JOG(3) 悲しいメキシコ人
日本がスペイン領になっていたら
■1.メキシコ人とアメリカ人の反目■
テキサスからカリフォルニアにかけて、アメリカとメキシコとの国境沿いに、マキラドーラと呼ばれる保税地域が点在している。アメリカ側から部品を無税で持ち込んで、メキシコの安い労働力で組み立てし、またアメリカ国内に出荷するという形で、多くの企業が集まっている。
テキサス州のエルパソもその一つで、メキシコ側のファーレス市とリオ・グランデという川一つ挟んで、隣接している。エルパソから、ファーレスに入ると、道路は穴だらけ、住居は小さく貧しく、高層建築も全然ない、というように貧富の差は歴然としている。
ここにある日系企業で聞いた話を紹介しよう。メキシコ人とアメリカ人との対立の深刻さに、日本人はみなびっくりするという。アメリカ人はメキシコ人を馬鹿にし、メキシコ人は、もともとメキシコのものだったテキサス、ニューメキシコからカリフォルニアに至る広大な領土をアメリカに戦争や詐欺まがいの手段で取られたことをうらんでいる。(エル・パソ、ロサンゼルス、サンフランシスコ等、皆スペイン語の地名である。) したがってアメリカ人がメキシコ人を使うと、なかなかうまく行かないという。
ところが、間に日本人が入るとスムーズに行くそうだ。アメリカ人から見れば、日本人は雇い主なので当然一目置くし、メキシコ人から見ると、日本人は差別をしないので安心だという。さらに同じ非白人が、アメリカ人を使っているのは、メキシコ人としてもうれしいという感情もあるようだ。
■2.自らの文化を失ったメキシコ人■
メキシコ人はアメリカに土地を奪われ、今は経済的に従属しているが、さらにかわいそうなのは、固有の文化・文明そのものをスペイン人に破壊されてしまったという点である。彼らの話すスペイン語は、その文化・文明を滅ぼした侵略者の言葉である。彼らの固有の神話、文学、宗教もすべて失われ、文化的には二流のスペイン人となってしまっている。
1521年まで、メキシコにはアステカ文明が栄えていたのだが、スペイン人コルテスの侵略に屈した後は、鉱山開発で過酷な労働を強いられ、天然痘などの流行もあって人口が激減した。さらにキリスト教宣教師が固有の宗教を破壊し、経済的にも教会が国の資産と土地の3分の1を占有した。人種の混合政策がとられ、スペイン人の血の濃さに従って、複雑な階層に分化した。こうした過程で、アステカ文明は根絶やしにされたのである。
■3.日本も同じ運命をたどる危機があった■
実はこれは日本人にとっても他人事ではない。戦国時代にスペインやポルトガルからキリスト教の宣教師がやってきたときに、日本が信長や秀吉のようなすぐれた人物に恵まれず、また民族的なエネルギーも不足してゐたら、メキシコ人と同じ運命をたどった可能性があった。現実にアジアでもフィリピンがそうなっている。
イエズス会の宣教師たちは、日本を占領するつもりで来たのだが、その少し前に伝わった鉄砲が日本全土で10万丁も普及しているのに驚き、本国に「日本占領をあきらめるべし」という手紙を書いた。そのかわりに狙ったのが、西国の大名を改宗させ、それを手下に使って、九州の神社仏閣を破壊し、さらに明の侵略に使おうとしてのである。
秀吉は、明がスペイン人に征服されては、元寇と同じ事が起こると考え、外国人バテレン追放令を出し、さらに先手をとろうと明征伐に向かったのである。(歴史の教科書では、こうしたスペイン人の侵略を伏せているので、キリシタン弾圧も、明征伐も、秀吉の狂気の沙汰としか描けない)[1]
■4.もし日本がメキシコと同じ運命をたどっていたら■
もし日本がアステカやフィリピンのように脆弱で、キリスト教宣教師の野望が実現していたら、どうなっていたであろう。今日のメキシコと同様、日本語は忘れさられ、現在の我々は、ホセだとか、カルロスなどというスペイン風の名前になっていたことであろう。白人との混血の度合いで、様々な階級差別が作られたに違いない。全国の神社仏閣は破壊され、カトリックの教会があちこちに建っているであろう。
日本語や日本文学は、もの好きな考古学者が研究するだけの存在になっていたであろう。また植民地として徹底的に収奪されていれば、江戸時代の文化的物質的蓄積もありえず、明治維新のエネルギーもありえなかったに違いない。おそらく没落したスペインのかわりに、台頭してきたアメリカか、ロシアの植民地となっていたであろう。
■5.誇りと使命感と、思いやりを■
今日の日本が数千年の固有の文化・文明を保ちつつ、かつ経済・ 技術大国として世界に伍しているのは、まさに我々の先祖の並外れた能力と志の結果であると言える。国際派日本人としては、祖先への誇りと感謝、それを受け継ぎ発展させていこうとする子孫に対する使命感、そしてメキシコ人のような虐げられた民族への思いやりをもって、国際社会に臨んで欲しい。
[参考]
1. 「歴史に学ぶ」、村松剛、「日本への回帰第17集」、 国民文化研究会、S57.3
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