JOG(14) アメリカ西進の軌跡
アメリカは、自らが非白人劣等民族の領土を植民地化することによって、文明をもたらすことを神から与えられた「明白なる天意」と称した。
■1.日米戦争をアメリカ側から見る■
12月8日の真珠湾攻撃で、日米戦争は始まった。アメリカは "Remember Pearl Harbor(真珠湾を忘れるな)" をスローガンに立 ち上がったのだが、ここに至る過程をアメリカ側から見てみよう。 "Remember"のスローガンが、繰り返し出てくるのである。
■2.1835 Remember Alamo■
かつてテキサスはメキシコの領土であった。そこに入植したアメリカ人は1835年に独立運動を起こし、翌年、155人の守備隊がアラモ砦に立てこもったが、メキシコ軍の攻撃により全滅した。
アメリカ人達は"Remember Alamo"を合い言葉に戦いを続け、翌年、独立を勝ち取った。アメリカはこれを46年に併合し、さらにカリフォルニアを狙って、メキシコに宣戦布告、勝利を得た。
この戦争の結果、アメリカは現在のアリゾナ、カリフォルニア、 コロラド、ニュー・メキシコ、ネバダ、ユタ、ワイオミング各州にあたる地域をメキシコから奪取した。この結果、メキシコは領土の半分以上を失った。
■3.1894 ハワイ■
1881年(明治14年)、アメリカによって独立を脅かされていたハワイ王国のカラカウワ王は、日本を訪れ、姪のカイウラニ姫の婿として山階宮定麿王をお迎えし、日本の力でハワイの独立を守ってもらいたい、と明治天皇に申し入れをした。明治天皇はアメリカとの摩擦をおもんばかって、丁重にお断りした[1,p48]。
1894年、入植していたアメリカ人は武力でハワイ王国の支配権を 奪取し、アメリカ人宣教師の息子ドールを大統領とするハワイ共和 国を作った。アメリカ合衆国はこれを4年後に併合する。
■4.1898 フィリピン: Remember Maine■
1898年、スペインへの抵抗運動が続くキューバにおいて、アメリ カ人保護を目的としてハバナ港に停泊していた戦艦メーン号が突如 爆発、沈没し、乗員260名全員が死亡した。アメリカはこれをス ペインの謀略として、"Remember Maine"を合い言葉に開戦し、勝利を得た。
キューバは独立を果たしたものの実質的にアメリカの保護国となった。フィリピンも一時スペインから独立したが、結局アメリカの 植民地となった。さらにアメリカはこの戦争で、プエルトリコ、グアム島を奪取している。(1969年にアメリカ海軍当局は、メーン号の爆破はエンジン部分の故障による爆発だったとの調査結果を公表している。しかし、アメリカ自身の仕業という疑惑も消えていない。 )
■5.Manifest Destiny(明白なる天意)■
このように西へ西へと勢力を広げるアメリカの意図はどこにあっ たのか。当時の証言を引用しよう。 マハン(米海軍大学の戦略研究家、セオドア、フランクリン、両ルーズベルト各大統領がマハン理論を信奉した)は、「海の支配力 の歴史に及ぼす影響」という著書のなかで次のように言っている。
ベバレッヂ上院議員は、1900年に国会で次のような演説をしている。
「我々は東洋におけるわれわれの機会を放棄しない。我々は神によって世界の文明を託されたわが民族の使命を遂行するにあたってわれわれの役目を放棄しない。・・・今後我が国最大の貿易はアジアと行われるにちがいない。太平洋は我々の大洋である。・・・中国はわが国本来の消費者である。」
Manifest Destiny(明白なる天意)という言葉がある。ベバレッヂ上院議員の「神によって世界の文明を託されたわが民族の使命」 とは、この事である。アメリカは、自らが非白人劣等民族の領土を植民地化することによって、文明をもたらすことを神から与えられた「明白なる天意」と称した。
メキシコ、ハワイ、そしてフィリピンへと領土拡張を進めたアメリカの軌跡は、まさしくこの「明白なる天意」の周到着実なる実行
である。
■6.オレンジ計画:対日戦略プログラム■
1897年、日清戦争のわずか二年後に、アメリカは日本を仮想敵と して、対日戦略プログラム「オレンジ計画」を策定した。この計画は、以後、定期的に改訂を重ね、50年後に実行に移された。1911年には、次のように書かれている。
1911年は大正元年、この時にすでに満洲に関する日米の確執を予言し、中国市場を独占するために、日本を封じ込めて暴発させ、「息の根をとめる」までのシナリオが正確に描かれている。真珠湾攻撃のちょうど30年前である。