見出し画像

JOG(342) 社説対決 ~ イラク人質事件

 大新聞4紙がそろって「テロに屈するな」と主張する中、朝日新聞のみが孤軍奮闘の論陣を張った。


■■■■ H16.05.02 ■■ 34,029 Copies ■■ 1,159,807 Views■

■1.「卑劣な脅しに屈してはならない」■

 先の人質事件が報じられた4月9日の各紙社説は一斉に「テロに屈するな」との声をあげた。

日経:「卑劣なテロ集団から人質の解放を」
 テロリスト集団には断固とした姿勢で臨み、テロリストの脅しに屈した形での自衛隊撤退はすべきではないと考える。

読売:「3邦人人質 卑劣な脅しに屈してはならない」
 卑劣な脅しに、絶対に屈することはできない。毅然(きぜん)として対処しなければならない。

毎日:「邦人人質 卑劣な脅迫は許されない」
 過去1年に及ぶ占領体制や米英に対する反感があるにせよ、このような手段や方法で自衛隊の撤退などの行為を迫るのは断じて認めることはできない。

産経:「日本人人質 今こそ国内が一致結束を」
 福田康夫官房長官は八日夜、「自衛隊はイラクの人々のために人道復興支援をしている。撤退する理由はない」と断言した。この姿勢を強く支持したい。

 そんな中で、朝日だけが「独自性」を見せた。

■2.「要求を突っぱねれば」■

 朝日の9日付け社説は「救出に全力をあげよ 日本人誘拐」と題して、日本政府を叱咤激励しているが、自衛隊撤退というテロリストの要求については、

__________
 福田官房長官は「自衛隊は人道復興支援を行っている。撤退する理由がない」と、誘拐犯の要求を拒んだ。かといって要求を突っぱね続ければ、3人の身に危険が及ぶだけでなく、同種の事件を誘発する恐れがある。それがこの事件の深刻なところだ。[1]
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

 この「要求を突っぱねれば、・・・同種の事件を誘発する恐れがある」という一節には、あっと驚かされた。テロに屈したら同種のテロを誘発するという国際常識とは正反対の主張だからだ。たとえば読売は10日付けの社説で「今、自衛隊が撤退したら、一体、どういう事態になるのか」と問いかけて、こう予想している。

__________
 結果的に武装勢力をますます勢いづかせるのは間違いない。武装勢力が誘拐を効果的な手段と見て、同様の事件を他国にも仕掛けることになりかねない。

 イラクから撤退する国が続出すれば、新生イラクの建設に協力する国際社会の足並みが乱れる。イラク情勢は一層、悪化することになる。

 日本はテロに容易に屈する国とみられ、国際社会の信用を失う。日本と共同作業するような国はなくなる。日本は、これから国際平和協力のための自衛隊を派遣できなくなる恐れもある。[2]
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

 これが国際常識である。他紙を読んで勉強したのか、朝日は翌日の社説であわてて修正した。

__________
 もし今、ここで犯人たちの脅迫を受け入れたらどうなるだろうか。「日本は無法な要求に弱い国だ」というイメージを広げ、同じような人質事件を誘発しかねない。他の国を標的にした犯行に弾みをつけてしまう恐れもある。[3]
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

■3.朝日の二枚腰■

 こうは言いつつも、他紙のように「テロリストの脅迫に屈するな」とは主張しない所に朝日の二枚腰がある。

__________
 だが、そのうえで論じておきたいのは、私たちの主張は何が何でも自衛隊は撤退させないという、単純な「テロに屈するな」論とは異なるということだ。・・・

 イラク全土の状況は、誰が見ても悪化の一途だ。占領政策の大規模な転換がなければ、事態は収まらないだろう。このままでは暴力もテロも逆に拡散する。・・・必要になれば撤退の決断もためらうべきではない。 ・・・

 こんどの事件は、開戦以来、小泉首相が無理に無理を重ねて来たことと無縁ではない。政府はそのことを胸に刻み、人質救出に必死で当たる義務がある。[3]
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

 人質事件の原因を作ったのは小泉首相の自衛隊派遣であり、「撤退の決断もためらうべきではない」とする。社説タイトルの「脅迫では撤退できぬ」とは、「撤退するな」という意味ではなく、「撤退はすべきだが、脅迫ではなく他の形で」という意味なのだ。さすがに大学入試での引用数トップを誇る朝日新聞は、文章の綾も巧みである。

 その後では「犯人よ、殺すな」と題して、犯人グループに呼びかけを行っている。

__________
 人質になった日本人3人は、あなたたちが言うように米軍に協力している国の国民かもしれない。だが同時に、戦禍に苦しむイラクの人々を直接、間接に助けようとした人々でもある。・・・

 かれらの活動を、あなたたちが敵視するどころか、もり立てることだ。そのことこそが「占領軍なき復興」の可能性を世界に示す。[3]
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

 朝日は「あなたたち」とは呼んでも、「テロリスト」と罵倒したりはしない。悪いのは、自衛隊派遣を決めた小泉首相であって、3人は反戦平和の同志なのだから、敵視するのではなく盛り立てよ、と冷静に説く。自衛隊撤退という志を同じくする犯人たちに、朝日はほのかな連帯意識を抱いているようだ。

■4.「朝日社説 詭弁としか言い様がない」■

 この社説を、翌11日の産経社説は「朝日社説 詭弁としか言い様がない」と名指しで批判した。前半では「脅迫では撤退できぬ」と主張しつつも、後半では、

__________
「撤退の決断もためらうべきではない」と論理を飛躍させる。仮にも日本政府が今の時点で特措法を理由に自衛隊を撤退させたら、誘拐犯のみならず世界は日本が脅迫に屈したと考えることに変わりない。結果的に、日本は「ひ弱な国家」として海外の邦人を一層の危険にさらすことになる。・・・

 極めて重大なこの時期に朝日がこのような「二重基準」の社説を掲げることは悪影響を与えかねない。

 朝日のこれまでの社説からいえば、イラクへの自衛隊派遣に反対した立場から、「派遣していなければ、こんな事件も起きなかった」という思いが強いのであろう。

 だが、現時点で、本音である撤退論を打ち出す勇気もない。そこで羊頭をかかげて狗肉(くにく)を売るという苦しい結果になったのだろう。しかし、これは詭弁(きべん)と言わざるをえない。[4]
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

■5.「テロの要求に屈する論理」■

 「詭弁」とまでこき下ろされて撤退論には分がないと見たのか、朝日社説は今度は、来日したチェイニー米副大統領に対して「イラク・人質 米国に自制を迫れ」として、

__________
 米国の自制と政策転換をはっきりと求め、歴史的にも今もイラクの人々を日本は敵視していないことを宣言してはどうか。それが犯人に伝われば、人質の解放を促すことにもつながらないだろうか。[5]
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

 この主張を、今度は読売が一喝した。

__________
「自衛隊が派遣されたから、人質事件が起きた」「日本は米国に政策転換を求めるべきだ」という声がある。「自衛隊撤退をためらうべきではない」という主張もある。それ自体が、テロの要求に屈する論理である。[6]
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
 名指しこそしていないが、引用しているのは朝日の社説そのものである。自衛隊は撤退しなくとも、日本政府が米国に政策転換を働きかけたら、それは人質拘束の大きな成果となる。テロリストたちがこの社説を読んだら、「よくぞ言ってくれた」と思っただろう。遠くイラクの地から日本で孤軍奮闘する朝日に声援を送っていたかもしれない。

■6.人質が無事解放された要因■

 自分をテロリストの立場において考えてみよう。朝日のような主張に賛同する声が日本国内で大きくなっていったら、「日本政府は本当に自衛隊を撤退させるかもしれない」、あるいは「少なくとも米国に政策転換を働きかけてくれるかもしれない」と考えて、もうしばし人質を解放せずに頑張ってみよう、という気持ちになっていただろう。それは事件の解決を遅らせるだけだ。

 しかし、テロリスト達の期待も空しく、「撤退せず」との日本政府の素早い決定を朝日以外のすべての大新聞が即座に支持し、また自衛隊撤退を求める被害者の家族には世論が大きく反発した。イラク内部でも、イスラム教聖職者、アブデル・ジャバル・シャッタル師が「日本人はイラクの利益のために行動していた。人質行為を非難する」と語ったと報道された。[7]

 日本政府も国民世論も「テロに屈しない」と一致団結したので、このまま人質を拘束していても埒があかない事が分かり、人質を殺したらイラク国内の聖職者までも敵に回すことになる。合理的に考えるテロリストなら、米軍の捜索の手が来る前にさっさと人質を解放してしまおうと考えるだろう。

 人質が無事解放された要因の一つは、日本国内が「テロに屈するな」と一致結束し、朝日の如き「テロの要求に屈する論理」が少数意見に終わったことである。

■7.「これ以上苦しめるな 人質の家族」■

 朝日はこうした他紙から批判に答えないまま、15日には「これ以上苦しめるな 人質の家族」と別の論点に転進した。

__________
 イラクで武装勢力に捕らわれている人質3人の家族に対して、非難や嫌がらせが相次いでいる。

「勝手に行って迷惑をかけ、税金を使わせている」「自分の子なら行かせない」「自衛隊の撤退を求めるのはおかしい」。3人の自宅のほか、家族の拠点になっている北海道東京事務所には、こんな電話やファクスが次々と寄せられた。・・・

 子や姉弟が銃や刃物を突きつけられているときに、何をしてでも助け出したいと思い、そう訴えるのは、家族としてはごく自然なことではないか。そういう家族の心情を理解できないとすれば、悲しいことだ。[8]
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

■8.「反省していないのは一部マスコミ」■

 これにまた噛みついたのが、産経のコラム欄「産経抄」で、

__________
 家族は「個」の責任をそっちのけにして「公」の政策変更を声高に要求した。それに対し違和感や嫌悪感をおぼえたのが世論なのである。“被害者たたき”でも何でもない。国民のごく普通の感覚であり、気持ちなのだった。しかもテレビのキャスターやコメンテーターは、家族の無分別をたしなめるどころか一緒になって政府を責めたり、批判したりした。家族は後になって「感謝とおわび」に転じたが、初めからそうしていれば世論も横を向いたりしなかったろう。[9]
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

 さらに産経は25日付け社説で追い打ちをかける。

__________
 当初、家族の一部に、自己責任を棚に上げ、政府批判と自衛隊の早期撤退を求める発言があった。しかし、その後、家族は反省し、政府と国民に迷惑と心配をかけたことを謝っている。反省していないのは、家族の当初の発言を利用し、自衛隊撤退論に結びつけようとした一部マスコミである。[10]
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

 朝日は家族への世論の反発を大所高所からたしなめるつもりだったのだろうが、逆に彼らを自衛隊撤退論に利用した戦術こそ問題だと、糾弾されてしまった。まさにやぶへびではある。

■9.世論の成熟ぶり■

 こうして他紙から批判をかわそうと迷走を続けた朝日社説であったが、その主張は国民世論からの支持も得られなかった。産経新聞はこう総括する。

__________
・・・イラクでの邦人人質事件で日本政府が犯人たちからの自衛隊撤退の要求を拒否したことについて、国民の多くがそれを支持したことが明らかになった。

 フジテレビ「報道2001」の十五日の調査では、犯人たちの撤退要求に対し、「撤退すべきでない」が68%で、「撤退すべきだ」の29%を大きく上回っていた。三人が解放された後の朝日新聞十六日の調査では、撤退拒否は「正しかった」が73%にも上り、「正しくなかった」の16%を圧倒した。・・・

 いずれも、誘拐犯人らの要求を入れて自衛隊を撤退させることには反対とする意見が三分の二前後を占めたわけで、この種のテロ事件に対しては、日本の世論が、昭和五十二年のダッカ事件当時と異なり、「犯人らの脅迫には屈しない」という点で、いかに成熟してきているかを示すものだ。
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

 朝日社説の懸命な説得にもかかわらず、同社の調査でも73%が撤退拒否を正しかった、と考えていたわけである。しかし、弊誌は朝日の迷走気味の孤軍奮闘がまったく無意味であったとは考えない。自由民主主義国家としては、多様な意見の存在が不可欠だし、こういう論争を通じて国民一人一人が国のあり方を考えていく事が民主政治の基盤作りにつながるからだ。

 30日の記者会見で、人質の一人今井紀明さんは「テロリストでなくレジスタンス」と言い、「自分にとっての自己責任はイラクの現状を伝えることだ」と語った。18歳ながらあっぱれなヒール(プロレスの悪役)ぶりである。今井さんや朝日新聞のようなタフなヒールがいるからこそ試合も盛り上がる。 (文責:伊勢雅臣)

//////////// おたより ///////////_/

■「社説対決 ~ イラク人質事件」について

Menさんより
 私は、何が何でも戦争反対という考え方をもっていませんが、それでも、今回のイラク戦争を見るに、アメリカの独断専行、武力による民衆の圧政など、イラク戦争を大義のある戦いだと思えません。統治政策もイラク民衆を力で押さえつけようという戦略であり、その方法で成功するためには、究極敵には恨みをもつ人々を女、子どもも含めて、根絶やしにするしかない。そんなやり方は、決して受け入れることはできません。

 こうした戦争の中で生まれた、今回の事件の犯人達を単に、テロリスト=悪と簡単に単純化する見方するのは、良識ある国際人だと言えますか?

 私が、イラク人と同じ立場になったとき、銃をとって戦うかもしれません。作戦のプロじゃない人が一生懸命考えて思いつく作戦なんて、誘拐脅迫ぐらいでしょう。金に困った人が思いつくといっしょです。裏を返せば、それだけ一般人が今回のアメリカのやり方に対して、激怒し、戦いを始めている。レジスタンスという言い方も十分、理解できる。

 今回、脅迫に対して、国として撤退をしなかった選択は正しいと思う。しかし、単に、犯人をテロリストとして、彼らの置かれた状況を深く洞察することなく、話を善か悪かの見方で単純化していく思考こそ、つきつめていけば、戦争を起こしていく人間の心の要素です。

 朝日新聞を悪、人質事件の被害者の今井君を単純にヒール扱いするのは、国際平和を希求する国際人として思慮が足りないのではないでしょうか?

■ 編集長・伊勢雅臣より

 私はテロリストの定義は、目的の善し悪しではなく、手段の善し悪しにあると考えます。目的の如何を問わず、民間人を無差別に殺傷したり、誘拐したりする行為はテロだと見なします。従って民間人を巻き添えにする自爆攻撃はテロであり、大東亜戦争で米軍のみを標的とした日本の特攻隊は正当なる軍事行動です。そういうテロにどう対処するのか、これが本号のテーマでした。米軍の行動や自衛隊派遣の是非は切り離して考えるべきテーマです。 

■リンク■
a. JOG(052) 今、そこにある危機
 北朝鮮のミサイル発射で、朝日の主張する「冷静さ」「慎重
さ」とは?

b. JOG(044) 虚に吠えたマスコミ
 朝日は、中国抗議のガセネタを提供し、それが誤報と判明し
てからも、明確に否定することなく、問題を煽り続けた。

c. JOG(042) 中国の友人
 中国代表部の意向が直接秋岡氏に伝わり、朝日新聞社がそれ
に従うという風潮が生まれていた。

■参考■(お勧め度、★★★★:必読~★:専門家向け)

  1. 朝日新聞、「救出に全力をあげよ 日本人誘拐(社説)」、H16.04.09

  2. 読売新聞、「[社説]3邦人人質 小泉首相の「撤退拒否」表明を支持する」H16.04.10

  3. 朝日新聞、「脅迫では撤退できぬ イラク人質事件(社説)」、H16.04.10

  4. 産経新聞、「【主張】朝日社説 詭弁としか言い様がない」、H16.04.11

  5. 朝日新聞、「イラク・人質 米国に自制を迫れ(社説)」、H16.04.11

  6. 読売新聞、「[社説]3邦人人質 峻別すべき『解放』とイラク政策」、H16.04.13

  7. 産経新聞、「【主張】邦人人質 撤退拒否を貫き救出急げ」、16.04.10

  8. 朝日新聞、「これ以上苦しめるな 人質の家族(社説)」、H16.04.15

  9. 産経新聞、「産経抄」、H16.04.23

  10. 産経新聞、「【主張】自己責任 自由だからこそ問われる」、H16.04.25

© 平成16年 [伊勢雅臣]. All rights reserved.

いいなと思ったら応援しよう!