JOG(309) 安倍晋三 ~ この国を守る決意
政治家は「国民の生命と財産を守る」ということを常に忘れてはいけないと心に刻みました。
過去号閲覧: https://note.com/jog_jp/n/ndeec0de23251
無料メール受信:https://1lejend.com/stepmail/kd.phpno=172776
■1.金正日の態度を変えさせた一言■
平成14(2002)年9月17日午前10時前、北朝鮮・平壌の百花園迎賓館の控室で日朝会談を待つ小泉首相と安倍官房副長官に、「お話があります」と外務省アジア大洋州局長の田中均が近づいてきた。田中はこの直前に行われた事務レベル協議で北朝鮮側から知らされた拉致被害者の死者8人、生存者はわずか5人という数字を伝えた。小泉首相と安倍は言葉を失った。
午前11時に始まった首脳会談で、小泉首相は冒頭から「大きなショックで、強く抗議する」と不信感をあらわにし、「拉致、工作船、ミサイル」の三つの条件をクリアしない限り正常化交渉再開はあり得ないことを告げた。金正日は口を一文字にし、小泉の顔を凝視しながらほとんど反論することはなかった。
正午。日本側は北朝鮮側の昼食会の誘いを断り、控室に入った。田中は「北朝鮮が三つの条件をクリアすればこの宣言文を採択したい」と文案を持ってきた。安倍は「拉致したという白状と謝罪がない限り、調印は考え直した方がいいのでは」と進言した。 小泉はしばらく考え込み、何も言わなかった。
午後の会談は予想外の展開になった。金正日はいきなり「いままで行方不明と言ってきたが拉致だった」とこれまで北朝鮮側がかたくなに拒否してきた「拉致」という言葉を使った。さらに自分の関与は否定しつつも、「遺憾なことで率直におわびしたい」と、深刻な表情で言葉を選びながら拉致を全面的に認め謝罪した。[1]
安倍の「白状と謝罪がない限り、調印は考え直した方がいい」という進言は、北朝鮮側に盗聴されている事を意識した上での発言だったという。日本の援助を喉から手が出るほどに欲している金正日にとっては、ここで日本側に席を立たれたら、元も子もなくなる。北朝鮮に翻弄され続けてきた日本外交が初めて攻勢に転じたきっかけは、この安倍の一言だった。
■2.国家が断じて国民を守るという意志を喪失していた■
北朝鮮が拉致を認めて以降、日本国内では「知と情」という論理が登場した。「拉致の問題はたしかに可哀想だし、何とかしてあげたいが、それはあくまで情の問題だ。それよりも核の問題はまさに国家の安全保障にかかわる、知の問題である。情の問題よりも知の問題を優先すべきだ」という議論である。
■3.日本国として「帰さない」■
交渉の結果、ようやく5人の拉致被害者が帰ってきたが、当初は一時帰国ということだった。新聞もテレビも「近いうちにまた北朝鮮に帰っていく」という前提での報道を続けた。そこに日本政府から「北朝鮮には帰さない」という決断が発表されて、マスコミを驚かせた。安倍晋三は決断の理由をこう語る。
個人の意思に任せるのは体裁は良いが、それは拉致被害者に個人レベルで北朝鮮と相対峙させる事であり、国民を守るという日本政府の責任を放棄したことになる。拉致被害者を守ろうという国家意思を、初めて日本が表明した瞬間だった。
■4.「国家が日本人を守るべきである」■
国家が国民を守るという安倍の原則は、日朝正常化交渉に関しても貫徹されている。
もし拉致問題と並行して、正常化交渉を始めてしまったら、北朝鮮は今まで通り、拉致問題は棚上げして経済援助をせっついてくるだろう。そして8人の家族を早く帰して欲しかったら、経済援助を進めることだと言ってくる可能性がある。そうなると8人の家族は「人質」カードとされてしまう。
正常化交渉を欲しているのは、北朝鮮の方だ。だからこそ逆に「8人を取り戻さねば、正常化交渉を始めない」と、国交正常化をカードとして8人を取り戻す戦術が成り立つ。同時にこれは「国家が国民を守る」という原則に基づいた外交でもある。
■5.したたかさと剛直さと■
平成15年8月末に北京で開かれた六カ国協議の開催前には、北朝鮮は日本と韓国を協議の場からはずす事を要求した。中露は仲介的な立場であり、日韓がはずれれば、アメリカだけを相手にすれば良い。同時に拉致問題を棚上げにできる。
日本は「それは絶対に困る」と頑張り、アメリカも断固として拒否した。一部には「そう言っていては、協議の場ができないのではないか」という意見もあったが、日米が結束して拒否したので、北朝鮮側が折れて日韓を含む6カ国協議となった。
次の六カ国協議の際には、北朝鮮は「日本が拉致問題を持ち出すなら、日本を外せ」と主張し、中国側も「六カ国協議をとにかく無事に再開することが大切であって、拉致問題を取り上げる事に関しては日本に再考を促す」という態度だった。
わが国がこの六カ国協議の場において拉致問題について主張しないということはありえないことです。・・・
これをこんど議題から落とせば、「では、拉致問題は日朝二国間だけでやるんですね」ということになって、多国間協議は核の問題だけで進んでいってしまいます。・・・
ですから日本が拉致問題を議題としたために協議の再開が遅れたとしても、これはもうやむを得ないと考えるべきであって、それはむしろ北朝鮮がチャンスを逃したというふうに考えるべきだと思っています。[1,p122]
北朝鮮は正常化交渉を早くまとめて日米からの経済支援を貰いたい。中国もまた6カ国協議を成功させて、自国の北辺を安定させ、また北朝鮮を抑えうる立場にある事をアピールしたい。日本が拉致問題で突っ張っていれば、折れざるをえないのは北朝鮮側であり、またいずれ中国も、早く拉致問題を解決しろと、北朝鮮側に圧力をかけるだろう。
安倍晋三の外交姿勢は、相手側の弱みを読むしたたかさと、原則を貫く剛直さとで織りなされている。どちらも戦後の日本外交が長らく忘れていたものである。
■6.抑止力としての経済制裁法■
貿易上では、北朝鮮は日本にとって無視しうる存在だが、北朝鮮から見れば、日本からの輸入や送金を止めたら、その経済は壊滅的な打撃を受け、それは政権崩壊につながりかねない。わが国はそれだけの実力を持ちながら、その力を行使できるだけの法律がなかったのだ。
制裁という真剣を振り下ろさなくとも、それをちらつかせて、「経済的な意味で大変なことになる」と警告することが、北朝鮮に勝手な振る舞いをさせない抑止力になる。
本年2月初め、外為法改正の論議が進められる中で、北朝鮮側から拉致問題に関する日朝協議を開きたいとの打診があった。外為法改正は2月9日に成立し、その直後に開かれた協議では北朝鮮側は「われわれを狙い撃ちにしている法律だ」との強い反発を示しながらも、北朝鮮側が席を立つことは一度もなかった。経済制裁という圧力は確実に効いているのである。[3]
■7.ハト派とタカ派■
戦後の日本は、外国に謝罪をしたり、圧力をかけられたりすることはあっても、日本から外国に謝罪させたり、制裁の圧力をかける、などというのは、今回が初めてのことではないか。
北朝鮮から見れば、安倍はまことに手強い外交相手である。日本国内でも安倍を「タカ派」とか「強硬派」と非難する人びとがいるが、その声は北朝鮮シンパの悲鳴のように聞こえてしまう。日本国民から見れば、国民と国家を守ってくれるまことに頼もしくも力強い「タカ」である。
「ハト派」の政治家たちが膨大なコメ支援をしながら、感謝の言葉どころか頭越しにミサイルを撃ちこまれた「結果」に比べれば、一銭もやらずに金正日に謝罪させ、拉致被害者5人を取り戻し、制裁の圧力をかけて協議のテーブルにつかせているのだから、安倍の「結果」は余りにも明白である。
ハト派かタカ派かは手段の問題であって、国民と国家を守るという目的のためには、時と場合によって「タカ派」的な手段も遠慮なくとる、という所に、安倍晋三の政治家としての覚悟が感じられる。
■8.「これは命を賭けるに値する仕事だろう」■
「日本の国のために」という覚悟が定まったのはいつか、という質問に、安倍はこう答えている。
政治家になろうという決意は、父の最後の1年間を見ていて、「これは命を賭けるに値する仕事だろう」と思いました。そして政治家は「国民の生命と財産を守る」ということを常に忘れてはいけないと心に刻みました。
父・安倍晋太郎は晩年、膵臓ガンの手術の後、67歳で他界するまでにソ連とアメリカと二回も外遊した。ソ連とは北方領土の返還と平和条約の締結、アメリカとは日米安保30周年での関係強化を目指したものだった。秘書官として父の最晩年に付き添いながら、政治家としての覚悟を安倍晋三は受け継いでいたのである。
日米安保の第一次改訂は、母方の祖父・岸信介が命をかけて取り組んだテーマであった[a]。晋三が5歳の時、「安保反対!」のデモ隊に取り巻かれた自宅で、岸は馬になって晋三を乗せて遊んでいた。晋三がデモ隊の声につられて「アンポハンターイ」とかけ声をかけると、岸は大笑いしたという。
祖父の信念、父の覚悟を受け継いだ「この国を守る決意」を抱いて、安倍晋三は政治に取り組んでいる。
(文責:伊勢雅臣)
■リンク■
a.
■参考■(お勧め度、★★★★:必読~★:専門家向け)
1. 産経新聞、「検証、日朝首脳会談 到着直後「死」のリスト 言葉失い、崩れる自信」、H14.09.19
2. 安部晋三、岡崎久彦、「この国を守る決意」★★★、扶桑社、H163. 産経新聞、「日朝拉致協議・検証 『焦っているのは北』」、H16.02.15
_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/ おたより _/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/
■ 編集長・伊勢雅臣より
今回の人質事件で二つ、良いことがありました。日本政府はテロに屈しないと国際社会にアピールできたこと、そして功成さんのような意見が世論の主流となってきた事です。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?