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JOG(29) 深い泉の国

 新旧の不思議な共存、外国人が日本へきて驚くのは、それですよ。近代技術の粋を集めた丸の内のビル街を、古風な祭の行列がしずしずと進むのを見て、たまげてしまう。


■1.古代文化と現代文明の不思議な共存■

「そう、新旧の不思議な共存、外国人が日本へきて驚くのは、それですよ。近代技術の粋を集めた丸の内のビル街を、古風な祭の行列がしずしずと進むのを見て、たまげてしまう(笑)」 [1]

 滞日四十余年、上智大学名誉教授トーマス・インモース氏はこう語る。これは西洋の文化人・知識人が日本でよく感じることらしい。イギリスの代表的な高級週刊誌エコノミストも、かつて、自衛隊のジェット戦闘機の前で、神官がお祓いをしている写真を掲載していた。欧米人から見れば、何ともユニークな光景として見えたに違いない。

 最近では、長野オリンピック開会式では、ベートーベン第9の5大陸同時演奏と、信州の郷土色豊かなお祭りが披露された。最新の現代文明と古代からの民俗文化との共存には日本人ですら驚かされた。

 国際常識では、古代からの習俗・習慣をいまだに持つ国は、文明的・経済的には遅れた国であり、先進国とは、そういうものから脱却して「近代化」の進んだ国である、と考える。日本での古代文化と超先進文明との共存は、この国際常識を真っ向から否定するもので、まことにユニークな国柄だ。

■2.深い泉の国■

 インモース氏は、我が国を「深い泉の国」と呼び、次のような詩をものされている。

深い泉
この国の過去の泉は深い。
太鼓と笛の音に酔いしれて
太古の神秘のうちに沈み込む。
測鉛を下ろし、時の深さを、わたし自身の深さを測る。

 「太鼓や笛の音」といえば、長野オリンピックで、君が代が雅楽として演奏された光景を思い浮かべればよいだろう。測鉛(そくえん)とは、縄の先に鉛を結びつけた水深を測る道具である。日本という泉の深さを測る、それはインモース氏の学問そのものだが、それを通じて、「わたし自身の深さを測る」といわれる。西洋人であるインモース氏自身の心の奥底に潜む、太古の心情-それは同じ人類として西洋人にも共感しうるものらしい-を明らかにする、という事であろう。

 日本のことについて質問された時にまったく答えられなくて困ったという人も少なくないだろう。日本のことについて知らないために、外国文化の理解が浅いレベルにとどまったり、見えるべきものが見えなくなる場合も多いのではないか。[2]

 まず自分自身のアイデンティティについて知らなければ、外国文化の事も深く共鳴できない。これは国際派日本人となるためのキーポイントである。

■3.祝日考■

 今日3月21日は春分の日である。我が国には14日の祝日があるが、そのそれぞれが、歴史の過程を通じて生み出されてきたもので、その由来を探ることは、そのままこの「深い泉」の深さを測ることとなる。今回はいくつかの祝日を取り上げて、その由来をたどることで、「深い泉」とはどのようなものか、考えてみよう。

 春分の日を中日として、前後7日間を彼岸会(ひがんえ)と称して、先祖供養を営む。皆さんの家族でもお墓参りに行かれる方がいるであろう。中日には昼夜が同じ長さとなり、太陽が真東から昇って、真西に沈む。真西に沈む太陽を拝んで、念仏を唱えると西方の彼岸、極楽浄土に行けると信じられていた。

 彼岸の法要は、平安初期から朝廷で行われ、江戸時代には庶民の間に年中行事化したものである。我が国だけの「仏教行事」だそうで、仏教思想と古来からの太陽信仰が習合して生まれたものであろう。

 「日本後記」大同元年(806)3月17日の記事に、自害せられた早良親王(桓武天皇の皇太子であったが、延暦4年(785)廃せられ、ついで淡路国に遷される途中に没)の為に諸国国分寺で、旧暦2、8月(現在の3月、9月)に「別して七日、金剛般若経を読ましむ」という記事がある。

 外国人に話をする機会があったら、9世紀の頃から続いている行事だとさりげない言えば、それだけで「泉の深さ」が理解できるはずである。

■4.祝日に見る日本人の一生■

 元日は、年の始めを祝う日であるが、中世の頃までは、大晦日が先祖の霊、祖霊が帰って来る日であった。現代でも歳神様とか、正月様と呼ばれる祖霊は家の守護神であり、また豊作をもたらす穀霊でもあった。元日には、子孫の繁栄を見守る祖霊とともに新年を迎え、御節(おせち)料理をお供えする。人間が食べるのはそのお下がりなのである。

 数え歳では、元日に家族揃って、一緒に年齢を加えるわけだが、男子は15歳頃、女子は13歳頃になると、祖霊とともに、成人となるのを祝う。ただ、旧暦の元日は新月で闇なので、望月(満月)の15日に元服式を行った。これが「成人の日」の起源である。現在でも全国各地で成人式が行われるのは、この元服式の継承である。

(外国では、成人式に相当するものは、あるのだろうか? 海外在住の読者の皆さん、何かご存じでしたら教えて下さい。)

 5月5日は「子供の日」である。鯉のぼりを立て、菖蒲湯に入る。聖徳太子の時代の推古天皇19年(611)5月5日、野山で薬草を摘む「薬猟」が行われた。香りの強い植物は邪気を攘うと信じられ、春から夏への季節の変わり目に心身の邪気を追い祓ったのである。「菖蒲」が「尚武」となり、武家の男子の無事なる成長を祈った。これが町人社会にも広がって、武家の幟(のぼり)にかわって出世魚の鯉のぼりが使われるようになった。

 9月15日は「敬老の日」である。これは奈良時代の初めの養老の滝伝説に起源を持つ。美濃の国に薪を売って、老父の好物の酒を求めていた親孝行の木こりがいた。ある時、石の苔に足を滑らせて転倒して、偶然「酒の泉」を見つけた。これで老父に孝養をつくしたという。

 この事をお聞きになった元正天皇は霊亀3年(717)9月に、その地に行幸し、木こりを国守にとりたて、同年11月に養老と改元された。敬老の日が設定されたのは、昭和26年(当時は「年寄りの日」)であるが、9月中旬に地域のお年寄りを招待して「敬老会」を開くというのは、かなり前から行われていた。

■5.日本文化の個性■

 こうして祝日の由来をたどるだけで、日本文化のいくつかの個性を見る事が出来る。

 ます第一に「重層性」、長い日本の歴史の過程で、いろいろな経験や工夫が重層的に積み重なって今日の祝日ができている点である。フランス革命で暦まで新しく人為的に作り出してしまったような革命主義は、我が国の歴史には無縁であった。皇室が文化の発信元となり、それが国民生活の中に自然に定着したというパターンが目立つ。「時は流れない、それは積み重なる」、ウィスキーの宣伝ではないが、この言葉は日本文化にそのまま当てはまる。

 第二に「受容性」。インドの仏教思想や中国の儒教・道教の思想も、自然に取り入れられている。シナのように外国のものは頭から野蛮だと見下すような中華思想、あるいは大戦中に一時見られた国粋主義も、我が国の文化伝統からは遠いものである。現代のクリスマスやバレンタイン・デイなども同じ受容性のあらわれである。

 第三は「敬虔性」、神道や仏教などの素朴な宗教的心情に基づく点である。宗教と言っても、哲学的な理論武装をしたり、他宗教を攻撃するような「近代的」な面はなく、「祖霊を迎える」とか、「邪気を祓う」といったきわめて、つつましい、敬虔なものであった。現代の我々も、お正月に初詣をするとなんとなく清々しい気持ちになるとか、お墓参りをすると、先祖が「草場の陰で」見ていてくれるような気がするのも、同じ敬虔な心情であろう。

 重層性、受容性、敬虔性、この3つが、我が国の文化的個性を表すキーワードと言えよう。  これらは日本文化の個性を表すものであって、それが他国より優れているとか、劣っているなどと考える必要はまったくない。ただ自分自身の個性をよく理解し、発揮する、そうする事によって、他の文化の優れた個性をも、理解し、共感することができるのである。

 「この国の過去の泉は深い」。その深い所では、他民族、他文化とも共感しうる、人類共通の心情にふれる事ができる。インモース氏の詩は、それを言っている。

[参考]
[1] 深い泉の国「日本」-異文化との出会い、
   トーマス・インモース、春秋社、昭和60年
[2] "日本研究"の新しいあり方、源了圓、産経新聞、平成10.01.08
[3] 「深い泉の国」の文化学、山内健生、展転社、平成10年
 本号の内容、および、[1]、[2]の引用は、[3]に基づいている。

■おたより Ayaさんより   

 成人の日に由来があったとは知りませんでした.日本人にとって,太陽,月は生活そのものだったことがわかります.太陽暦の現在,15日に成人の日を行う理由は少ないのかもしれません.しかし成立の思いを伝えるためにも15日を守りたかった.

 近頃,某政権は野党と画策して成人の日をずらしてしまいましたが,伝統の意味が経済に屈した感があるのは,私だけでしょうか.あるいは,日本人特有の柔軟性に基づく合理化なのでしょうか.

■編集部より

 祝祭日と休日の違いを考えなければなりませんね。前者は文化、後者は経済の次元です。

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