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JOG(1339) 先人たちが遺してくれた南洋群島との絆

 南洋群島(ミクロネシア)の人材・経済開発に捧げた我が先人たちの労苦は、素晴らしい絆を現地に残している。


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■1.「ほう~、日系人の大統領ですか!!」

 弊誌684号では、昭和54(1974)年8月にミクロネシア連邦から小中学生が東宮御所を訪れた際に、当時の皇太子殿下(現在の上皇陛下)と、こんな会話があったことを紹介しました。

「ローズマリー・ナカヤマ? それは日本人の名前ではありませんか」。

 引率リーダーの一人、ローズマリーのネームプレートを見て、皇太子殿下(現・上皇陛下)は尋ねられた。

「はい、私はトラック(諸島)出身で、父は日系二世、祖父は神奈川出身の日本人です」とローズマリーは日本語で答えた。

「そうですか、お父様はご健在ですか、なにをなされておられるのでしょう。」

「はい、父は今大統領をしております」

「ほう~、日系人の大統領ですか!! お父様にもぜひお会いしたいものですね」

 子どもたちを引き連れてきた数人の大人たちとも、殿下は日本語で会話をされた。一行の中には、一目で日本人の血を引いていると分かる子どもたちもいた。そんな子どもたちを見守る殿下の眼差しは、温かく、優しさに溢れていた。

■2.ミクロネシア3国で7人もの日系人大統領

 戦前の南洋群島、現在はパラオ共和国、ミクロネシア連邦、マーシャル諸島共和国、およびマリアナ諸島(サイパンなど米国の自治領、グアムのみ戦前から米国植民地)は、戦前、日本が国際連盟の信託統治をしていた地域です。

 この一帯の総人口約20万人のうちおよそ2割、4万人ほどが日本人の血を引いています。上述の日系人大統領トシヲ・ナカヤマ氏はその一人です。しかし、日系人で大統領になったのは、何人もいます。

 ミクロネシア連邦
 ・トシヲ・ナカヤマ初代大統領:ミクロネシアの独立に貢献
 ・エマニュエル・モリ第7代大統領:ドイツ統治時代から現地で貿易をしていた森小弁(こべん)の子孫。小弁は酋長の娘と結婚し、後に酋長を引き継ぎました。子孫は現在3千人と言われています。

 その他にも、

 パラオ共和国
 ・ハルオ・レメリク初代大統領
 ・トーマス・レメンゲソウ第4代大統領
 ・クニオ・ナカムラ第6代大統領

 マーシャル諸島共和国
 ・アマタオ・カブア初代大統領
 ・ケサイ・ノート第3代大統領

 3国とも初代大統領は日系人でした。それだけ日系人が各国の独立の力になったということでしょう。

■3.ドイツ統治下の反乱

 ミクロネシアが世界史に登場するのは、1521年にマゼラン率いるスペイン艦隊がグアム島に寄港した時からです。以後、グアムを中心にスペインが一帯を支配していましたが、1898年にアメリカとスペインが戦った米西戦争で、米軍がグアム島を占領。それからグアム島はずっと米国の支配下に置かれます。

 その他の島々は、戦争に負けて財政難に陥ったスペインがドイツに売却しました。そのわずか16年後の1914年、第一次大戦に参戦した日本がドイツ領の島々を占領しました。1919年には、国際連盟にて日本の委任統治が認められました。

 1922年には現地での統治組織として、南洋庁が設立されました。設立当初は603人、これが15年後には1427人に拡大します。ドイツ領時代の役人はわずか25人だけですから、統治の意気込みがまるで違うことが分かります。

 パラオ人フジオさんは、ドイツ統治時代、1910年のソケース島での反乱事件に関連して、父親から聞いた話を語ってくれました。(日本名は、日系人以外でも、日本人のお巡りさんに名付け親になって貰うケースが多かったからです)

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 パラオの人も反乱を起こしました。あんまりひどい扱いを受けましたからね。ドイツ人はパラオの人を処刑する時はみんなが見ている前でやるんです。反乱を起こしたうちの三人のパラオ人が撃たれた。それをパラオ公園にある大きな木に吊るしたんです。日本人はそんなことしませんでした。[荒井、361]
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 要は、他の欧州諸国がアフリカやアジアを植民地として搾取していたのと同様の支配を行っていた、ということでしょう。

■4.東京ドーム1500個分の土地を開拓し、椰子園に

 日本がまず取り組んだのは、現地での産業開発でした。椰子の木がどこでも育ちます。その椰子の実の胚乳を乾燥させたもの、コプラといいますが、これが化粧品や石けん、ロウソクなどの原料となります。

 南洋貿易という日本の商社が、現地人に補助金を支払って、椰子の木を植えさせました。ここの社員は、小さな島にも小舟を漕いで出向き、椰子の植林やコプラの作り方を指導しました。結局、総面積7千町歩(東京ドーム約1500個分)の土地を開拓し、椰子園を経営しました。

 南洋庁でも、熱帯産業研究所、熱帯生物研究所を設立して、研究と現地人への指導を行いました。南洋庁の本庁農林課で、お茶ボーイとして働いていたパラオ人のカズオさんは、こう語っています。
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 みんな日本のいい大学出たエリートばかりでした。九州帝大、東京帝大や農林学校を出ている人もいました。・・・そういう人たちが僕のこと、とてもかわいがってくれました。

 コプラの栽培の仕方や、コプラの作り方など、ここに教えに来ていた偉い日本人がいました。ボルネオかインドネシアでも教えた経験のある人たちだそうです。・・・

 私はもう八十になりますが、農林課の人とは今でも文通しています。[荒井、772]
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■5.「パラオ人と沖縄人が並んで暮らしていました」

 産業のもう一つの柱は漁業でした。現地人は自給自足のための漁業しか行っていませんでした。しかし、近海は、マグロ、カツオ、サバ、ニシン、イワシ、スズキ、タイなどが豊富です。南洋庁はパラオに水産試験場を建て、海の性質や海産物を調査研究し、現地人に助成金を出して漁船や漁具を持たせました。

 さらに漁業の技術・経験を持つ沖縄の漁師たちが移住し、現地人に教えました。またカツオ節の工場も作り、日本に輸出しました。

 南の島で暮らしていた沖縄県人と、現地の人々はことさらに相性が良かったようです。日本人夫婦の養女となった現地人女性チエコさんは、こう思い出しています。

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 マラカル(伊勢注: サンゴ礁があまりないため、パラオ随一の港湾施設がある島)に沖縄人の集落があって、そこではパラオ人と沖縄人が並んで暮らしていました。そういうところでは子どもが学校から帰って来ると、一緒にモリを持って海辺へ行って遊ぶんです。[荒井、1056]
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■6.「日本人と差別はつけないように」

 日本統治のもう一つの柱は教育です。占領の数ヶ月後には海軍が教育を開始し、各島駐在の兵員や貿易会社の社員たちが、太陽の下で、何百人もの現地の子供たちを相手に、算数、地理、日本語、道徳などを教えました。

 占領1年後には学校も次々と建設され、日本から本職の教師もやってきました。教育の第一の目的は「現地住民の幸福、健康、および衛生の増進」とされていました。日本から赴任した校長の息子、高橋さんは、こう回想します。

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 親父からは、島民の子どもたちと私たち日本人と差別はつけないようにと、非常に厳しく注意されました。だからうちのお袋は、僕も僕の友達も同じように扱っていました。
 スペインの時代もドイツの時代も、島民を家の中に招き入れることは決してなかったのに、日本人は家の中に入れてくれました。家の中に簡単に入れてくれたことに島民は感激しました。[荒井、1293]
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 面白いのは、放課後に日本人の家庭で手伝いをさせて、日本語や家事を学ばせる「練習生制度」です。おやつと一円50銭のお小遣いを貰い、一円は郵便局で通帳を作って貯金させます。練習生だったパラオ人のルルさんは、こう語っています。

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 私が練習生の時に通っていた日本人の家の奥さんはとてもいい人でした。奥さんは体が弱くて、家事に手が回らないから、私に卒業してからも来てほしいって。息子が二人いました。子どもの世話もしたりしていました。
 日本に引き揚げる時、奥さんは私の仕事の事も心配してくれて、だんなさんに頼んで、新聞社で働くように手配してくれました。
 アメリカ時代になって、パラオにその子どもたちが来ました。私の家族、主人や子どもたちもみんな会わせました。嬉しかったー。嬉しくて胸がいっぱいでした。[荒井、1496]
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 ルルさんは昔を思い出して、しばらく涙にくれていました。上述の南洋庁で働いていたカズオさんは今も文通を続けていますし、このルルさんのケースを見ても、当時の日本人と現地人たちが、本当に心の通い合う付き合いをしていたことが感じられます。

 こういう現地の人々が、米軍来襲の際に日本軍と一緒に戦おうとしたのです。しかし、日本軍は現地人を戦闘に参加させず、主戦場となったペリリュー島でも、夜間に全員パラオ本島に退避させました。

■7.「かえってアメリカへの依存度が高まるという矛盾」

 戦後、アメリカがミクロネシアを統治しましたが、それは日本統治とはまったく異なったものでした。日本統治時代の記憶を消すために、残っていた建物、道路、波止場、給水装置、発電施設などを、すべて破壊しました。その上で「戦略地区」として、軍事基地化し、朝鮮戦争やベトナム戦争、核実験などで利用しました。そのために外部との往来を極端に制限しました。

 日本人を父親とする貴子さんは、こう語ります。

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 アメリカの時代になってガラリと変わりました。アメリカはやり方がひどい。ほったらかしです。遊びたければ遊べ。酒飲みたければ飲め。学校行きたければ行け。アメリカの学校へ行った人もいますよ。行っても続きません。学校をまともに卒業した人なんか指で数えるほどしかいません。動物園みたいに、餌だけ与えておけばいいって。[荒井、2275]
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 あまりにもひどい状況に、国連の現地調査団が1961年に送られましたが、その報告書では「長期間、経済がまったく進展がないのは、経済を発展させようとする努力がなされなかったから」と強く批判していました。

 そこでアメリカも経済開発に取り組みますが、行ったのは平和部隊ボランティアなどを何百人規模で送り込んだのと、補助金を1965年には6百万ドルだったのを、1979年には1億4千万ドルに増やしたことでした。ボランティアでは、日本の南洋庁がやったような体系的な経済開発・人材開発はできません。

 また地場産業もないため、補助金は公務員を増やして、給料としてばら撒く、ということになってしまいました。『日本を愛した植民地』の著者・荒井利子さんは、こう観察しています。

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 私がチュークを訪れた際、道端で一日中ぼんやり過ごしている男たちをよくみかけた。「彼らは何をしているのか」と地元の人に聞いてみると「公務員だ」という。「あの人たちには事務所も机もない、その上、仕事もない。給料だけはもらえるので、毎日ぼんやり過ごしているのだ」・・・
 こうして自立どころか、かえってアメリカへの依存度が高まるという矛盾を拡大させる結果となった。[荒井、2335]
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■8.太平洋を「太平」の海とするために

 こういうアメリカの「動物園みたい」な統治から脱するためにも、独立は不可欠であり、日本人の血を引く人々がリーダーとなって、3国が独立を果たしました。日本統治時代の良き思い出と、その血筋を残したという意味で、先人たちの南洋群島での苦闘は過去の歴史として消え去ったのではなかったのです。

 おりしも、この地域を今度は中国が狙っています。ミクロネシアのパニュエロ大統領は、本年3月、中国が「賄賂、心理戦争や恐喝」を仕掛けていると非難しました。中国は、さらにパラオ共和国への観光を禁止したり、またマーシャル諸島共和国にも経済的圧力を加えて、中国の勢力下に入るよう脅しをかけています。

 この地帯が中国の支配下に落ちると、西太平洋は中国の海となり、日本はその中に閉ざされて、生殺与奪の権を握られます。それを防ぐためにも、旧南洋群島諸国が自力で繁栄する自由民主主義国でなければなりません。そのためには、アメリカ型の補助金漬けではダメで、やはり日本統治で展開された、現地の人々と知恵と力と心を合わせる協力体制が不可欠なのです。

 そういう知恵と絆を我々の先人たちは遺してくれているのです。
(文責 伊勢雅臣)


■おたより

■日本人はなぜこのようにWinーWinを目指せるのか?(Naokiさん)

かつて南洋諸島に渡った日本人の生き様を拝読し、胸が熱くなる想いでした。

日本人はなぜこのようにWinーWinを目指せるのか?
西洋人はなぜすぐに搾取する・されるの関係を作れるのか?

日本だけでなく世界の歴史も共に学ぶことで、日本の特異さが際立つと感じました。

日本と西洋の他地域における政治・政策などをきちんと比較すれば、安易な自虐史観から脱し得るのではないか?という希望があります。

まずは自分が学び続け、心動いた先人の生き様・想いを、授業を通して生徒たちに伝えていきます。やりがいのある仕事に就けている幸福に感謝します。


■伊勢雅臣より

「日本と西洋の他地域における政治・政策などをきちんと比較すれば、安易な自虐史観から脱し得るのではないか」というお言葉に共感します。それは先人たちの言葉から、その思いを追憶することが近道でしょう。



■リンク■

・JOG(684) ミクロネシア連邦建国の父 ~ トシヲ・ナカヤマ大統領
「無国籍」と書かれたパスポートに、トシヲは「この手で国家建設を目指そう」と誓った。
http://jog-memo.seesaa.net/article/201101article_4.html

■参考■(お勧め度、★★★★:必読~★:専門家向け)
  →アドレスをクリックすると、本の紹介画面に飛びます。

・荒井利子『日本を愛した植民地―南洋パラオの真実』★★★、新潮新書、H27
http://www.amazon.co.jp/o/ASIN/4106106353/japanontheg01-22/

・小林泉『南の島の日本人―もうひとつの戦後史』★★★、産経新聞出版、H22
http://www.amazon.co.jp/o/ASIN/4819111108/japanontheg01-22/

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