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JOG(121) 笹川良一(上)~ 獄中の東条英機を叱咤した男

 東京裁判の獄中で東条英機に「命をあきらめて国家を弁護せよ」と叱咤した男


■1.私は、あなたの名誉のためにも死刑を望んでいます■

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 東条さん、貴方は万が一、助かって無期懲役になればよい、などとは思っていないでしょうね。それこそ生き恥です。どうせあなたは死刑を免れませんよ。私は、あなたの名誉のためにも死刑を望んでいます。歴史は貴方の刑死を必ずや見直すことでしょう。ついては遺言を残して下さい。その内容はね・・・[1,p115]
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 東京裁判の被告となった東条英機に対して、こんな事をはっきり言った男がいた。笹川良一である。

 戦争犯罪人として捕えられた高官達が、自分だけ助かりたい一心で、占領軍に迎合して、国家に罪をなすりつけたり、果ては天皇に累を及ぼしたりしては、日本の再建に重大な支障となる、と笹川は憂慮していた。

 彼は戦前、冤罪で起訴され、3年間獄中にあって、裁判を闘い抜き、ついに無罪を勝ち取った体験を持っていた。その体験をベースに、高官達に道を誤らないよう指導しようと決心し、わざわざ占領軍と一悶着を起こして、巣鴨プリズンに入り込んだのである。

 このような突飛な、しかし勇気ある行動を起こした笹川良一とは、一体どのような人物なのだろうか?

■2.笹川の翼賛選挙批判■

 笹川は、昭和17年、戦時下の衆議院議員選挙で、非推薦候補として当選した。非推薦候補とは、東条英機内閣が組織した翼賛政治体制協議会から推薦されない独自候補で、警察や憲兵から激しい選挙干渉を受けた。それでも定員466名中85名の非推薦候補が当選したことは、当時の日本の議会政治が相当に根強いものであった事実を示している。

 笹川は、昭和18年2月の衆議院予算委員会で、この推薦制を廃止すべきだと、東条首相に直言した。

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 私はこれでなかなか、こわもての方であります。こわもての私ですら、さようなひどい目にあったのだから、ほかの弱い候補者諸君は、どれほどやられておるか分からぬ(笑い声)・・・

 今、国民は結集して東条内閣を支持しておる。・・・しかるに何を苦しんで推薦、非推薦の別を設けて、陛下の赤子を敵、味方にしたのですか。(賛同のやじ)[3,p249]
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 笹川と東条とは、対立者として相まみえたのであった。

■3.東京裁判への危機感■

 笹川は、敗戦後の昭和20年10月5日、衆議院議員全員の辞職を同僚議員に呼びかけた。新日本の建設には、軍部の消滅だけでなく、重臣、財閥、官僚の指導者の総退却が、絶対必要だと考えたのである。しかし、笹川のこの呼びかけに応じたのは、衆議院議員わずか18名に過ぎなかった。[2,p157]

 この直前の9月11日、東条英機元首相以下、39名を皮切りに、戦争犯罪容疑者の逮捕が始まった。笹川は、これから始まろうとする東京裁判に対して、深刻な危機感を抱いた。

 第一に、あまりにも無法な裁判は、日本国内の反米感情を強め、日本をソ連陣営に追い込んでしまう恐れがある。笹川は、将来の日本は、親米路線を歩むべきと信じ、そのためにも、この裁判が公正なものでなければならない、と考えた。

 第二に、敗戦の混乱の中で、共産党員の動きが活発化していた。GHQ(占領軍総司令部)の命令で約3千人の共産党員が釈放されると、司令部の建物の前で「万歳」を叫び、さらに人民大会を開いて、「天皇制の廃止」「天皇を戦犯として逮捕せよ」などと気勢をあげた。天皇が裁判にかけられたら、国内は動揺し、共産革命への道を開くことになるかもしれない。

 しかし囚われた東条以下の高官たちは、恵まれたエリートコースを歩いてきた人々で、牢獄につながれ、裁判を受けた事などない。助かりたい一心で、占領軍におもねって何を言い出すか分からない。そこで笹川は自ら被告の一員になって彼らに近づき、指導しようと決心した。

■4.遠慮なく逮捕してくださって結構です■

 しかし、笹川は戦時中に衆議院議員を務めた程度で、巣鴨プリズンに入る「資格」はない。ないなら、作り出せばよい。こうして笹川の占領軍挑発が始まった。

 笹川は地盤である大阪でさかんに演説会を開き、米国やソ連の批判を公然と続けた。米国の原爆投下、ソ連の中立条約違反と満洲侵略などの戦争犯罪を列挙し、

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自分たちが国際法を犯して戦争犯罪を重ねながら、日本の戦争責任を裁こうとする権利はないはずだ!
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 演説会は次第に多くの聴衆を集め、そのうち、米国やソ連の軍人が、会場にも見られるようになった。

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 会場には、アメリカやソ連の占領軍が聞きに来ており、私の話していることを通訳し、速記にとっております。私は逃げも隠れもしません。どうぞ私を戦犯にして、遠慮なく逮捕してくださって結構です。[1,p42]
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 12月2日GHQは第3次の戦犯容疑者59名を発表したが、その中に笹川の名があった。笹川は生きては帰れまいと、父の墓の隣に自分の墓を建てた。母テルは赤飯を炊き、「思う存分、日本の国のためにお役に立てなぁ、あかん」と送り出してくれた。

■5.軍艦マーチに送られての巣鴨入り■

 笹川の入獄は、芝居気たっぷりのものであった。銀座の事務所前に、トラック数台を並べ、「笹川大国士歓送」と大書した幟を立てた。笹川は羽織袴の正装で、見送りの群集にマイクで惜別の挨拶をした。そしてトラックに分乗した音楽隊が演奏する軍艦マーチとともに、群集の万歳や拍手に送られて、巣鴨に向かった。

 笹川の鳴り物入りの入獄は、米軍の神経を逆なでにした。翌日、笹川は米人検事数名の前に呼び出された。

 検事の一人は、いきなり笹川を平手打ちし、「お前は敗戦国民であることを知っているのか!」と怒鳴った。そしてなぜ占領軍を馬鹿にしたような言動をとったのか、と問い詰めた。

 笹川は、占領軍を馬鹿にしたのではなく、占領軍全体の名誉を守るためにソ連の不正と戦わねばならぬと信じて入所したのだと答えた。「なぜ我々がソ連と戦わねばならないのか」と反問する検事に、笹川はとうとうと述べ立てた。

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 私はアメリカに対して、軽侮の念を抱くものではない。よく戦った敵として尊敬をしているが、ソ連に対しては激しい怒りを抱いている。ソ連は日本と不可侵条約(日ソ中立条約)を締結していながら、それを破って満洲を侵略した。・・・

 この卑怯極まるソ連が、日本の戦犯を裁くならば、侵略戦争の不正を認めることになり、正義は滅び、占領軍の立場は冒涜されることになるのである・・・

 したがって戦争の勝敗と正義の擁護は別のものである。ソ連は中国大陸にいた日本人を多数捕虜にして本国に送ったし、強制労働に従事させている。こうしたソ連の不正と戦うためには、戦犯として法廷に立つ以外に方法がないために、わたしは生命を賭してここに乗り込んできたのだ。私は生命は欲しいとは思っていないのだ。
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 その証拠はあるのか、と居丈高に問う検事に、郷里に造ったばかりの自分の墓を見よ、と笹川は答えた。この言葉に、検事たちの表情は急に穏やかになり、言葉も丁寧になった。笹川に葉巻を差し出し、火までつけた。相手を真の勇者だと認めれば、素直に敬意をあらわすのが、大方のアメリカ人の美点である。[1,p65-75]

■6.獄中の闘い■

 笹川の主張は、獄中にあっても、いささかもひるむ所はなかった。今度は、マッカーサー占領軍総司令官とトルーマン大統領に、抗議の書簡を差し出した。

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 貴国は勝者なるが故に、一人も戦争責任を負わず敗者を逮捕・拘禁しているが、その権限はいかなる神から与えられているのか。貴下こそ戦犯ナンバーワンである。その理由は、日本各地の都市を空襲して二百数十万人を爆死させたばかりか、多数の神社・仏閣、病院、民家などを爆破して、甚大なる損害を与えた。

 また呉軍港を除外して、軍事施設の少ない広島に原子爆弾を投下し、一気に十数万の市民を殺傷した。さらに長崎にも原子爆弾を投下して数万人を殺戮している。この戦争法規違反については、勝敗の別なく責任を負うべきである。

 しかるに貴下は、勝者なるがゆえに正義の代弁者のごとく振る舞っている。この東京裁判は、侵略戦争を根絶するのが目的であると強調しておられるか、貴下自身も少し謙虚な気持ちなって戴きたい。

 世界に真の恒久平和を確立し、人類を永遠に戦争の悲劇から解放せんとするならば、世界の軍備を全廃し、さらに移民と貿易の自由を許す以外の方法はない。もし、この案を取り上げて実行してくれるならば、そのご恩に感謝し、この一身を世界平和確立記念祝典の供え物として提供しましょう。
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 この手紙を送った翌日、笹川は担当の米軍中尉から呼び出され、激しい暴行を受けた。体中がアザだらけになり、ついには発熱して、飯も食えない状況になった。さらに、極寒の中で、掃除などの懲罰の使役をさせられた。

 しかし、笹川は懲りずに、今度はソ連のスターリン首相に手紙を送った。「日ソ不可侵条約」を破って満洲を侵略し、南樺太と千島列島の略奪をしたソ連を批判し、これらは日本固有の領土であるから、「速やかに返還せよ」と迫った。

 笹川は臆することなく、自分が正義だと信ずる所を主張した。正義と勝敗は関係ない。勝者が不正を働いては、いつまでたっても、真の世界平和は実現しない、というのが、笹川の信念であった。[1,p104-108]

■7.もし天皇が戦犯者として裁かれたならば■

 東京裁判に判事や検事を送った国のうち、ソ連、中国、オーストラリア、フィリピンは天皇訴追の意向を固めていた。しかし、実際に天皇が裁かれるようなことがあれば、どうなっていたか。マッカーサーの側近、ボーナー・フェラース准将は次のような意見書を提出していた。

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 わが軍の無血進駐(占領)を完成するに際して、わが米軍は天皇の助力を要求した。彼の命令によって七百万の日本の兵士は軍旗を横たえ、速やかに武装解除した。天皇の命令によって七百万の米兵の負傷を除かれ、戦争は予定前に終結した。

 天皇を利用しながら、彼を戦犯として戦争裁判にかけるがごときことがあれば、日本国民に対する背信行為である。さらに天皇を含めた日本国民は、国体の保存を明言したるポツダム宣言を含む無条件降伏を受諾した。

 もし天皇が戦犯者として裁かれたならば、日本政府の組織は瓦解し、かつ一般暴動は当然に蜂起するであろう、これによって日本国民が暴動を起こすことは明らかである。仮に武装せずとも流血の惨事は必然なり。多数の占領軍と数千の官僚を要すべく、その結果、日本国民の感情は悪化するだろう。[1,p123]
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 日本政府が瓦解し、米軍が直接軍政をしいて、各地で日本国民との衝突があれば、対米感情は決定的に悪化し、活発化していた日本共産党の動きとあいまって、日本人を親ソ路線に追いやるかもしれない。これが笹川のもっとも心配した点であった。

 マッカーサー自身も天皇との会談で、「私は日本の戦争遂行に伴ういかなることにも、また事件にも責任をとります。」という御発言に感銘を受けたこともあって、なんとか天皇訴追を避けたいと考えていた。[a]

 しかし、裁判の過程で、日本政府の高官達が助かりたい一心で、天皇に責任を押しつけるような発言があっては、マッカーサーと言えども、米国国内と連合国の天皇訴追の要求を押さえることはできない。

 開戦直前まで首相だった近衛文麿公爵は、戦犯容疑者に指定されるや、服毒自殺を遂げて、天皇と国民を守る責務を投げ出してしまった。東条英機もピストル自殺を図ったが、幸い一命をとりとめた。フェラースの予言したような最悪の事態を避けるには、東条しかいない。笹川が東条に接近したのはこういう意図からであった。(続く)

■リンク■
a. JOG(034) 敗者の尊厳
「日本破れたりとはいへ、その国民性は決して軽視することが できぬ。例へば日本国民の皇室に対する忠誠、敗戦後における威 武不屈、秩序整然たる態度はわが国の範とするに足る」(中華民 国国民政府・王世杰外交部長)

b. JOG(039) 国際法を犠牲にした東京裁判
 人類史上最初の核兵器の使用に対し、東京裁判が目をつぶって しまった事が、現在の国際社会の無法状態の根源ではなかったか?

c. JOG(059) パール博士の戦い
 東京裁判のインド代表判事として全員無罪を主張。「日本の子 弟が 歪められた罪悪感を背負って卑屈・退廃に流されてゆくの を、私は見過ごして平然たるわけにはゆかない。」

■参考■(読者にお勧めの順)
1. 「天皇と東条英機の苦悩」、塩田道夫、三笠書房・知的生き方  文庫、H1.9
2. 「笹川良一研究 異次元からの使者」、佐藤誠三郎、中央公論社  H10.7
3. 「正翼の男 戦前の笹川良一語録」、佐藤誠三郎編、中央公論社  H11.4
4. 「新編 宮中見聞録」、木下道雄、日本教文社、H10.1

_//////////// おたより ///////////_/
          121,122号「人物探訪:笹川良一」について

■こういう人がいた事を誇りにできる       永田さんより """""""""""""""""""""""""""""""" 恥ずかしいことですが、僕は、笹川良一さんが、競輪と右翼経営をしてる事しか知りませんでした。笹川良一氏は、すごい人物ですね。こういう人が、いなくなった日本が残念ですが、またこういう人物がいた事を誇りにできることで、日本はすばらしい国だと実感しました。

 大変勉強になりました。ありがとうございました。

■武人としての気骨を備えた一級の人
       松田さんより
""""""""""""""""""""""""""""""""
 実はもうかれこれ10年以上前、私は東京で働いていた時に三田のある会館に笹川良一氏の講演を一人で聞きに行ったことがあり、その時は確か巣鴨プリズンのことは話されなかったように記憶しています。今回の巣鴨プリズンでの働きをはっきりと知り、笹川良一氏に対して武人としての感銘を受けました。

 笹川良一氏に対しては今でも殆どのマスコミは暴力団と裏で関係していた単なる右翼の大物であったとしか報道していませんが、本当の姿は今の政治屋には殆ど失われた武人としての気骨を備えた一級の人物であったのでしょう。

 あの時に見た大きな両耳を今でも忘れません。

■編集長・伊勢雅臣より

 笹川さんの戦後の活躍もすごいものです。別途、ご紹介しまし ょう。読者からのご意見をお待ちします。

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