JOG(1350) 岸信介が遺した重工業国家・満洲の記憶
わずか13年で重工業国家を築いた偉業の記憶は、いずれ日本の大切な財産となる。
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■1.高杉晋作の再来
中国が周辺諸国を威圧する中で、日米同盟の重要性を否定する人はまずいないでしょう。立憲民主党ですら、外交・安全保障の方針で「健全な日米同盟を基軸とし」と謳っています。
現在の安保条約は1960年に改定されたのですが、13万人もの大群衆が国会や首相官邸を取り囲んで「安保反対」を叫びました。時の首相・岸信介は首相官邸に籠城していて、安全のために退去を勧められても、「首相官邸は総理大臣の本丸だ。本丸で討ち死にするのは男子の本懐だよ!」[北、p358]と動きませんでした。
長州人の岸は「高杉晋作に惹かれる」と常々言っていました。そういえば、この岸の「千万人と雖(いえど)も吾逝(い)かん(千万人の敵に対しても恐れることなく向かっていこう)」という気骨は、幕末の風雲児・高杉晋作を彷彿(ほうふつ)とさせます。
岸信介が歴史を大きく動かしたのは3回あります。一つがこの60年安保改定。もう一つが東條英機内閣で商工大臣を務めていた際に、自らの辞職を拒否して、東條を退陣に追い込んだ時。そして3つめが満洲帝国のわずか13年の歴史で重工業国家を築いた時です。満洲での実績は今ではすっかり忘れ去られていますが、後述するように、今後はその重要性が誰の目にも明らかになってくるでしょう。
■2.東京帝大教授の道を蹴って、二流官庁へ
岸は当時の超エリートが集まる第一高等学校(一高)に学びましたが、義太夫や落語の寄席に通い詰めていました。後に東京帝国大学教授となった我妻栄(わがつま・さかえ)と成績のトップ争いをしていましたが、「我妻は必死に勉強していたが、岸は寄席通いをしながら首席を争っていた」という伝説まで生まれました。
その後、東京帝国大学法学部に進みましたが、ここでも抜群の成績で、大正9(1920)年、卒業を前にして上杉慎吉教授から呼び出され、「ボクの後継者として大学に残って、憲法講座を担当してくれたまえ」と懇願されました。官僚から政治家への道を目指していた岸はなんとかそれを断ります。
これほどの英才であり、かつ高杉晋作を思わせる果断な実行力というと、いかにも覇気鋭い人間のように思われますが、実は出っ歯でぎょろ目、耳が異常に長い愛嬌のある顔をしています。人当たりも良く、総理になってからも尋ねてくる人は芸能人から右翼の片棒担ぎまで無理にでも時間を割いて会いました。
「総理大臣があんな連中とは付き合わなくとも」と意見されると「人間てのはナニだよ、誰でもこちらにはない、いい所が一つはあるんもんだ。そこのところと付き合えばいいんだよ」と涼しい顔をしていました。
東大卒業後は、成績優秀なエリート学生は内務省か大蔵省に行くのが通常なのに、岸は自ら二流官庁の農商務省を選びます。もともと産業経済に関心があり、内務省で警察行政をしたり、大蔵省で税金を集めて予算配分をするような仕事には興味がなかったから、という理由からでした。
■3.強力な官僚のリーダーシップによる産業育成
岸はそこで16年間勤め、日本の経済成長を牽引しました。たとえば、当時は自動車の黎明期で、国内市場も米国のフォード、GMがほとんど独占していました。それに対して、岸は日産が昭和9(1934)年に自動車会社としてスタートするまでの道筋をつけました。
また、重要産業統制法の改正を昭和11年に実施。19の業種を重要産業と指定して徹底的合理化に取り組ませました。効果はすぐにあらわれ、生産過剰に悩んでいたセメント業界などは一気に息を吹き返しました。
岸は強力な官僚統制による産業育成という手法をとりましたが、統制経済を信奉していた訳ではありません。
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私が統制経済論者であったり、計画経済論者であるというよりは、戦時あるいは準戦時という特別の状態にあったからこそ、そうであったということです。
戦争がなくなった平時の時代になれば、経済は基本的には自由経済になるということです。しかしその自由経済は、いまのような野放図というのでもないがね。[太田、2,785]
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1930年代は世界恐慌の中で、英仏は植民地を囲い込んで排他的なブロック経済を築いていました。ブロックから締め出された日本は急速な経済変革に迫られました。その状況下で、岸はもっとも迅速に改革を進められる統制経済の手法をとったのです。
■4.関東軍参謀総長に「私の言うことを聞いていただきたい」
産業政策で辣腕を振るう岸の名声は、陸軍の中枢にも聞こえていました。その陸軍の強い要望もあって、昭和11(1936)年10月、岸は商工省工務局長から、満洲国国務院実業部に転出します。当時、満洲国は独立してから4年半も経っていましたが、産業は一向に育っていませんでした。
それもそのはず、満洲国独立の中心人物・石原莞爾(かんじ)が疲弊した国内農業から5百万人の移民政策を進めていました。しかし、広い農地だけ与えられても、父親と赤ん坊を背負った母親が、農耕馬に犂(すき)を引かせてるような農法では、農業生産が大きく伸びるはずもありません。
その一方で、石原らは「財閥は一歩も入れさせない」と息巻いていたので、産業らしい産業はまったく育っていませんでした。
着任して、関東軍司令部に挨拶に赴いた岸は、板垣征四郎参謀長に直言しました。
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満州統治で最も大事なのは、産業経済の確立である。それを軍人が操っていくというのは誤りであり、軍人は満洲国建国の精神に基づいて統治の基本を握るとか、日本の国防の見地から満洲の安全を守ることをすべきであって、経済やソロバン勘定をすべきではありません。
私は大学を出て以来、そういうことを勉強してきているのだから、軍人がどう言おうと、私がこうしなければならないというときには、私の言うことを聞いていただきたい。とにかく産業経済については任せてもらいます。[太田、p21]
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板垣は「満洲の西郷隆盛」とも言われた、大人の風格ある人物です。苦笑いしながら頷きました。
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もともとそのつもりで来ていただいたのですから、思う存分やってください。[太田、p22]
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西郷隆盛のもとで高杉晋作が縦横に動き回るという理想的な体制ができあがりました。
■5.「満洲産業開発5カ年計画」による急速な産業発展
昭和12(1937)年には「満洲産業開発5カ年計画」がスタートしました。岸自身がその2年前から国内で対満事務局を兼務して、計画づくりを主導してきたものです。
これは5年間で総額予算25億円という、当時の単年国家予算23億円を上回る資金を投入して、満洲を一大重工業国家に育てようという壮大な計画でした。近代的軍備は軍艦、戦車、飛行機など、鉄鋼産業や機械産業などが基盤です。満洲を日本との共同経済圏にして、そこに巨大な重工業基地を作るという、この計画は陸軍からも注目されていました。
岸が描いたこの計画を岸自身に実行させようと、岸は満洲に送り込まれたのです。前節の板垣参謀長の「もともとそのつもりで来ていただいた」という発言には、こういう背景があったのです。
計画の実行に、岸はこれまた高杉晋作並みの動きを見せます。まず、計画初年度の昭和12(1937)年12月には、日産コンツェルンの総帥・鮎川義介(あいかわ・よしすけ)を口説き落とし、主力会社をそっくり満州に移転させ、満州重工業(満業)がスタートしました。
満業は昭和製鋼、満州炭鉱、満州軽金属、満州自動車、満州航空機、東辺道開発、本渓湖煤鉄などの子会社を擁し、満洲での重工業開発の中心的存在となりました。
さらに岸が在任中に満洲で立ち上げた会社は、電気では満州日立製作所、満州松下電器、満州三菱電機、軽金属では住友金属工業、満州神鋼金属工業、満州金属工業などがあります。
こうした企業誘致の目的は人材確保にありました。
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満洲の経済を本格的にやるには、軍人や役人ではだめだ、どうしても日本の一流財界人が来てくれなければいかんということになった。あの当時、私も言ったんだけれども、なにも三井、三菱、住友の資金が欲しいというんじゃない、人間が欲しかった。
経営陣といえば三井、三菱、住友に集まっているのだから、これをよこせということだ。[太田、2,085]
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こうして当時の一流企業を続々と満洲に誘致し、それによって、一流の人材が満洲で存分に実力を振るうという、舞台と役者が揃ったのです。
■6.満洲の経済発展にフィリピン外相が驚愕
こうした重工業の発展により、鋼材、コンクリート、電気設備、建設機械などが生産されるようになり、満洲で続々と巨大ダムが造られました。
満州は、松花江、鴨緑江、遼河などの大河に恵まれています。ただ満州の年間降雨量は約300~500ミリと、日本の三分の一に過ぎません。しかもその70パーセントが7、8月に集中しています。そこで洪水防止、水力発電、灌漑、用水、水運などの多目的ダムが計画されました。
ダム建設については、岸が先に満洲に送り込んでいた右腕・椎名悦三郎(しいな・えつさぶろう)が活躍しました。昭和16(1941)年には鴨緑江で当時、東洋一の水豊ダム、その翌年に鏡泊湖発電所、翌々年は第二松花江に豊満ダムと、巨大プロジェクトが次々と完成しました。
豊満ダムは高さ90メートル、幅1100メートルで、琵琶湖ほどにも大きなダム湖を作り出しました。東洋では最大級、世界でも屈指の大きさです。完成後、視察に訪れたフィリピン外相はその規模と効用の大きさに驚嘆して、こう語ったと伝えられています。
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フィリピンはスペイン植民地として三百五十年、アメリカの支配下で四十年が経過している。だが住民の生活向上に役立つものものは一つも作っていない。満州は建国わずか十年にしてこのような建設をしたのか。[黄、p428]
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都市建設においても、日露戦争前はロシアが建築した大連以外に都市らしい都市はありませんでしたが、満洲鉄道がその沿線にいくつもの近代都市、田園都市を建設し、道路、電気、上下水道、ガス、衛生施設、市場、公園、競技場等の公共施設を作りました。
新たに首都となった新京は、百万人都市として建設が進められました。満鉄線の新京駅から幅100メートルの道路が走り、左右に堂々としたビルが建ち並んでします。その大通りをマーチョ(馬車)が鈴音高く行き交い、白系ロシア人、蒙古族、満州族、漢民族、朝鮮人、日本人たちの屈託のない笑い声が飛び交っている光景が見られました。[太田、p128]
そして、その新京駅を大連、奉天、ハルピンなどの主要都市と結んでいたのが、当時世界最速の満鉄「あじあ」号でした。
■7.満洲には「限りない愛着があるし、生涯忘れることはない」
満洲帝国の平和と繁栄にあこがれて、戦乱の続く中国大陸から毎年150万人ほどの人口が流れ込みました。その結果、満洲事変前の人口約3千万人が13年後の終戦時には5千万人にも増えています。昭和3(1928)年に満洲を視察した米モルガン財団代表ラモントはこう書いています。
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自分の観たところでは、今日満洲は全支那で殆ど唯一の安定せる地域である。…日本は軍事的意味に於いてのみならず、経済的にも満洲を発展せしめつつある。日本がかくするのは、満洲に赴く少数の日本人開拓者の利益のためではない。実際の話、満洲開発は中国人の利益になっているのだ。
不安定な戦争状態が中国の広大な部分に拡がっているため、今や中国人は、他の何処に於ても受けねばならぬ匪賊(ひぞく)行為や略奪から逃れるために、何千人と云う単位で南満洲に流れ込みつつある。[中村、p336]
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昭和14(1939)年10月、満洲滞在3年にして帰国する岸は、記者団にこう語っています。
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できばえの巧拙は別として、満州国の産業開発は私の描いた作品だ。だから限りない愛着があるし、生涯忘れることはない。[太田、p195]
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岸信介と当時の人々が精魂込めて築いた満洲国は、現在の我々も忘れてはならないものです。中国共産党政権は「偽満洲国」などと呼んで、一生懸命、その歴史を消し去ろうとしていますが、それだけ今も旧満洲地域の人々の親日感情が強いからでしょう。
10数億の人口を抱える中国は現在は独裁政権に支配されていますが、いずれ今までの王朝と同様、各地域で不平勢力が立ち上がって分裂していくでしょう。チベット、ウイグルと並んで、もともと漢民族の土地ではない満洲でも独自の政権が誕生する可能性があります。
その政権は、かつての日本が総力をあげて築いた近代先進国家・満洲帝国の記憶から、日本との協力関係を模索するでしょう。広大で資源の豊富な満洲が、技術と資本の豊かな日本と連携する経済的合理性は十二分にあります。ちょうどかつてのイギリスとアメリカのように。その時に備えて、我々日本国民も満洲の歴史と重要性をよく認識しておかなければならないのです。
(文責 伊勢雅臣)
■リンク■
・JOG(1236) 満洲事変の後、日本は世界から孤立したのか?
「たかが」勧告程度で、日本が国際連盟を脱退するなど、各国には思いもよらなかった。
https://note.com/jog_jp/n/n71108385c163
・JOG(1027) 満洲国~五族協和の夢
満洲国建国はシナの領土への侵略だったのか?
https://note.com/jog_jp/n/n0d146e2bed8c
・JOG(589) ラスト・エンペラーと「偽」満洲国
日本は最後の清国皇帝を傀儡として、「偽」満洲国をでっちあげたのか?
https://note.com/jog_jp/n/na41d1e8327fd
・JOG(239) 満洲 ~ 幻の先進工業国家
傀儡国家、偽満洲国などと罵倒される満洲国に年間百万人以上の中国人がなだれ込んだ理由は?
https://note.com/jog_jp/n/n82ec2268dde0
■参考■(お勧め度、★★★★:必読~★:専門家向け)
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・太田尚樹『満州と岸信介 巨魁を生んだ幻の帝国』★★、角川学芸出版、H27
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・北康利『叛骨の宰相 岸信介』★★★、中経出版、H26
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・黄文雄『日本の植民地の真実』★★、扶桑社、H15
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・中村粲『大東亜戦争への道』★★★、展転社、H02
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