたため、それが明確な国際法違反であることがないがしろにされ、やがて共産主義の有効な戦法として定着する。それに苦しめられたのは、アメリカ自身であった。ベトナム戦争で共産ゲリラに手を焼き、ついにはソンミ村事件など、一般人をも巻き込む虐殺事件も引き起こした。

 ゲリラ戦を禁じたのは、一般市民を戦闘の巻き添えにしないための文明国家間の知恵であった。このルールが東京裁判以降、無視されるようになってしまった。ゲリラが認められてしまえば、テロも五十歩百歩である。現代の「国際的無法社会」では、北朝鮮のようなテロ国家が、法の咎めも受けずに存在している。

■5.侵略戦争の禁止■

 東京裁判では、「平和に対する罪」という新しい概念が持ち出され、東条英機以下が、侵略戦争(正確には「侵攻戦争」)を行った罪で処刑された。判決では、この「平和に対する罪」の根拠としてパリ不戦条約を持ち出した。

 この条約は、戦争を自衛戦争と侵略戦争に二分し、後者を違法としたものである。しかしこの条約では、侵略戦争の定義は出来ておらず、アメリカなどはその判断は各国に任せられていると主張していた。このように侵略戦争の定義もないままに、日本が侵略戦争を行ったとして東条らを処刑したのが、東京裁判であった。

 一方、日本に対して経済封鎖を行い、戦争状態に追い込んだアメリカの行為は咎められる事がなかった。この点について、占領軍総司令官のマッカーサー自身が、次のような証言を行っている。

 日本は、絹産業以外には、固有の産物はほとんど何も無いのです。彼らは綿が無い、羊毛が無い、石油の産出が無い、錫が無い、ゴムが無い。その他実に多くの原料が欠如してゐる。そしてそれら一切のものがアジアの海域には存在してゐたのです。
 もしこれらの原料の供給が断ち切られたら、一千万から一千二百万の失業者が発生するであらうことを彼らは恐れてゐました。したがって彼らが戦争に飛び込んでいった動機は、大部分が安全保障の必要に迫られてのことだったのです。[3,p564]

 このように一国の「生存権」を脅かすような経済封鎖を行った上で、次のような挑発を行ったとしたら、どちらが先に「侵略戦争」を仕掛けたと言えるのだろうか?

 今次戦争についていえば、真珠湾攻撃の直前に米国国務省が日本政府に送ったものとおなじような通牒を受取った場合、モナコ王国やルクセンブルグ大公国でさえも合衆国にたいして戈(ほこ)をとって起ちあがったであろう。[4下,p441]

 さらに日ソ中立条約を破って満洲から(8月15日の降伏後も)北方領土まで侵略したソ連の行為は不問にされている。

■6.侵略戦争を法的に取り締まれない国際社会■

 東京裁判において、「侵略戦争」の定義もないまま、片手落ちの判決を下したために、それを禁ずる国際法の発展は阻害された。

 侵略戦争を違法とする国際法の案は、'51年と'54年に国連総会に提出されたが、いづれも「侵略戦争」の定義が未完成であるとして、審議が見送られた。そして国連総会において「侵略」の定義が決議されたのは、ようやく'74年であった。この定義が今後、正式に国際条約として立法化された時に、ようやく国際社会は侵攻戦争を「違法」として追求しうる段階に達する。

 湾岸戦争の時に、イラクのフセイン大統領のしたことは、世界中から侵略戦争だと見られていた。しかしフセインの進攻に対しては、「多国籍軍」が力で撃退しただけで、その「侵略行為」の不正を問うことは現在の国際法の段階ではできないのである。

 逆に言えば、フセインが湾岸戦争に勝っていたら、国際社会はイラクがクウェートを併合するのを、黙って見ている事しかできなかったであろう。現代の国際社会は、まさにパール判事が予言したように「力による暴力の優劣だけがすべてを決定する社会」なのであ
る。

■7.アメリカが国際社会の「保安官」になった理由■

 東京裁判は、国際法を恣意的に濫用して勝者が敗者を裁いたものであった。その被害者は、敗者だけでなく、パール判事の言うとおり「法の真理」であった。

 アメリカは戦後、「国際社会の警察官」と言われたが、この表現は不正確である。警察官は自分でルールを決めたり、捕らえた人を裁いたりしない。「国際的無法状態」のもとで、自らがルールとなり、自らの力で悪者を取り締まらねばならないのは、「法の下にある警察」というよりは、「西部の無法地帯を力で抑える保安官」と言った方が近い。

 そしてその「保安官」役を引き受けなければならなくなったのも、国際法を発展させて、法治社会を作ろうという方向を、アメリカが東京裁判で自らねじ曲げてしまった結果なのである。

 その「保安官」が日本に対して、「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しよう」という憲法を書いてくれたのだが、この「国際的無法状態」では「保安官」の力にすがるしか道がないのが現実である。

 この現実に目をつぶって、日本だけが軍備放棄をすれば良いという「一国平和主義」、あるいは、戦争や核の悲惨を訴えていれば良いという「念仏平和主義」では、「国際的無法状態」からの脱却は望めない。

 国際社会の信義と公正を戦争や核の恐怖をこの地上からなくしたいという日本国憲法の理想を実現するためには、国際社会において、戦争や核兵器を違法とする国際法と国際正義の確立に向けた学問的、政治的努力が必要である。その努力は国際法を踏みにじった東京裁判の見直しから始まる。

[参考]

  1. 世界がさばく東京裁判、佐藤和男監修、ジュピター出版、H8.08

  2. パール博士の言葉、田中正明、下中記念財団、'95.01

  3. 東京裁判 日本の弁明、小堀桂一郎編、講談社学術文庫、'95.08

  4. パル判決書 上下、東京裁判研究会編、講談社学術文庫、'84.02  

■おたより 森川真好さんより  
小学校の教師をしております。ホームページ大変興味深く読ませていただきました。

 原爆投下決断の内幕上下(ほるぷ出版)を今読んでいるのですが、原爆投下が戦争終結のために必要ではなかったが数多くの資料をもとに証明してありなるほどと思いました。ところで「国際法」違反の「国際法」とはどのような法律を指すのでしょうか。お教えいただければ幸いです。

■編集部より

 「原爆投下が必要でなかった」とのお話、お知らせいただきありがとうございました。たとえ、必要であっても、非戦闘員を殺傷するのは国際法違反ですが。

 国際法とは、多国間での取り決めで、たとえば、戦争では、戦闘員は制服を着て、戦わねばならない事、(南京事件で、シナ兵が民間人を装って、ゲリラ活動をしている場合、これを捉えて処刑しても、国際法的には問題ありません。正規の服装をした軍人が、正規の降伏をした場合は、捕虜としての取り扱いが要求されます。)など、があります。

■おたより  KSASAKIさんより   

「東京裁判には違法な面や非合理的な面は有ったが、結果的には旧日本軍の悪を裁いたのだから意義はある」と言う意見を持つ人は多いようですが(例:猪木正道氏,林健太郎氏など)、その言い方が成り立つのなら「結果的にアジアのほとんどの国が独立したのだから、大東亜戦争は意義がある」と言う言い方も成り立つと私は思います。

 また映画「プライド」は東京裁判に関わった人々(東條元首相、パール判事、ウェッブ裁判長、キーナン検事、清瀬弁護人など)のプライドのぶつかり合いを描いたもので、決して東條氏をはじめとするA級戦犯たちのプライドのみを描いた物ではない、と思います。

(ウェッブ裁判長とキーナン検事は、後に「東京裁判には問題が有った」と語った、と言う事を聞いたのですが本当でしょうか。GHQのマッカーサー司令が「日本が太平洋戦争を行なったのは、主に自衛のためであった」とアメリカの国会で証言したのは知っているのですが。)

■編集部より

 裁判とは法に基づくものですから、たとえ目的が正しくとも、その手続きにおいて不正な所があれば、法の精神を破壊します。

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