JOG(755) 神に祈る名医 ~ 福島孝徳
「神のように病気を治す男」ではなく、「神に祈りながら、必死で病気と闘っている男」。
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■1.おどけるブラック・ジャック
「〇〇さーん、福島先生ですよ」と、おどけて自分自身を紹介する声に、手術台の上の患者も、取り囲んでいた医師や看護婦たちの間にも、どっと笑いが起きた。「どうですかぁ? これから手術をしますけど、世界の福島先生が技術を尽くしてやりますからね。」
患者の方も微笑みかえす。「福島先生」のおどけぶりが、手術を前にした患者の緊張感を消し去っていく。
脳外科医として世界トップクラスの実力を持ち、アメリカを本拠地としながらも、年に何回か日本やヨーロッパで出張手術を行う福島孝徳氏のあだ名は「ブラック・ジャック」。手塚治虫が漫画で描いた天才医師だが、その明るさはだいぶ違う。
しかし、氏の明るさは医師として計算された面もあるようだ。本人はこう語っている。
■2.旅から旅へ
福島氏は、米国ノースカロライナ州でクリニックを持つかたわら、近隣のデューク大学等3カ所で診療、手術を行う。月に一度はウエスト・ヴァージニア大学病院に1~2週間行き、さらに年に何回かユタ、オハイオ、ネブラスカ、ハワイの病院にもでかける。
ウエスト・バージニア大学病院では、全米のみならず、全世界から特別に難しい症状を患っている患者が集まってくるが、ここで年間約120例ほどの手術を行う。
しかし、いくら難病とは言え、アメリカまで手術を受けに行ける患者は限られているので、日本に年3~4回、欧州にも年2~3回行って、難しい手術をこなす。
たとえば、平成15(2003)年のクリスマス・イブに成田空港に到着した際には、25日から31日までの7日間で、東京都府中市、江戸川区、茨城県日立市、福島県郡山市、福岡県北九州市と周り、合計20近い手術をこなした。
その後、元日に東京に戻って、2日だけは休んだが、3日にはアメリカに戻る、という、とても60歳を超えた人とは思えないハード・スケジュールだ。
福島氏でしか治せないような難しい症状の患者が各地の病院に集まり、治療して回る。この面では、まさに旅から旅へのブラック・ジャックとよく似ている。
年間の手術数は約400件。日本の大病院の脳神経外科全体の年間手術数は、どんなに多くてもせいぜい200~300件だという。それよりはるかに多くの手術を、福島氏は一人でこなしているのである。「すべてを患者さんのために」が福島氏のモットーである。
■3.「先生に救ってもらったこの命を無駄にせず」
60歳を過ぎても、なぜこんなに精力的に手術ができるのか。福島氏はその理由を「我々医者の本当のエネルギー源は、難しい病気の患者さんを治すこと。それで患者さんに喜んでもらうことですから」と語っている。[1,p83]
たとえば、かつての患者からこんなメールが来たことがある。18年前、9歳の時に福島氏の手術を受けた人である。
こういう声を聞くと、福島氏は「本当に医者になって良かった」と思う。三井記念病院で、脳外科部長をしていた頃は、年間900件もの手術をしていた。おそらく、福島氏に助けられて、こういう感謝の思いで生きている人々が、数万人の規模でいるのだろう。
■4.「あなた、この患者さんをなんだと思っているの?」
患者には緊張を解くためにおどけるが、手術をサポートする医師や看護師には厳しい。
開頭手術をするために、サポート役の医師が患者の髪を剃り終えた時、「なにをやっているんだ!」との怒号で、手術室は静まりかえった。
手術に入ると、福島氏は顕微鏡を覗いたまま、まるで「ビデオの早回しをみているよう」なスピードで進めていく。様々なメスやピンセットなどの器具を看護師が手渡していくのだが、ある看護師が、何度も器具を間違えて、福島氏は手術を手を止めずに、鬼気迫る口調で叱責した。
手術の時間が短ければ、それだけ患者への負担が減る。看護師が機器を正確にスピーディに手渡すことが、大切なのだ。
だが手術の後半、看護師がなんとかスピードについていけるようになると、福島氏は打って変わった優しい口調で、「そうです。あなた、できるじゃない。いいですよぉ」と褒めた。
手術後に感想を聞かれた看護師は、叱られた時は「泣いちゃいそうでした」と言ったものの「でも、ああして褒めてもらえると、次はもっと、て思っちゃいますよね」と笑った。
福島氏は、いろいろな病院を渡り歩いて手術をしながら、こういう形で、人を育てているのである。これも「すべては患者さんのために」である。
■5.開口部を一ミリでも小さく
「すべては患者さんのために」の精神で、福島氏が開発し、確立した技術が「鍵穴手術」である。従来の脳外科手術では、頭蓋骨を開いて、大きく露出した脳にメスを入れていく」という開口手術だった。
しかし、頭蓋骨を大きく開けると、術後の治療も大変だし、合併症なども後遺症が起こる可能性もある。なにより、体力に乏しい患者は、「術後のダメージに耐えられない」として手術そのものを受けられないケースも非常に多かった。
「どうすれば、患者さんに過剰な負担をかけずに脳外科手術ができるか?」と考え続けて、福島氏が確立したのが鍵穴手術である。
患者の頭部に直径数センチの穴を開け、そこから細かい器具を入れて手術をする、という手法だ。1980年代に鍵穴手術を追求し始めた頃は、500円玉大の穴を開けていたが、一ミリでも穴が小さい方が患者の負担が少ない。しかし、それだけ患部に到達する難度は高くなる。
福島氏は年間900例以上の手術をこなしながら、鍵穴手術のレベルを上げていき、今では10セント硬貨、すなわち直径18ミリ程度の穴で手術が可能となり、それが多くの医師の間に広まった。
■6.『神様、なんでこんな病気を作るんですか』
福島氏は「ゴッド・ハンド(神の手)」とも呼ばれる。その名医ぶりを称えた呼び方だが、こう呼ばれることには抵抗があるという。「神の手」にしてはどうにも直せない病気もあるからだ。
ある時、脳腫瘍を患った父親の相談に来た娘に、福島医師はこう語った。
「あなたのお父さんの腫瘍はね、場所が悪すぎるんですよ。正常な脳の組織にまで浸潤してしまっている。・・・半分(腫瘍)を取るとしても無理に取ったら麻痺が出てしまうんです。」
「ということは結局、、、」
「手術をして、少しでも長生きできるならばやります。でも、お父さんの場合はやっても変わらないんですよ。『神様、なんでこんな病気を作るんですか』と思うけど、とにかくあなたがた家族は『あと1年、2年の間にお父さんが喜ぶことはなにかな』とね、そういうことを考えてあげてほしいんです」
「はい」
「ごめんね。なんとかしてあげたいんだけど、、、。」
今の自分にもどうしようもない症状がある。どうにもしてやれない患者に対して、申し訳ないという気持ちが、「ごめんね」に込められている。そして、それを悔しいと思う気持ちが、手術の腕や機器のレベルアップを通じて、どうにもしてやれない患者を少しでも減らしたい、という努力につながっていく。
■7.「神に祈りながら、必死で病気と闘っている男」
神の手をもっていないからこそ、福島氏は手術の時に祈る。「神様、どうかこの人を救って下さい」「どうか、私にこの人を救う力を貸して下さい」と。
非常に症状の重い患者が大勢、集まって来る。だから、手術はいつも命の瀬戸際に立つような大手術となる。自分の技術と知識と経験をすべて出し尽くしても、助かる可能性が100%になるとは限らない。だから天に向かって「助けてくれ!」と心の中で叫ぶ。
その思いがかなわない時には、自分の力のなさを恨む。「神様、どうしてこんなに難しい病気をお作りになったんですか」と思ったりもする。
けれども、「神の助け」が働くこともある。これまで何百回も何千回も神に助けられてきた。
■8.「神に祈り、母国を念じ、人のために尽くす」
神にこういう敬虔な思いを抱くのは、福島氏の父親が明治神宮の神官だったからだろう。母親も代々神職を務めた家に育った。
神官は白足袋を履く。拭き清められた板敷きの床を、音も立てずに白足袋で歩を進める神官の姿こそ清々しい。
福島氏も、手術の時に白足袋を履く。その理由の一つは「動きやすいから」。現代の最先端手術では。顕微鏡はフットペダルで調整し、電動のツール類もフットスイッチがよく使われる。そういう細かな動きをするには、通常の厚手のソックスよりも、足袋の方が向いている。しかし、理由はそれだけはない。
こういう福島氏だから、世界をまたにかけた活躍をしていても、心の中には常に「日本」がある。
もちろん、アメリカにはアメリカの素晴らしさがあるが、それを日本の後輩たちに伝えることも、母国日本のためになることだ。
ひたすらに神に祈り、母国を念じ、人のために尽くす。福島氏の生き様は、日本人の伝統的な生き方そのものなのである。
(文責:伊勢雅臣)
■参考■(お勧め度、★★★★:必読~★:専門家向け)
1. 福島孝徳『ラストホープ 福島孝徳 「神の手」と呼ばれる世界TOPの脳外科医』★★★、徳間書店、H16
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