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JOG(53) 人種平等への戦い

「虐待をこうむっている有色人種のなかでただ一国だけが発言に耳を傾けさせるに十分な実力を持っている。すなわち日本で ある。」


■1.人種差別撤廃への日本の宿命■

 虐待をこうむっている有色人種のなかでただ一国だけが発言
に耳を傾けさせるに十分な実力を持っている。すなわち日本で
ある。日本は唯一の非白人一等国である。人種以外のすべての
点で日本は世界の支配的大国と肩を並べている。しかし、日本
がいかに軍事力で強大になろうとも、白人は日本を対等とは認
めることはしないだろう。[p158]

 第一次大戦後にイギリスの外務省がまとめた「人種差別と移民」
という報告書の一節である。日清・日露戦争、第一次大戦の勝利を
通じて、日本は世界の強国の仲間入りをしたが、それは非白色人種
による唯一の近代国家という前例のない、孤独な地位であった。

 当時は「科学的人種主義」が花盛りの頃で、西洋の一流の学者は、日本人の人種的劣等性は経験的に実証できると論じていた。「日本人は身長5フィート(150cm)、肌は褐色、吊り目をしていて、生の魚を食べる」といったあからさまな差別的記述がごく当然のようにされていた。

 米国カリフォルニア州では、様々な法律で日系移民の土地所有
を禁止し、その子供を公立小学校から追放していた。オーストラリ
アのウィリアム・ヒューズ首相は、選挙演説の中で次のような一節
を述べている。

 我々の主たる綱領は、もちろん白いオーストラリアだ。これ
に関しては妥協の余地はない。働き者の有色人種の兄弟は去れ。
戻ってくるな。[p133]

 日本は有色人種の先頭に立って、世界の人種差別撤廃を目指さね
ばならない宿命にあった。

■2.国際連盟への期待■

 1919年、第一次大戦後のパリ講和会議においては、米国ウッドロ
ー・ウィルソン大統領は、永続的な平和の基礎として、国家の平等、権利の平等を唱えていた。ウィルソン大統領の提唱する国際連盟の構築こそ、人種平等の原則を確立する絶好の機会であると日本は考えた。

 このパリ講和会議に日本は、最高のメンバーを全権団として送り
込んだ。かつての首相であり、当代の指導的政治家、西園寺公望公
爵、外務大臣を務めた牧野伸顕男爵の両名である。

 朝日新聞は、パリに向かう全権団に、次のような言葉を贈った。

 我全権が最も注意と努力を要するものを問はば、(中略)人
種的均等待遇に在ると答ふるならん。(中略)蓋し国際平和を
害し、四海兄弟主義を打破する重大なる要素は、人種の不均等
待遇若しくは人種的軋轢たり。(中略)世界人口14億5千万
中9億即ち6割2分を占める有色人種の為めにも(中略)真実
なる実現を期せず可からず。[p129]

■3.人種平等条項提案■

 しかし、日本側はパリで欧米諸国の代表と接触して、人種平等に
対する反発の激しさに直面する。大英帝国代表ロバート・セシル卿
は人種平等に関する日本案には「いかなる形式のものであろうとも、イギリスは絶対に同意しないであろう」と語った。[p133]

 またアメリカに関しても、「こんな危険な(人種平等)条項を含
んでいる規約を批准しようという夢を見るような州はアメリカには
一つもないだろう」と言われていた。

 友邦だと思っていた欧米諸国の激しい抵抗を目の当たりにして、
日本側は直接、国際連盟委員会に訴えることにした。アメリカ代表
のハウス大佐は「ジャップには絶対に喋らせない」と策略をめぐら
せていたが、2月13日の国際連盟委員会において、牧野男爵は起
立して日本側の提案を正式に表明した。

 牧野は先の大戦において、異なる人種がともに戦い、互いに助け
合える事を証明し、この「同情感謝の念が相互の連鎖を固めた」と
して、新しい国際連盟の規約に次の条項を加えることを提案した。

 各国民均等の主権は国際連盟の基本的綱領なるにより、締結
国はなるべく速やかに連盟員たる国家における一切の外国人た
対し、如何なる点についても均等公正の待遇を与え、人種ある
いは国籍の如何により、法律上あるいは事実上何ら差別を設け
ざる事を約す[p134]

 イギリスのセシル卿は、これは「極度に深刻な難題」を生むので、討議をいっさい延期すべきだと語った。中国代表の顧維鈞は、自分はこの問題に「深い関心」を持っており、日本の提案に「全幅の同情」を表明すると述べた。

■4.ウィルソン大統領の逃亡■

 ウィルソン大統領は、自ら重大な困難を招いた事を悟り、会議を
延期して、翌日ワシントンに帰ってしまった。そして日本案を無視
した形で、連盟規約案を印刷して配布した。この案文を見たものは、人種平等に関する日本の提案が行われたことなど、知る由もなかった。

 日本とその支持グループは、ペテン師的な手口に激怒したが、牧
野男爵は怒りを押さえて、日本は人種問題を世界にとって基本的な
重要事項と考えるがゆえに、最も早い機会に修正案を提出する、と
発表した。

■5.国民平等の原則を■

 日本代表団は、原案ではとうてい採択の見込みはないとして、
「人種」という言葉を削除して、「国家平等の原則と国民の公正な
処遇」の支持を求める修正案を作成した。この提案に関する最終決
定は、4月11日の国際連盟委員会において、ワシントンから戻っ
たウィルソン大統領を議長として行われた。

 日本代表は、今回文言を緩和した修正案は、国民の平等と各人の
公正な待遇の原則を正式に確認する以外の事を求めてはいない、と
し、移民制限の問題とは関係のない事を表明した。

 そしてこの原則を拒否することは、「連盟加盟国の平等が認めら
れないこと」を示すと主張した。「問題提起は見事に行われ、満場
の支持を得たように思われた」とアメリカ代表の一人は記録してい
る。その他の参加者も、「説得力があり」「威厳に富み」「賞賛に
値し」などと記している。

 フランス代表のレオン・ブルジョワ上院議員は「正義という論争
の余地のない原則」を具現するこの案を拒否することは不可能であ
ろうと主張し、さらに中国、ギリシア、チェコスロバキアの代表が
強力な賛成演説を行った。

■6.葬られた賛成決議■

 日本全権団の要求により投票が行われ、日本案は16票中11票
の圧倒的賛成を得た。

 しかし、議長席のウィルソンは、全会一致の賛成が得られなかっ
たので採択されない、と宣言して、参加者を驚かせた。それまでの
2回の票決は全会一致の規則は適用されていなかったのに、とフラ
ンスの代表団は抗議を行った。

 しかしウィルソンは、「われわれの一部にとってはあまりにも障
害があるので、規約にそれを挿入する事はできない」、と言った。
そして急いで次の議題に進もうとしたが、牧野男爵はそれをさえぎ
って、大いに遺憾であるが、この会議で過半数の賛成票があったこ
とを議事録に明確に記述するよう要求した。[p144]

■7.激化する人種紛争■

 日本の人種平等条項の提案とその失敗は、インドネシア、インド、エジプト、チュニジアなど世界各地における独立運動を刺激した。

 アメリカでは特に第一次大戦に参加した黒人兵たちが完全な市民
権を要求していたが、自国の政府が人種平等の原則を支持しなかっ
たことに怒った。この年の6月から9月にかけて、シカゴ、ノック
スヴィル、オマハ、それに首都ワシントンで大規模な黒人暴動が発
生した。警察、陸軍、州兵が動員され、100人以上の死亡、数万
人の負傷者が出た。[p152]

 報知新聞は次のように述べた。

 アメリカの人種紛争は文明世界にとって不名誉なことであり、
もしもアメリカが他の国々に正義と人道の原則を説教したいの
ならば、まず自国内の人種問題を解決しなければならない。

■8.世界的混乱が予想される■

 ウィルソン大統領自身が提唱した国際連盟にアメリカは参加しな
かった。その主たる理由が国家主権と人種差別との関係だった。
「日本人や中国人やインド人の労働力が洪水のようにアメリカに流
れ込むのを他国の決定にゆだねる用意がわれわれにあるのだろう
か」ということであった。

 1922年には連邦最高裁判所は、日本からの移民はアメリカの市民
となる資格がないと判断し、翌年には日本人移民がアメリカの土地
を所有することを禁止する判決を下した。続いて議会も、1924年移
民法を制定して、アジア人と大部分の非白人に対して門を閉ざし、
日系移民を禁止した。現代アメリカの著名な生物学者スティーブ
ン・ジェイ・グールドはこれを「アメリカの歴史における科学的人
種主義の最大の勝利」と呼んだ。

 この移民法こそ日米間の摩擦を引き起こした最初の動きであった。
オーストラリアの政府高官は次のような予言をしている。

 白人が自発的に有色人種を対等の者として受け入れることは
決してないのだから、人種的劣等という憎むべき汚名を除去す
るためには力によるほかはない。(中略)潜在的な世界的混乱
が予想されるし、やがて欧米世界に重大な結果を招来するおそ
れがある。[p162]

 この予言は、やがて大東亜戦争として現実のものとなっていく。

[参考]

  1. 国家と人種偏見、ポール・ゴードン・ローレン、TBSブリタニカ,'95
    ///////// LINK /////////////////_/
    ■JOG(14) Remember:アメリカ西進の歴史
     アメリカは、自らが非白人劣等民族の領土を植民地化することによって文明をもたらすことを、神から与えられた「明白なる天意Manifest Destiny」と称した。
     メキシコ、ハワイ、そしてフィリピンへと領土拡張を進めたアメリカ西進の軌跡は、まさしくこの「明白なる天意」の周到着実なる実行であった。

■ おたより: FSさんより

 肌の色によって人間の価値をはかるという概念を持たなかった日本人が、明治以降国際社会において政治的、経済的局面でいかに行動し、肌の色によって規定される人種というものにいかに対応していったか、というのは注目すべきテーマだと思います。

 私は現在、アメリカの大学でアメリカ史を人種的側面から研究していますが、教授陣の中には「アメリカ史は白人と黒人のもの」などと公言する人もいます。
キング牧師に代表されるアメリカの公民権運動などは、たしかに白人と黒人の対立構造が論点の中心にあります。

 しかし、世界史的視野に立ち、日本の国際社会への参加がいかに人種問題、そしてアメリカにおける多民族構造に新しい価値基準をもたらしたか、という史実ももっと注目されるべきであろうと思います。

 そしてそういった研究が日本人に自信を与え、次世代へもたらし得るグローバルな行動基準と価値判断の材料になるものだと考えます。

■編集長より

 ぜひとも、そのような研究をお願いします。

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